愛ってなんだ?
「何か、ミルさんの様子おかしいと思わないかい?」
四日目の移動も終わり、夕食の準備に取り掛かっている時間。アルトはフランシスカにそう切り出した。
「あれをおかしいと思わなかったら、貴方の目は相当の節穴だと思う」
ミルの方を見ながらそう返すフランシスカ。二人が買い出しから戻ってミルとクリスに合流すると、明らかミルの様子がおかしかったのだ。
今も猛スピードで野菜を刻み、切られた野菜が弧を描き空を飛んでボールに入っていくという中華料理漫画のような絶技をポーっとしたまま手元の確認もせずにやっている。
スキル効果で自動的に動く体に首から上が付いていかず、時折カクンカクンと揺れるので何やら操り人形がひとりでに動いているような不気味さがあった。
「クリスさんの方は普通だし、気にしていないみたいだけど狩りの時に何かあったのかな?」
「アルトにはクリスさんが普通に見えるの? アタシにはあえてミルさんと距離を置いているように見えるけど」
移動中もぼーっとしているミルをそのままに、馬車の御者席から動かなかったクリス。
今もミルに声を掛けることなくテントを立てて、夕食の竈作りに勤しんでいる。
ミルも上の空のまま黙々と夕食作りに勤しんでいるので、声を掛けなくても息ぴったりに役割分担できているあたり、流石夫婦という感じだが。
「ええ!? そ、そうかな? 全然普通に見えるけど」
「……アルトってそういう機微に疎いよね。ボッチオブボッチのあたしより空気読めないとか、そんなので社交界とか大丈夫なの?」
「ボッチオブボッチって? たまに君の語彙の出所が分からなくなるな。それと流石に下心満載な子はすぐに気づくんだけど、こういうのはちょっと……」
「ミルさんが言ってた。あたしみたいなのをそう言うんだって。それはそうとホントにミルさんが初恋なんだ。という事はやっぱり童貞?」
「ブッ!? フ、フラン! そういう事を女の子が言っちゃダメだよ!」
「女に幻想を抱いているあたりやっぱり童貞臭い。ちなみにアタシもギリギリ処女だし別に恥ずかしがらなくてもいいのに」
「ギリギリ!?」
つい先日オークリーダーに人間の尊厳ごと奪われそうになったのをこうして冗談めかして言えるあたり、フランシスカのメンタルは相当強い。田舎の寒村で虐げられながら生活していた過去を鑑みれば、褒めるべきか同情するべきか悩むところではある。そして乾いたスポンジのように周囲から知識を得るのはいいが、ミルから学ぶと碌な情報が出てこないのでむしろ学ばない方がフランシスカの為であった。
あと、ついでのようにさらっと誘導尋問してアルトが貴族である事を確定させているのも強かである。
「喧嘩でもしたのかしら?」
「あの二人が喧嘩するって想像できないけど……普段のじゃれ合いは別として」
「確かに。どちらかというと、お互いが照れて妙な距離感が出来てるというか……お子様カップルみたいに恥ずかしがってる?」
「照れ? それこそあの二人には無縁じゃないかなぁ。全然遠慮とか無さそうだけど」
長年同性の親友をやっていただけあって、夫婦であってもどうしてもできる性差という溝がゼロなので、周りから見ればそう見えていた。あの二人には、親しき仲にもあるべき礼儀が欠落している。
普段のミルとクリスの距離感は並の夫婦より断然近いのだ。
「これを機にミルさんを口説こうとか考えちゃダメだよ」
「し、しないよそんなこと!」
「そ、ならいいけど。でも二人があの調子じゃこっちも調子が狂うわ。あたし、ミルさんに声を掛けて来るから、アルトはクリスさんに話を聞いてきて」
「ええ!?」
「なによ不満なの? やっぱりミルさんの方がいい?」
「い、いやそういうことじゃなくって、夫婦間の問題に嘴を突っ込むのはどうかと……」
「まぁ言いたい事も分かるけど、人に話すだけでも頭の中まとまる事ってあるじゃない。些細な事でもちょっとずつ恩を返していきたいから、あたしは行く。アルトがどうするかは任せるわ」
「……そうだね。分かった。僕もクリスさんには話があったから、丁度いいと思おう」
「あら、ライバル宣言でもしてくるの?」
「―――ミルさんから一本も取れないうちじゃ、おこがましいとは思うけどね」
「……ホントに?」
冗談で言った事に思いのほか真剣に返されてメガネの下で目を見開くフランシスカ。
「どちらにしても、クリスさんを差し置いてミルさんへ想いを伝えることなんてできないんだ。いい機会と思って、まずはクリスさんに当たって砕けてみるよ」
「……魔王城に1パーティで突入したアリア様達の方が、まだ生存確率高そうね」
オークの村を一撃で殲滅したクリスの魔法を思い出し、憐み満載の視線をアルトに向けるフランシスカ。
「い、いや別に決闘を申し込みに行くわけじゃないんだから……」
「愛する妻を寝取ろうという男に対して、話が穏便に進むとでも?」
「寝とっ!? フランのそういう下世話な知識はどこから来てるのさ!?」
「師匠、どろどろ愛憎劇小説好きだったから……」
「偏ってる、偏ってるよその知識! 僕はあくまで筋を通すだけだから!」
「……無茶しやがって」
「何その不吉な響き!?」
無自覚にアルトへ死亡フラグを残したフランシスカは、ミルの元へ訪れた。
「ミルさん」
「……」
「ミルさん、ミルさん」
「……」
「ミルさーん。おーい」
「……」
近くで呼びかけても、目の前で手を振ってみても反応しないミル。
その間も手は動き続け、野菜が宙を舞いボールからはみ出して山になっている。早く止めないと今にも崩れそうだ。
「あ、クリスさん」
「ふぇあ!?」
――― ズパンッ!
