出会い、のち転移 5 side L
虐め風味な表現があります。注意。
黙って頷いた琉唯に、女神は満足そうに黄金の瞳を細めた。
「よかったわ。じゃあ、わたくしの国に行ったら適当に魔物を間引いてあげて。そしてわたくしの為に祈って頂戴。そうだ、向こうは魔法がある世界なの。だから貴方も魔法が使えるようにしておくわ。それと聖剣は貴方の願いならば何でも聞くでしょうから、いいように使いなさい。それじゃあよろしくね――」
言いながら、今までずっと繋がれていた手から異様な感覚が流し込まれてきた。思わず手を振り払う。多分、魔法が使えるようにされたのだろう。直後、乱暴を働いてしまったと青くなって相手を窺い見たが、気にした様子は無い。胸をなで下ろす。
しかし、これで話は終わりとばかりに輪郭が薄く溶けつつある女神に、とあることを思い出した琉唯は、咄嗟に声を張り上げた。
「ま、待ってください! 僕に、僕と一緒に穴に落ちたリョウさんは……! あの人は、どうなったんですか!」
いきなり陥った理不尽な出来事にも関わらず、琉唯を守るように抱きしめてくれた人。
今の話が本当ならば、諒は巻き込まれてしまっただけだ。
この見渡すばかりの白い世界には、女神と琉唯しかいない。あの人は、無事にあの公園に帰れたのだろうか。
「……ああ、貴方について来た人間のこと? そうね、召喚は一方通行でしかないから、貴方と一緒にシャーリール王国へ行くのじゃないかしら。魔力のない只人があの国で生きていけるかは解らないけれど。……それがどうかして?」
一旦薄れるのを止めた女神に、あっけらかんと言われた言葉に琉唯は絶句する。
相性が良ければ誰でもいいと勝手に人を呼び出しておいて、その後の事は関知せず、が神のすることなのか。
……いや。神だからこそ理不尽な事を平気で行えるのかもしれないが。
それならば、巻き込んだ琉唯が、責任を取らねばならない。
「リョウさん、に……何か、魔法とか……いただくことは出来ませんか」
「なぜ?」
心底不思議そうに首をかしげる女神に、怒鳴りつけたい衝動をグッと押さえて、琉唯は静かに口を開いた。
「あの人は、僕を助けるために巻き込まれたんです。それなのに、補償もなく放逐する様な事をされたら、僕は貴女のためになんか祈れない。聖剣を手にしたら、その場で自分の首を切るかも」
脅しのつもりで口にした台詞だが、ふと、それはとても良い考えではないかと思えてきた。
一方的に過ぎる要望で、今まで生きてきた世界から隔たった異世界にいきなり飛ばされ、唯一共に来た人が生きられるか解らないと言われてしまっては、琉唯にはそんな場所で一人生きていく自信は無かった。
「それは駄目よ! ……もう、しょうがないわね。魔力を与えればいいんでしょう。不自由しない程度につけておくから、好きになさい」
「……ありがとうございます」
ちっとも本心ではない礼を琉唯が言い終える前に、用は済んだとその身を光に変えて消えた女神がいた場所を、ぼんやりと眺める。
「そうだ、元居た所に帰れるのかも聞きたかったのに……」
琉唯は自分の要領の悪さにため息をついた。
せめてもの慰めは、諒の件だけでもなんとか出来たことだけだ。
女神が消えてもなぜか変化も移動もしない白い空間で、どうすればいいのか解らないままとりあえず座り込む。
言われた事を改めて反芻して、とんでもないことになったものだと思った。
単なる大学生に過ぎない自分が、異世界に行って何が出来ると言うのか? 聖剣とやらを振り回して、魔物と面と向かって戦う? ゲームではないのだ、グロ耐性も無いし無理に決まっている。
勇者なんてなりたくないのに、行った先でどうしたらいいんだろう。
それに、琉唯が祈っただけで女神の力が増えるという事も眉唾だ。出来なかったらどうなるのか。あの自分勝手な様子では、簡単に切り捨てられてしまいそうな気もする。
纏まらない思考のまま果てまで続く白い空間を眺め、しまいにはずるずると横たわった琉唯は、やがて襲い来る睡魔に抗うことも出来ないまま、その瞳を閉じたのだった。
◇
女神が言っていた『選んでいない、決める気が無い』という事には心当たりがあった。
琉唯は、18になった今でも、自分の性自認というものがよくわからないでいる。
穏やかな田舎町で、大らかな両親の元に生まれた赤ん坊の頃から、群を抜いて愛らしい見た目だった瑠唯の傍には、赤やピンク、パステル調の色に、レース、フリル、スカートなんかが溢れ返っていた。
当たり前のようにそれらを着て育ってきた瑠唯の家のアルバムには、双子? と聞かれるほどに少女姿と少年姿の両方が無差別に貼られている。
友達は女の子の方が多かったし、男の子に告白されて嬉しかった事もある。中学生に上る頃には化粧も覚えた。その日の気分で、似合う物を着て似合う化粧をする事が楽しかった。
そうやって今まで、どちらでもない、あるいはどちらでもある事が当たり前だった瑠唯に、『変な子』というレッテルが張られたのもその頃の事だ。
思春期に突入した少年少女達は時に、自分達と異質なモノを許さない潔癖さを持つ。
彼らが言うには、瑠唯がしている事は『変な事』で、瑠唯は『おかしな子』で、『男なのに女の格好をする気持悪い奴』なのだそうだ。
女友達とばかり遊ぶ『女モドキ』で、過去に男の子に告白されていた事まで引っ張り出されて『男好き』だと笑われた。
その無邪気な、悪意の無い鋭利な牙を向けられた瑠唯は、今までの自分を全否定されたような衝撃を受けた。
一時は学校に行けない程になった瑠唯を心配した親達によって、県も跨ぎ転校させられた先で、普通の男の子の格好をし続けることで何事も無く普通の生活に戻れた瑠唯は、しかしモヤモヤとした気持ちがずっと解消出来ないままでいた。
男が化粧をするのはおかしい。なぜ? 男がレースやフリルを着るのは変。どうして?
男と言う枠に当て嵌められたことが、好きな物を好きだと言えない事が、窮屈でならなかった。型の合わない靴をずっと履かされ続けているような、息が詰まる様な感覚に身動きが取れなかった時、ふと、ネットで『男の娘』という言葉を見かけた。
男であると明言した上で女装を楽しんだり趣味としている彼らと、男女の性差を分けて考えていない瑠唯では少しばかり立ち位置が違うが、それでも存在を認められているレッテルがあることが羨ましくなった。
だから、瑠唯はそのレッテルを借りる事にしたのだ。
男だとも女だとも言い切れない自分を悟られないよう、彼らが言う様に、趣味という隠れ蓑を用意したのである。
今までの事があって、若干引きこもり体質になっていた瑠唯だけど、私用で出かける時は以前の様に可愛らしい服を着て、自分は『男の娘』だからと言い訳することで、少しだけ息がしやすくなった。
そうやって騙し騙し過ごして幾年か。
大学が受かったことを機に、周囲の人間関係がいっそう希薄な都会で一人暮らしを始めた矢先のことだった。
召喚に巻き込まれたのは。
「……ん」
ぼんやりとした思考の波から浮かび上がるように、緩やかな目覚めが訪れる。
長い睫毛を幾度か上下させ、重い瞼を持ち上げた瑠唯の目に映ったのは、白い空間でも自分勝手な女神の顔でもなく、心配げな表情を乗せた諒の端正な顔だった。