表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/38

二人目の精霊

 ――心地よい風と、暖かな光を感じる。


 上下に別れたまぶたの隙間から覗く、いささか微睡んだままの瞳に映ったのは鮮やかに彩られた色のある世界。

 吸い込まれそうなほど晴れ渡った蒼天の空と、それを縁取る新緑の樹木の葉。全てが瑞々しく爽快で、まるで名のある絵画のように美しい。

 その絵画の中に手を入れるように少女は仰向けに寝たまま腕を持ち上げ、何度も閉じたり開いたりして感触を確かめる。人の子のように小さな手を覆う褐色の肌が差し込んでくる太陽の光に照らされ、健康的で艶のある輝きを放っていた。


 少女はゆっくりと身体を起こす。丸みのある後ろ髪が垂れ下がり、左に流れた前髪が左目を隠すように被さる。

 霊力銀(ミスリル)の如く白銀に輝くそれらはそよ風に揺られ、少女の頬をくすぐった。


 最後にこの身に光と風を受けたのはどれほど前だろう。


 耳を澄ませば聞こえてくる小鳥の輪唱。身に降り注ぐ柔らかな光。森林に浄化された清涼な空気――平穏という言葉を具現化したならば、きっとこんな空間に違いない。

 ここはどこなのだろうか。

 この身が朽ちて天へと昇ったのだろうか。


 ――あぁ、きっとそうに違いない。

 ようやく解放されたのだ。永遠に続く暗闇と孤独という地獄から。


「……あの世というのは、思っていたより現実味のある光景なのだな」


 虹のかかった雲の上の光溢れる光景だとか、反対に赤く染まった地の底の光景だとか、あの世といえばそういったものを想像していた。

 だが今、瞳に映るのは、壮観で美しいとはいえこの世の光景と大差無い。三千年もの時を暗闇で過ごしたせいで感覚がおかしくなっているのだろうか。


「――そりゃそうだ。だって、ここはあの世じゃないんだからな」


 などと考えている間に突然後ろから声をかけられ、少女はビクッと肩を動かす。

 振り向くとそこにいたのは、黒い髪をした少年だった。


「な、ななな何だ貴様は!?いつからそこにいた!?急に話しかけられたらびっくりするだろう!」

「いや、そんなこと言われても……」

「貴様は何者だ!?どうして私の側にいる!?そもそもここはどこ――」


 ――と、捲し立てようとした少女の動きが固まる。


 今、自分は何をしている?

 ほんの二、三回とはいえ、この少年と言葉のやり取りをしている?


 ――いや、まさか、そんなはずはない。


 内心で首を振っても、確かに少年の眼はこちらを見ていた。少年の意識はこちらに向けられていた。少年の口から発せられた言葉は、確かにこちらに投げ掛けられていた。


 ということは――


「――まさか……私の声が聞こえる……のか……?」


 この身が古代遺物(アーティファクト)と化してから三千年間。喉を潰そうと届くことは無く、この身が魔族に堕ちようと誰にも伝わることの無かった声。


 それが今――聞こえていると、少年は静かに頷いた。


「……ずっと孤独で辛かったんだよな。魔族になっても、助けてくれって叫ぶくらいに」


 少年はおもむろに手を伸ばすと、少女の頭に乗せる。

 そして左右にゆっくりと、親が子をあやすように頭を撫でた。


「……だけど、これからはみんなお前の声を聞いてくれる。自由になった身体でどこへだって行ける。誰もお前を見つけてくれないなんてことはない。だから、もう大丈夫だ」


 永い永い間、感じることのできなかった感触だった。

 どれだけ望もうとも、その手から伝わる温もりを得ることは叶わなかった。

 じわりと心の中に暖かなものが拡がっていく。拡がりすぎて色々な感情が限界に達しそうだった。


「……お前はもう独りじゃない」


 ――その言葉で、少女の中の何かが瓦解した。


 黄金の瞳から、無限に水を注がれ続ける桶のように涙が溢れてくる。

 静かに涙を流し続けていたが、やがて口から嗚咽が漏れ始める。人前で声をあげて泣くなどはしたなく思われるかもしれないが、我慢などできるはずもなかった。昔から豊かではないと言われてきた表情が歪む。


