肉まんもどき
「……た、お…て……」
まどろみの中、声が聞こえた。
鈴を転がすような、心地の良い声。ずっと聞いていたくなるような可憐な声。
「あなた、起きて。あなた」
あなた、とは俺の事だろうか。
ぼんやりする意識の中で、体を揺する小さな手の感覚。
その揺れがいっそう俺の眠りを誘い、可憐な声をもっと聴きたくて俺は布団の中で横を向いた。
「もう、しょうがないなぁ。ほら、早く起きないとチュウしちゃいますよ」
ゆさゆさと体を揺する手が離れ、それをわずかに残念に思っていたら頭の横の布団が沈み込む感覚。
暖かく小さな手が俺の頬を愛おし気に撫でて、かすかな息遣いを耳元で感じ、次の瞬間、途方もなく柔らかなナニカが頬に触れた。
その余りにも気持ちの良い感触に。俺は薄っすらと目を開ける。
「おはようございます、さぁ朝ですよ。起きてください、あ・な・た」
寝起きでぼやける視界の端に銀糸が流れ、次第に焦点を定める俺の視線が、至近距離で紅玉のような瞳と結びついた。
「おわっ!?」
「きゃ!? ……もう! 驚かせないでください。寝ぼけているんですか? ……あなた?」
大声を出した俺にびっくりしたのか、数歩後退ったあと、腰に手を当てて怒る美しい少女。
輝く銀髪にルビーの瞳。名工の彫像のように無機質なほど整った目鼻立ちはしかし、俺の大声に大いに感情を発露させ、びっくりしたり怒ったり心配そうになったりと、ころころと表情を変えた。
一度見たら忘れられないほどの美少女だが……はて、誰だったか。
良く見知っている気もするし、全然知らないような気もする、初めて会ったような、毎日会っているような。
「お前は……」
「あら、ほんとに大丈夫ですか? あなたの奥さんのミルノワールですよ」
困惑したままベッドに腰かける俺の頬を両手で挟み込み、覆いかぶさるように顔を近づけて、心配そうに可憐な顔を曇らせるミルノワール。
奥さん? あれ、俺って結婚してたんだっけか? ……してたような気がするな。そうか彼女は俺の奥さんか。そういえばそうだ、何で忘れていたんだろう、俺は結婚していて彼女のことをミルと呼んでいたじゃないか。
「あぁ、すまないミル。本当に寝ぼけていたようだ」
「やっと目が覚めましたね。本当に忘れられちゃったのかと心配になったじゃないですか、もうっ」
心配そうな顔が、ぱぁっと明るくなり、そして怒ったように唇を尖らせた。
ころころと変わる表情が愛おしくて頬を撫でると、自分から嬉しそうに俺の手に頬ずりするミル。
思わず引き寄せて口づけをしようとしたら、一瞬早く身を引かれてしまった。
「さぁ目が覚めたらまずはご飯を食べてください。早くしないと大学に遅れてしまいます」
その柔らかな唇を味わえなかったことを残念に思いながらも、俺はベッドから立ち上がった。
そうだった、俺は大学生だった。今何時だ? 早く着替えて大学に行かなければ。
時計を探して部屋を見渡す。
実家の俺の部屋。八畳のフローリングにベッドとタンスと勉強机にパソコン、リクライニングチェアの上にはVRマシン。見慣れた自分の部屋のはずなのに、なぜかとても懐かしく感じ、不覚にも泣きそうになった。
「ほら、早く着替えてください。実はもう朝ご飯は持ってきているんですよ」
ミルのご飯はとても美味しい。
俺が期待に胸を躍らせ振り替えれば、朝食を乗せた皿を持ったミルがいた。
近くで見ていたら分からなかったが、ミルはセーラー服の上からピンク色のエプロンをしていた。とても可愛い。
セーラー服? ……そうか、彼女はまだ15歳で中学生だもんな、だからセーラー服か。
うん? 俺って結婚してるんだよな? 15歳って結婚できたっけ?
