護るべきモノ
クリスは土竜熊に向かって近づいた。
それはもう散歩するようにスタスタと、無造作に距離を詰める。
――― ゴルアァァァァァァ!!!
接近するクリスに土竜熊が咆哮を上げた。
だがその咆哮は先程までの威圧感のある物とは程遠く、まるで怯えを隠す叫び声に聞こえる。
――― ゴアッ! グルアアアアア!!
更に近づいてくるクリスに、土竜熊がその巨大な両手を地面から離し立ち上がった。
立ち上がれば4メートル近い巨体、体に不釣り合いなほど発達した筋肉と鋭い爪を備えた巨腕、体と比例して大きな口からは涎を撒き散らし、ゾロリと並ぶ黄ばんだ牙は凶悪そのもの。
なのに、その姿がなぜか小さく見えた。
土竜熊を小さく見せている元凶は、変わらず歩を進める。
眼前の狂獣を意に介さず、真っ直ぐに。
明らかに場を支配しているのはクリス。
ただ何気なく歩くその姿に、怯えにも似た咆哮を上げる土竜熊。
土竜熊の本能は警鐘を鳴らし続けていた。
コイツはヤバイと。今すぐ土に潜って逃げるべきだと。
だが、これまで幾人もの冒険者を屠ってきた平原の王者としての矜持がそれを許さない。
クリスが間合いに踏み込んだ。その瞬間、土竜熊が動いた。
人間からは相当に遠い間合いで振るわれる豪腕。
怯えを上書きするように唸りを上げて放たれた一撃は、しかし野生の本能のなせる技か、その内心とは裏腹に正確無比にクリスの頭蓋を狙う。
「グルァ!!」
「【硬化】」
クリスが頭上に掲げた片腕に、土竜熊の右腕が激突した。
その衝撃で大地が割れ、もうもうと土ぼこりが舞い上がる。
1トンを超える質量を誇る巨体が、腕を振り上げ全体重を乗せて叩き下ろす一撃は大型トラックの激突にも似て、 並みの冒険者ならばミンチになって余りある一撃。
離れた自分の立つ場所まで伝わる凄まじい衝撃に、息をのんだミリアは思わずミルを見た。
「大丈夫」
だが、ここにいる者は並みではない。
瞬きもせずにじっとクリスを見ていたミルが、まったく動揺することなくミリアを安心させるように呟いた。
もうもうと立ち込めていた埃を、場違いに暖かな春の風が流し、晴れる。
そこには変わらぬクリスの姿が。
「……すごい」
意図せずミリアの口から感嘆が漏れた。
よくよく見れば、クリスの足元の地面はひび割れ、すり鉢状に陥没している。
にも拘らずダメージを受けた様子は微塵もなく、悠然と佇む姿は余裕そのもの。
これこそクリスが使ったスキル、【硬化】の威力―――ではない。
「ふむ。【硬化】させた地面がこの有様か。大した威力だな」
クリスが硬化させたのは自身ではない。というかこのスキルはそもそもプレイヤーに掛けるような支援魔法ではないのだ。
ゲーム時代の地面は破壊不能オブジェクトであったため、そんな心配をする必要も無かったが、ゲームが現実となった今、ほぼ真上から来る見るからに威力のある攻撃を普通に受ければ、ハンマーで叩かれた杭のように地面に下半身が埋まりかねないので、念のため地面を硬化しておいたのだ。
本来鍛冶師が武防具にするエンチャントなのだが、こちらではゲームと違い地面にも効果があるらしい。
下半身が地面に埋まってしまっては、いくらダメージが皆無といってもその後の状況が不利になるのは免れない。
それよりなにより、そんな絵面じゃどんなにシリアスな場面でもギャグ回不可避。ミルに指さされて笑われる未来が容易に想像できる。そんなのは絶対に回避だ!