手が滑ってまな板ごとテーブル替わりの岩が真っ二つになった。
「あぁ!? 新品のまな板が! い、いやこれは違うのクリス。わざとじゃ―――って、あれ?」
「ごめんなさいミルさん。呼びかけても返事が無かったので一芝居打ちました。クリスさんはあっちで竈を作っていますよ」
「あ、そ、そうなの? まままぁクリスとかどうでもいいんだけどね」
そう言ってまた野菜を切り始めるミル。切れたまな板は二つのうち大きい方を使う事にしたようだ。
「いやーやっぱりジュウサンキロの切れ味はすごいねー。岩が綺麗に真っ二つだよー。別にまな板置くぶんには真っ二つでも問題無いけどねー」
「クリスさんと何かあったんですか?」
――― スッパン!
ドストレートなフランシスカの問いに。またも被害を受けるまな板と岩。
「ななななな何の事かなー!? 別にクリスとか何も無いしあんなイケメンどうとも思ってないし!!!」
思わずジュウサンキロをまな板に突き刺すミル。岩を貫き柄までまな板にめり込んだ。
「はぁ。まぁミルさんが旦那さん大好きなのは見てれば分かるんですが―――」
「だだだ大好きとか無いし!? クリスなんてただの幼馴染のイケメンだし!」
「あぁ、幼馴染なんですね。だからあんなに仲良しなんですか」
「仲良しッ!?」
「仲良しでしょう?」
「べべべ別に仲良し違うし!」
「違うんですか?」
「……仲良しカナー?」
「どっちなんですか?」
「……仲良しデス」
最終的に耳まで赤くなって両手の人差し指をつんつん合わせながら小さくなった。
その姿にフランシスカも思わずほっこり。
横手で切られた岩が重い音を立てながら倒れたのは見なかったことにした。
「で、その仲良しでイケメンな旦那さんと一体何があったんですか? 喧嘩でもしましたか?」
「い、いや別に喧嘩なんてしてない」
「んー? じゃぁなんでクリスさん避けてるんですか?」
「べ、別に避けてないし。普通だし」
「全然普通に見えないからこうして声を掛けたんですよ。何があったか聞かせてもらえませんか?」
「えっと……うー」
つんつん……てれてれ……ポンッ。
またも人差し指同士をツンツンして、続いて頬に手を当ててクネクネして、最終的に真っ赤になって湯気を出したミル。
あ、話す内容を整理してたら何か思い出したな、とフランシスカは察した。とても分かりやすい。
「あのね、えっとね」
「はい」
「そのね、うんとね」
「はいはい」
「うー……笑わない?」
「笑いませんよ」
一向に話し始めないミルを辛抱強く待つフランシスカ。
女々しい事この上なく中身を知っているクリスが見れば『ウゼェ!』とチョップ必至であるが、透明感のある可憐な美少女がその白い肌を桜色に染めて照れまくる姿は非常に可愛らしく、フランシスカは更にほっこりした。ずっと見ていたいくらいだ。
「クリスってね、基本的に回復役なんだけど私とペアの時は盾役もするのね」
「そうなんですか」
「うん。もともと私が火力重視過ぎて防御力が低いからなんだけど」
「なるほど」
「でね、今日の狩りの時に、クリスが一人で戦ってたんだ」
「あれ? ミルさんが火力役なんですよね?」
「そうだよ。でねでね、色々あったんだけど、何でそんな事したの? って聞いたら」
「聞いたら?」
「私を守るためだって! キャー! クリスってば私の事好き過ぎて困っちゃうよねー! キャー!」
感極まって完全に乙女化するミル。この瞬間は男要素が完全に死滅していた。
そして、うん? と思うフランシスカ。思わず疑問がポロっと口から落ちる。
「盾役が火力役を守るって、普通なんじゃ」
フランシスカの何気ない問いに、くねくねして湯気を出していたミルの動きがピタリと止まった。
「え? あれ? アタシ何か変な事言いました? あ、えっと勿論クリスさんがミルさんを大事に思ってるのも事実だと思いますよ! 愛されていますねミルさん!」