「どうしたんですか? たっつん、暖かいうちに食べてください」
戸惑う俺の目の前に、真っ白な皿が突き出された。
その上に乗っているのは、一個の肉まん。いや肉まんにしては少々小ぶりな、しかし小籠包と言うには大きい、微妙な大きさの肉まんもどきだった。
「ほらほら、早く食べてよ」
「あ、ああ」
何か途轍もない違和感が俺を襲うが、急かすようなミルの声に、戸惑いながらも肉まんもどきに手を伸ばした。
少し冷めてしまったのか、人肌のそれは俺の手の中でふわふわと形を変え、脳みそをとろけさせる様な途方もない柔らかさで俺の手のひらを迎え入れた。
「はやく食べて、はやく」
そう急かすミルに、俺は焦って手のひらの肉まんもどきを取ろうとするが、それは形を変えるばかりで皿に引っ付いたように全く取れない。
「どうしたの? はやく、はやく」
なぜか焦燥に駆られるその言葉に、四苦八苦しながら肉まんもどきを掴みあげようとする俺の手をあざ笑うかのように、それは縦横無尽に形を変えて俺の手を翻弄する。
仕方ないので、先端の少し硬い部分をつまんで引っ張ってみたが、やっぱり皿から取れることはなかった。
「ナニ? たっつんってば僕のご飯が食べれないっていうの」
怒ったように次第に低くなる声、鈴を転がすような可憐な声はしまいには低い男の声になっていた。
「いやだってこれ取れねぇ……って、え? 稔?」
「みのる? 違うよ、僕は君の奥さんのミルノワールだよ」
「は? え? はぁ!?」
抗議するために顔を上げた俺の目の前には、よく知った幼馴染の顔があった。
目が隠れるくらい伸ばされた黒髪と、男としては低い身長。お世辞にも逞しいと言えない細い体を大きめの野暮ったいスウェットに包み、見た感じのオタクっぽいというか根暗っぽい雰囲気に拍車をかけている。
そう、それは俺がよく知る幼馴染の姿。
高校まではそれでも普通の範疇だった雰囲気が、大学でネトゲにどっぷりと漬かり、とても残念な感じになった親友。
自称モテない陰キャ、大谷稔。
いや、本人は知らないが、実は高校の時はそこそこモテていたのだ。
昔の顔は幼い感じの可愛い系で、負けず嫌いだからライバル認定したイケメンに突っかかっては返り討ちにあい涙目で睨みつける、そのチワワ的行動と雰囲気が大人気だった。主にホモに。
そう、何故かコイツがライバル認定するイケメンはホモが多かった。インテリイケメンホモだったり、スポーツイケメンホモだったり、ヤンキーイケメンホモだったり。
一度ヤンキーイケメンホモに体育館裏に壁ドンで押さえつけられているのを助けたときなどは、本人は気付いていないが本気で貞操の危機だったと言っていい。
だがそれも昔、可愛い少年も二十歳過ぎればただのおっさん。髭も生えればすね毛も生える。
そんな残念なことになった幼馴染、しかし親友であり戦友である稔が、目の前で何故か頬を染めながら体をクネクネと揺らし俺の奥さんだと言う。
控えめに言って気持ち悪い、意味が分からなくて吐きそうだ。
「もう、なに? そんなに僕に食べさせて欲しいの? そうならそう言ってよ。ダーリン♪」
「キモッ! え、お前まじでホモに目覚めたの!? 俺はノーマルだから止まれ触るな近づくな!」
「んふふふ。そんなこと言って本当は僕の事好きなんだろう? 知ってるんだぜぇ」
「手をさわさわするんじゃねぇこのホモ野郎!」
コイツがライバル認定する相手はホモが多かったし、確かに俺とコイツは個人戦の対人戦ではライバルだったが、俺は断じてホモじゃねぇ! 巨乳が大好きな健全な男子だ! ついでにロリコン疑惑も断固否定する!!
肉まんもどきを持つ俺の手を撫でまわす稔の手の感触に鳥肌が立ち、振り払おうとするが手が肉まんもどきから離れない!
