体は正直
ズドゴンッ! という離宮全体を揺るがすような轟音に、ミルは飛び起きた。
「何!? 何の音!? ……ってたっつん何してんの!?!?」
真っ二つになった大理石のテーブルの前で、こちらに背を向けて立つクリスに、ミルは状況がさっぱり理解できず驚きと戸惑いの声を上げた。
「痛くねぇ……はは、やはりコレは夢か」
「え、意味分かんない何言ってるの」
犠牲になった大理石テーブルさんは、クリスのHPを欠片も減らすことが出来なかったようだ。完全に無駄死にである。
背を向けたまま、呆然と呟くクリスの様子があまりにも危うく、ミルは困惑と焦燥に駆られ駆け寄ろうとして。
「来るな!」
その気配を感じたクリスから発せられた、あまりに鋭い拒絶の言葉に、ビクリと震えて止まった。
「え……」
初めて、そう初めてだ。
十数年を共に歩み、兄弟よりも近しい親友の、初めて聞く本気の拒絶に、ミルは何を言われたか一瞬分からず頭が真っ白になった。
「……な、んで。た、たっつん?」
「……すまない。今は、俺に近づかないでくれ」
呆然と声を絞り出したミルの心に、感情を感じさせない冷たい言葉が突き刺さった。
それは、明確な拒否。
「え……あ、ぅ……ご、ごめんたっつん。僕何か悪いことした、かな……?」
唯一無二の親友からの拒絶に、ミルの心は一瞬で千々に乱れ、寂しさと切なさが押し寄せた。
そして、その感情の大波が過ぎ去った後に残ったのは、尋常でない程の、恐怖。
ミルにとってクリスは、元の世界とこちらの世界両方あわせても無二の親友であり、絶対の信頼を寄せる仲間なのだ。それはもう、家族といって差し支えないほどに。
「ごめんなさい! 僕が悪いなら直すから、だから、だから……見捨てないで」
クリスに拒絶され、ただ一人でこの世界に打ち捨てられたような感覚に陥ったミルの瞳に、涙が溢れた。
「ち、違う! お前は悪くないんだ! 俺は……」
震えるミルの声に思わず振り返ったクリスが見たのは、まるで親からはぐれた迷子のように瞳を揺らせ、助けを求めミル。
親友であればこそ、ミルの心中を正確に察したクリスが思わず伸ばしかけた手が途中で止まり、ギチリと音が鳴るほど握り締められた。
俺は、自分をこれほどに信じ頼ってくれている友を、裏切りかけたのだ。
いや、裏切りなど生ぬるい。親友に対して欲情するなど、それ以下の下衆だ。
クリスの心に、後悔と自責の念が重くのしかかり、言葉を詰まらせた。
俺がそんな下衆だと知れば、こいつはどう思うだろうか。
最低と見下げるか、裏切り者と罵るか……少なくとも、今まで道りの関係ではいられまい。
そういった不安が、クリスの口を重く閉ざした。
いやいっそ、素直に話した方が、コイツの為なのだろうか。
今も泣きそうな顔で俺の言葉を待つこいつに、お前は何も悪くないと、悪いのは俺だと、はっきり教えてやったほうが、いいのではないだろうか。
クリスは何度も口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じを繰り返し、覚悟を決めると口を開いた。
「すまない。俺は……! 俺が!」
『父上は母上に欲情して、乳をモミまくっていたのじゃ』
「「は?」」
意を決して懺悔をしようとしたクリスの横から、第三者の声。
じっくりと十数秒、その言葉の意味を反芻し、やっと理解したミルは恐る恐る自分の胸を見下ろして、今更ながらはだけた浴衣に気が付いた。
「にょわあぁぁぁ!?」
「た、タマモ! お前いつから起きて……」
慌てて浴衣の前をかき合わせて隠すミル。
自分の罪の告白を横から掻っ攫われ、戸惑いに声を荒げるクリス。
そんな二人を生ぬるく見つめるタマモが、残酷な事実をクリスに告げる。
『父上が跳ね起きた時からじゃ。今日の妾は父上の脇の下で寝ていたのじゃぞ、起きらいでか』
「お……おおぅ。タマモ……」