 自分を置いていく世界に苛立ちもした。

 自分をこんな目に遭わせた人間を恨みもした。

 だが、もはやそんなことなどどうでもいい。

 もう孤独に震えなくていいという安堵感と解放感が全てを満たしていく。


 少女は自分を救ってくれた少年の胸に顔を埋めるとしゃっくりあげ、嗚咽は子供のように泣きじゃくる声に変わった。



 ***



「……すまない。見苦しいところを見せた」


 目の前の銀髪褐色肌の少女は、容姿に似合わぬ厳かな口調で喋りながら涙を拭う。

 見た目は人間の子供と大差無い。少女というより女の子という表現の方がしっくりくる。そのせいで慰める時に思わず頭を撫でてしまったが、特に不快に思っている様子はなさそうだ。


「自己紹介が遅れたな。私はエルデラント。まさか元の姿に戻れる日が来るなんて夢にも思わなかった。感謝するぞ少年」


 少女――エルデラントは頭を下げる。

 その見た目で礼儀をしっかりされると、どうも背伸びをしている子供のような可愛らしさを覚えてしまう。精霊である以上、おそらく実際は子供ではないのだろうが、泣きじゃくる彼女を見たばかりだから尚更だ。


「俺はハエン。かなり行き当たりばったりだったけど、うまくいってよかったよ」

「あぁ、実に驚いた。精霊の姿を元に戻す……まさかそんな力が存在するとはな。それが人の子の可能性というやつか。それにしても、私たちを知っている人間がまだいるとはな。精霊なんてもう忘れ去られた存在だと思っていた」

「……残念ながらその通りだ。人間っていうのは都合の悪いことはすぐに忘れちまう質だからな。今じゃもう、精霊っていう言葉すら誰も知らないと思う」

「そうか……悲しいが致し方あるまい。それが時代の流れというものだ。しかし、ならばどうしてハエンは知っているのだ?」

「精霊の親友がいるんだ。今は周辺に危険がないか見回ってくれてる。そろそろ戻ってくると思うんだが……」


 口を動かしながらハエンは周囲を見回す。まだフウが戻ってくる気配はない。


「なんと!私以外にも精霊がいるのか!それは会うのが楽しみだな!」

(まさに戦ってた相手がそれなんだけど……魔族だった時のことはあまり覚えてないのか)


 これまでエルデラントの振る舞いを見てきて分かったことだが、どうも彼女は表情の変化に乏しいようだ。表情の代わりに身振り手振りや眼で感情を伝えてくる、という感じだろうか。コロコロと表情が変わるフウとは正反対である。


(可愛い顔なのに無表情……人形みたいな奴だな。そんなこと言ったら怒られそうだが)

「……それはそうと少年、いやハエン。その……不躾とは分かっているのだが、一つ私の願いを聞いてもらえないだろうか」

「……?」


 ハエンが目で続けるように促すと、エルデラントは硬い表情のままこちらをジッと見つめてきた。


「先ほどのように、私の頭を撫でてほしい」

「……は?」


 一体何を言っているんだ、と唖然とするハエン。


「お前に撫でられた時、私は今までにない心地よさを覚えた。あの高揚感を安心感をもう一度感じたい。さぁ、頼む」


 エルデラントは少し顔を伏せ、頭を突き出す。その状態でジッと待機する彼女に戸惑いつつも、特に断る理由もないハエンは手を伸ばした。

 ハエンの手が白銀の髪の上に乗り、左右に動く。

 その瞬間――パァッと花が咲いた。

 もちろん本当に咲いたわけではない。まるで空気に色が着いたかのようにエルデラントを取り巻く雰囲気が変化したのだ。


 表情に変化がなくとも感情がびんびん伝わってくる。

 もし彼女に尻尾があればブンブン振っていることだろう。


(あ、こいつ、滅茶苦茶分かりやすいわ)