凍り付いたように動かなくなり、見る見るうちに真っ赤だったのが真っ白に戻っていき、いつもよりも更に真っ白になってしまったミルに慌ててフォローするフランシスカ。
「……そうだよ。考えてみればそうじゃん。パーティで盾役が火力役を守らなくて何するって話じゃん。そうしなきゃパーティ全滅するじゃん。え、ってことはクリスっては一般論を普通に話してただけ? 僕を守る為じゃなくてパーティの為に火力を守るってだけの話???」
ミルの男心さん復活。
呆然とするミルにフランシスカのフォローは届くことなく、言葉の冷水をぶっかけられたミルはやっと今までの自分の行動を冷静に鑑みる。
「だいたい僕ってばなにその気になってんのたっつんは幼馴染の男じゃんそれなのにちょっとカッコ良かったからって真っ赤になってバカじゃないのというか何で僕赤くなったりドキドキしたりしてんのあれだけ自己主張の激しい男心どこ行ったの今朝まであんなに元気だったじゃんホルモンなの?ホルモンのせいなの?女性ホルモンがイケメンに対して子宮をキュンキュンさせちゃうの?貴方の赤ちゃんが欲しいのって?確かに僕とたっつんの子供は容姿勝ち組確定だけどだからといって子孫繁栄のためにたっつんとそういう事をするのは違うというかそういう事はやっぱり好きな人じゃないと嫌というかたっつんならちょっと考えなくはないけどまだちょっと早いんじゃないかなって思ったりしたりしなかったりでもまずはご両親への報告からってそういえばうちの両親たっつんの両親と仲良かったなぁって違うし向こうじゃ僕って男だしっていうかこっちでも心は男のつもりだし僕の男心は女性ホルモンなんかに負けないしぶつぶつぶつぶつ…………」
「あの、ミルさん! 大丈夫! 大丈夫ですよ! ちゃんとミルさんは旦那様に愛されてますから! 大丈夫です!」
どんどんハイライトが薄くなっていく瞳と、よく聞き取れないが青くなったり赤くなったり白くなったりしながら地面に向けてブツブツと小声で何やら話しかけ続けるミルに不吉なものを感じ、必死に声を掛けるフランシスカだが、自分の世界に沈み込んだミルにはやはり届かない。
「愛? 愛ってなんだ? ためらわない事さ」
「ためらわない? 何をですか?」
「―――――攻撃」
「それはダメですよ!」
いやちょっと届いていた。
無意識に口ずさんだ台詞にフランシスカが反応し、ミルの思考がいけない方向に流れる。
テンパりすぎて口調が素になっているが、昼間にミリアに聞かれたときのように慌てる余裕もなく、自己同一性を守るのに必死だ。
「ふふふ。そうだよ、悩むなんて僕らしくないよね。悩んだら取り合えず殴ってみるのが僕なのに。ふふ、ふふふ、ふふふふふふ……たっつんには恥ずかしい所見せちゃったなぁ。いっぱい殴ったら記憶も消えるかなぁ」
「あの、あの! 暴力はいけないと思います! 平和的に話し合いでっ! ねっ!」
フランシスカの脳裏にオークリーダーを家ごと消し去り雲を割ったミルの攻撃が過る。
流石のクリスさんもあんなの食らったら死んじゃう! と、自分の余計な一言が致命的な事態を引き起こしそうで戦々恐々とした。
「元はと言えば、たっつんが無駄にイケメンパワーを発揮して思わせぶりな事言うからいけないんだ。そうやってこれからも無意識に女の子口説いていくんだろうなぁ。そしてこんな風に勘違いした女の子を食っていくわけだ。まさか僕まで口説かれる側に回るとは思わなかったよ。恐るべきはイケメンパワー。いけない子だなぁ。ふふふ、そうだ、そんな口は閉じてしまえばいいんだ。そう、永遠に開かないように閉じてしまわないと」
「ダ、ダメ、ミルさん!」
幽鬼のようにゆらりとクリスのいる方へ向き直ったミルに、非常にまずいものを感じたフランシスカは慌てて手をつかんで止めようとしたが、ミルが動く方がほんの少し早く、その手は空を切った。
「にげてー! クリスさんにげてー!」