完全にタマモの存在を忘れていたクリスは、結局タマモの名前を恨めしげに呼ぶことしかできない。
着物の前を直したミルは、そんなクリスとタマモを交互に見ながら信じられないという顔になった。
「えぇ、たっつんが僕の胸を? ……ほんとに?」
「いや、違っ―――」
『横で見ている妾が引いて声を掛けられぬほど、熱心に揉みしだいていたのじゃ』
「うぼあ!?」
「まぢで!?」
クリスの方を向けば、一瞬目が合うもすごい勢いで逸らされた。そしてこの顔が首の方から見る見るうちに赤くなっていく。
その様子にタマモの言葉が事実だと悟り、クリスに釣られるようにミルも湯気が出る程赤くなる。
そんな二人の様子に、タマモは心底不思議そうに首を傾げる。
『というか、なにを二人して動揺しておるのじゃ。夫婦でそういった事をするのは普通ではないのかえ? 何一つはばかる事のない自然の摂理と言える。番に対して発情して何が悪いのか』
「タマモォ!?」
「たっつん、タマモが言ってることは本当?」
「んぐっ!? ……揉んだのは、事実、だ。だが、欲情はしていない!」
「……ふーん」
ミルの視線がツツツーとクリスの顔から下にずれた。
そこには、いまだ存在を主張する/大 霊 峰\の姿が!
「ほーん。ふーん……ほんとに欲情してないの?」
「違う! これは寝起きの生理現象で―――」
『揉んでいるうちに、見る見る大きくなっていったのじゃ』
「タマモェェエェェェ!?!?」
「……たっつん?」
「ぬわ!? ……ち、ちょっとだ! ほんのちょっとだけだ!!」
慌てて前かがみになって股間を隠すクリス。
その怜悧な顔が羞恥に染まるのを見て、ミルの形のいい口が三日月型に弧を描いた。
「へー、たっつん、僕で欲情したんだ。ほー……そういえばこっちに来てから、もう十日もシテ無いもんね」
「い、いや、そういう問題じゃない。つかその腹立つ顔やめろ!」
「ごめんねー、気付いてあげられなくって、欲求不満だったんだね!」
「ちげぇよそんなんじゃねぇ! クソ、これは気の迷いだ!」
「うんうん分かる、分かるよ。僕だからこそ、その辛さは誰よりも分かるとも!」
「会話しろ! 分かってねぇ! ぜってぇ何も分かってないだろお前!」
うんうんと何もかも分かっています。としたり顔で頷き、クリスをニヤニヤと見つめるミルを、全力で否定するクリス。
だが下半身のせいで説得力はいまひとつだ!
「だから―――」
「……だから?」
ミルは腹の立つ笑顔をのままに、いそいそとクリスの元までにじり寄ると、両の腕で胸を強調するように寄せて、浴衣の合わせを人差し指で引っ張り。
「触らないなら、使っていいよ」
挑発するような上目遣いで、そう言った。
「……絶対使わねぇよクソがあああああああああああ」
しかしクリスは己の煩悩を振り払うと、ミル渾身の悩殺ポーズに背を向けた。
そして逃げるように寝室から出て行くのを見送るミル。と、扉が閉まってから、ダメ押しのように声をかけた。
「使いたくなったら何時でも言ってねー」
死んでもつかわねー! チクショー風呂だ! 風呂行ってくる! というクリスの悔し気な絶叫が、扉越しに聞こえてきたのだった。
■◇■◇■◇■
隣の部屋から聞こえるクリスの気配を、ミルは無言で扉越しに感じていた。
そこに先ほどまでのからかうような軽薄な雰囲気は感じられず、張り詰めた緊張感のようなものが伝わってくる。
『の、のう母上、父上はああ言っていたが、決して母上の事を嫌いになったとかではないと思うのじゃ。じゃから、そう気を落とさずにじゃな―――』
それを夫婦のスキンシップを拒絶された事への、悲しみか怒りの感情と受け取ったタマモ。
クリスの前では気丈にふるまっていたが、実は傷ついているのではないか、と。
タマモが言葉足らずながらも、心配げに声をかけてミルのそばへ歩み寄るうちに、隣の部屋の扉が閉まる音がして、クリスの気配が遠ざかって行った。