「なんで離れねぇんだ!? しかもこんな時ですらやたら柔らかくて触り心地いいし!」
「あははは、それはたっつんが心の奥底で僕の事を求めているからだよ。ほら心の声に素直になって」
「断じてあり得ん! 俺は女が好きなノーマルだあああああ!」
「意地悪だなぁ。ちゅーしたら認める? ほらチ゛ュー」
「や、や、や、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああ!」
唇を尖らせ近づいてくる稔の顔、それにミルだった時の可愛らしさは欠片もなく、ただただおぞましさに俺は悲鳴を上げた。
■◇■◇■◇■◇■
「っぁぁぁああぁ!?!?!?!?」
自分の絶叫に、俺は飛び起きた。
「!?!? …………ゆ、夢か」
あたりを見回して一瞬見覚えのない室内に混乱したが、すぐに昨日泊まった離宮の一室であることを思い出し、やっと自分が悪夢を見ていたことを理解した。
冷や汗でぐっしょりと濡れた額に纏わりつく髪が煩わしく、肌に張り付く浴衣が気持ち悪い。
それにしても妙にリアルで、酷い夢だった。
特にあの肉まんもどきの感触など、まるで本当に触っているような―――。
そう考えて思わずにぎにぎした俺を手を跳ね返す、覚えのある弾力。
「!?」
布団の中にある手に、最高の揉み心地なのに、最悪の悪夢を思い出させる感触に、俺は慌てて布団を剥ぎ取った。
そこには、着物をはだけさせ、全裸に近い格好で眠るミル。
そして、浴衣の前合わせの中に入ってしまっている俺の手。
「―――はぁぁぁぁぁぁ、なんだミルか……」
俺は悪夢の残滓を吐き出すように、盛大にため息を吐いて、知らず強張っていた体から力を抜く。
あれは夢、あれは夢、そう自分に言い聞かせ、起こさないように浴衣の中まで入り込んでしまっている手を引き抜こうとして……やっぱりやめた。
「つか、何で俺がコイツに遠慮しなきゃなんねぇんだよ」
昨日自分のスペースといって線引きした部分を、余裕で乗り越えて俺のスペースを占有する無法者。隣で幸せそうに寝こける親友にイラッとした俺は、手のひらを柔らかく押し返すそれを、ゆっくりと転がした。
ミルが微かに身じろぎするが、関係ないね。
つーかこの感触、夢の雲行きが怪しくなった肉まんもどきはやはりコレだったのか。つまり悪夢の元凶はコイツだ。
寝起きのラッキースケベ? 馬鹿言うな、鈍感系主人公なら顔を真っ赤にして飛び起きるシチュエーションだろうが、俺は違う。
考えてもみろ、コイツの中身は男なのだ。普通の男が男の胸に興奮するか?
いくら柔らかくても、男のデブの雄っぱいに発情したらそれはもうノーマルでなくホモなのだ。
その証拠に、コイツの胸を触っていても俺の息子は欠片も反応しない。あの悪夢のせいで萎えまくったままだ。それこそが俺がノーマルであり、同性の親友相手に発情しない健全な男子である証拠であるのだ。
……しかしコイツ、男のくせになんて柔らかくて手触りのいい吸い付くような雄っぱいしてやがるんだ。
しかも揉んで初めて気づいたが、体の割に思ったより大きいな。体のサイズから考えれば巨乳の部類に入るんじゃないか?
ツンと上を向いた形も素晴らしい。それでいて硬さもなく手の中で転がすのにちょうどいいサイズ感。吸い付くような滑らかな肌触りと柔らかさ。
あれ、これって俺が今まで揉んだ中でも、最上位に入るんじゃ?
そういえば、悪夢の前半はそう悪くなかったな。俺の好みからはちょっと幼すぎるが、料理上手でかわいい奥さんか。
……もし、それがミルじゃなけりゃ、俺も我慢できなかったかもしれんなぁ。
「んんっ!」
「!?」
突如声を上げたミルに、俺は思わずミルの胸元から手を引っ込めた。
し、しまった。あまりの手触りの良さにずっと揉んでしまっていた。電話中にするラクガキぐらい無意識の行動だった。
二十分ぐらいそうしてたせいか、そこには全身をほんのりと火照らせ息を荒くするミルの姿が!
起きたか? やばい何て言い訳しよう。
そう焦って言い訳を考える俺に、ミルはぼんやりと薄く目を開け、とろんとした目のままこちらを見ると、ふんわりと笑った。
「うにゅ~。ねむいー、さむいー、たっつんの、手あったかい~」
暖を求めてか、ミルは浮かせた俺の手を引っ張ると頬に当て、幸せそうに頬ずりするミル。
それが、夢の中のミルと、重なった。
俺は何故か、その幸せそうな笑顔と、上気し桜色に染まった肌から目が離せない。そして、下半身に熱が集まるような感覚。
俺の手の感触に安心したのか、またすうすうと寝息を立て始めたミルから強引に視線を外し、違和感を感じた自分の下半身を確認した俺は……ショックのあまり言葉を失った。
そこには浴衣を押し上げる、雄大な大霊峰の姿が!
馬鹿な、俺が……コイツに欲情しただと!?
俺は、ミルを起こさないようにゆっくりと手を引き抜き、ベッドから這い出すと目についた大理石のテーブルにの前までふらふらと移動して、手を付いてうな垂れた。
「はは、これは夢だ、俺はまだ悪い夢の中にいるんだ」
テーブルから視線を上げて天井を見上げ呆然と呟き、それでも足りないと背面の壁が見えるほど背をのけ反らせるて。
――― 全力で、頭をテーブルへ打ち下ろした。