 ハエンは撫で続ける。フウとは違うベクトルの感情表現が新鮮に思えた。

 それから数十秒経ち、ハエンは手を離す。もう充分だろうと判断したためだが、エルデラントはそうでないらしい。途端に空気が悲しみの色に染まってしまった。

 再び撫で始めるとまた花が咲くのだが、止めようとすると萎れてしまう。それを数分間に渡って繰り返し、ハエンは口を開く。


「なぁ、エルデラント」

「エルデと呼んでくれ。親しい者は皆そう呼ぶ」

「そ、そうか?なら……エルデ、これはいつまで続ければ……?」

「無論、満足するまでだ」

(えぇ……)


 精霊というのはみんなマイペースなのだろうか。

 結局、終わらせるタイミングを逃したハエンは腕を動かし続ける。


(まぁ、人肌恋しいんだろうな。ずっと独りだったんだし。仕方ないか)


 などとハエンが考えていると――


「――ボクがいない間に、随分と仲良くなったみたいだね」

「うほぁ!?」


 突然声が浴びせられ、ハエンは全身を震わせながら肩を震わせる。横を見るといつの間に戻ってきていたフウが屈んでいた。


「む、お前がハエンの言っていた精霊か?本当に同胞が精霊姿で残っていたとはな。会えて嬉しいぞ。私はエルデラント。エルデと呼んでくれ」

「ボクはフウだよ。よろしくエルデ。……それにしても、楽しそうなことして貰ってるじゃない」

「うむ。初めての経験だが実に気分がいいな、なでなでしてもらうというのは」

「へえぇ……」


 フウの視線がハエンの方に流れる。

 そして何を思ったか、ハエンの頭を撫で始めた。


「ちょっ、お前何してんの!?」

「気分がよくなるって言うから、頑張ったご褒美にって思ったんだけど。どう?気持ちいい?」

「別に気持ちよくもねえし、お前にやられても戸惑いしかねえわ!」

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。じゃあキミがボクを撫でてみてよ」

「いや、やらねえよ!そういうのはそういうことする空気ってのがあるだろ!」

「今更空気も何もないでしょ。さんざんボクの身体を撫で回したことあるくせにぃ」


 フウの爆弾発言でエルデとハエンが固まる。


「ふ、二人はそういう仲なのか?いや済まない、親友と言っていたからてっきり……」

「違う違う違う!フウ!お前誤解を招くような言い方するんじゃねえ!ただ古代遺物(アーティファクト)だったお前を磨いてただけだろ!」

「あっはははは!」


 慌てるハエンを見て面白可笑しそうにフウは笑う。


「……ったく、それで?周辺の様子はどうだったんだ?」

「え?あー、うん、特に危険は無かったよ。魔物も見当たらなかったし。だけど少し離れた所に妙に人が集まってた場所があったな」

「集まってた?」

「うん。ちょっと近くまで寄ってみたら『村はどうなったんだ』とか話してるのが聞こえたよ」

「この村の人たちか。ちゃんと逃げ切れてたんだな」

「……ということは、皆無事なのだな。よかった……」


 記憶が曖昧でも、人間の生活空間である村を破壊してしまったということは理解しているのだろう。

 暴走してそこに自分の意思が無かったとはいえ、エルデは加害者には違いない。罪もない者を殺めてしまっていないと分かった彼女は深く安堵の溜め息をつく。


「あと鎧を着てる人たちもいたよ。そっちには怪我人も結構いたけど、重症ってわけじゃないみたい。それと『隊長を早く助けに』とかなんとか言ってたかな?」

「鎧……騎士か。村人たちを護ってるのか。でも隊長ってのは……」


 ――と、ここでハエンの視界の端に、魔族化していたエルデにやられたまま未だ目を覚まさない鎧姿の男が映った。


「…………やべ、忘れてた」


 治癒魔法薬(ヒーリングポーション)を飲ませたとはいえ怪我人を座らせたまま放置していたことに、ハエンは申し訳なく思いながら頭を掻いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