「……び」
『び?』
「びっくり、したぁ」
謎の緊張をやっと緩ませたミルが、その場にへなへなと腰砕けになって崩れ落ちた。
クリスは羞恥心のあまりろくにミルの顔を見れなかったせいで気付かなかったが、もし見ていればすぐに気が付いただろう。
クリスを揶揄っている間も、ミルの顔がトマトの様に真っ赤なままだったことに。
『なんじゃ母上、怒っていたのではないのかえ?』
「あー、別に怒ってないよ」
『じゃぁ悲しくないのかえ?』
「悲しくもないかなぁ」
『ふーむ……母上が何を考えているのか、妾には分からぬ』
あっけらかんとそう言うミルの足元で、タマモはミルの本心が分からず小首をかしげた。
そんなタマモの姿が可愛らしく、頭を撫でながらミルは苦笑した。
「んー。僕もびっくりしすぎて、自分がどう思ってるのかちょっと分かんないからね」
『夫に触られて、何故そこまで驚くのか理解できぬ。夫婦の間では当たり前にあることではないのかえ?』
「うーん……僕たちはそういう関係をすっとばして夫婦になったというか……」
『十日前は交尾したのであろう?』
「ブッ!? ちちち違うのタマモ、十日間シテ無いっていうのはそういう意味じゃなくてねっ!?」
ストレートなタマモの問いに、ミルはしどろもどろになり、すこし落ち着いていた頬の色がまた赤くなる。
「そ、その、僕達まだそういう事したこと無いっていうか……」
『地上では、ということかえ? それとも天界でも?』
「うぅぅ……両方……です」
容赦のないタマモの追及に、ミルは赤くなったまま俯いた。
タマモには全くその意図はなかったが、童貞アンド処女のダブルタイトルホルダーを馬鹿にされたようで、恥ずかし切ないミル。いや、女性の場合は純潔はむしろ誇っていい事のような気がしないでもないミルだったが、経験がないのは事実である。
『そうじゃったのか、やたらと父上に積極的だったから、それはもう妾の知らないところで、めちゃくちゃ交尾しているのかと』
「んなわけないじゃん! あれは、あんな感じで茶化して有耶無耶にしないと後々ギクシャクしそうだったからああしただけで、めちゃくちゃ恥ずかしかったんだから!」
赤くなった頬を押さえ、恥ずかし気に首を振るミル。
クリスが考えているほどミルは単純ではなく、実は色々と考えていた。
クリスがミルに対する自分の意識の変化を否定するのに必死だったように、ミルも必死だったのだ。
二人の関係が、致命的に変わってしまいそうな、そんな予感がして。
だから恥ずかしさを押し殺し、いつも通りの調子を心がけて、クリスをからかった。
それが、彼も一番対処がしやすいだろうと、予想できたがゆえに。
ミルはまだ気づかない。
お互いに同性だと思っていた一週間前まで恥ずかしくなかったものが、なぜ急に恥ずかしくなったのか。
そう、クリスよりももっと前から、彼女はすでにクリスを異性として意識し始めていたのだ。
それは何時からだったのか。
クリスに迫ったエマに嫉妬したあの夜か。
クリスが料理を美味しいと言ってくれたあの日か。
それとも土竜熊でミルを守ると言ったあの時か。
いや、実はそれよりもっと前からきっと―――。
「うぅ~……たっつんは切り替え早いから。お風呂上がってきたら多分普通に戻ってるだろうけど……僕もそれまでにいつもの調子に戻らないと! ん?」
ぺちぺちと両の頬を軽く叩いて立ち上がったミルは、お尻に浴衣が張り付くような違和感を覚えた。
不審に思い、浴衣の合わせに手を差し入れて恐る恐る内股を確認すると……。
「……うん。取り合えず僕もお風呂にしよう」
『体は正直なのじゃな』
「止めてぇ恥ずか死ぬ……。うぅぅ、たっつんの馬鹿ぁ。こんなんじゃ普段通りとか無理だよぅ……」
ゆで蛸のようになったミルが復活するまで、もうしばらく掛かるのだった。