己の咄嗟の機転でギャグ回回避に成功したクリスは満足げに笑う。
一方、絶対の自信を持つ一撃を余裕を持って止められた土竜熊。
混乱、恐怖、焦燥、矜持その全てがない交ぜになり、その脳内は混沌を極めた。
「ガウゥ!? ―――ガ、ガアアアアアァアァアアァアァァァァァァ!」
だが最後に打ち勝ったのは王者としての矜持。そして自慢の一撃を止められたことに対する、怒り。
受け止めた際にクリスが笑ったのを、己に対する嘲笑と受け取った事もその怒りに油を注いだ。
己が攻撃の前にひれ伏さぬ存在などあってはならぬ。そんな存在を認めるものかと、一撃目を上回る気迫を両腕に乗せ、何度もクリスに振り下ろした。
「うお!? ちょ、ちょま」
それをこちらも両手を交差させ、俗に言うクロスアームブロックで受けるクリス。
一撃の威力は絶大。されどダメージなど皆無。
だが、ここにきて初めてクリスに焦りが浮かんだ。
一撃毎に段々と低くなる自分の視線。
クリスが膝を折っているのではない。
周囲半径2メートルの地面が、少しずつその陥没具合を深くしているのだ。
クリスは落とし穴に落ちたように穴の中に佇む自分の姿を想像した。
そしてそれを上から見下ろすミル。上がる口角、下がる目尻、これでもかというほど人を小馬鹿にした表情。擬音にするとプギャー。
「いい加減にしろ!」
そんな未来は断じて認めんと、クリスは土竜熊の両手の爪を掴んで止め、空間術師の拘束用魔法【空間固定】をもってその両手を空間ごと拘束した。流石のクリスも力強さ初期値では土竜熊を捕まえ続ける事など出来ない為魔法を使ったのだが、無詠唱で施行されたそれを土竜熊が気付くことは不可能だった。
止められた土竜熊は、押しても引いてもビクともしないクリスに一瞬怒りも忘れて唖然としたが、思うようにいかぬ事態により一層の怒りを再燃させ、目の前の存在を否定すべく文字通り牙を剥いた。
土竜熊の武器は発達した両手と爪だけではない。その牙と顎も頑強にして強靭。鋼のフルプレートを着た騎士を、鎧ごと噛み千切る力がある。
だが、その自慢の牙もこの瞬間だけは下策。
自ら近づいてきた敵の顔に向け、クリスはこれ幸いと飛び上がると、下からカウンターで蹴り上げた。
「ゼアッ!」
「ゴアッ!」
だが土竜熊もさる者。その太い首でカウンターによる衝撃を受け切り、脳が揺れる事は回避する。
だが顎をカチ上げられたせいでのけ反り、たたらを踏んで数歩後ずさった。
その空間に、魔法を解除し飛び上がった勢いでクレーターから脱出したクリスは体を滑り込ませる。
「ハッ!」
上半身に比べて軟弱な足に下段蹴り。
しかし、それでも普通のヒグマの三倍はあろうかという巨大な下半身は、一撃で沈む様なことは無く持ちこたえる。
だがクリスの蹴りも一撃では終わらない!
「オラオラオラオラオラオラッ!」
下段蹴り、下段蹴り、下段蹴り。隙を見ては相手の膝を足場に飛び上がり腋に上段回し蹴り。
土竜熊もクリスを捕まえようと動くが、完全に懐に入られてはその巨体が逆に仇となりなかなか捕まえることが出来ない。
しかし、クリスも土竜熊の耐久力が高く、なかなか決定打を撃てずにいた。というか力強さが初期値なのだから、いくら正確に急所にクリティカルさせても限界があった。レベル差があるのでノーダメージという事はないが、削り切るには些か時間が掛かる。
十分を超える激戦。土竜熊もクリスの攻撃が自分に致命的なダメージを与えるものではないと気付き防御を捨てて爪を、牙を振り回すが、その尽くをクリスは受け止め、避け、時には流し捌いていく。
その永遠と続くかのような攻防を、一心不乱に見つめるミリア。
土竜熊の爪や牙がクリスを捉えそうになる度息を飲むが、それがクリスを捉える事は無い。
正直、回復職のクリスがここまでの体術を操るとは予想外だった。ミルが大丈夫と太鼓判を押した理由が、今ならば良く分かる。
「何やってるんだよ。もう、時間が……」
「……え?」
クリスの惚れ惚れするような佳麗でかつ実直な体術に、引き込まれていたミリアの耳に、ミルの焦燥を含ませた呟きが聞こえた。
ふと横を見れば、最初の余裕の表情を崩し、焦りと心配を浮かべるミルの顔がその視界に映る。
「ミルちゃん、時間って……?」
「え? ええっと、な、何でもないです」
しまったという表情を一瞬浮かべ、取り繕うように笑うミル。
それを不審げに見つめるミリア。
そして、はたと気付いた。
そうか、補助魔法の効果時間!
補助魔法は術者の力量により効果時間が多少変化するが、大体長くても15分程度だ。
クリスが戦い始めてすでに十分以上経過している。いつ補助魔法が切れてもおかしくない。
確かにクリスの体術は達人クラスだ。そして、それを支えている回復職としての補助魔法も超一流なのだろう。
だが、それならばなおさら補助魔法が切れれば不利は必至。
その隙を土竜熊が逃すとも思えないし、再度掛けなおす事を許すとも思えなかった。
状況を理解しミルを見れば、ミルも真面目な顔で頷いた。
「戦闘に夢中になり過ぎて忘れているのでしょう」
「そんなっ! じゃぁどうすれば……」
「戦闘に集中していて聞こえるかどうかわかりませんが、一緒に大声で呼び掛けましょう。それでも気付かないようなら、割って入るしかありません」
「わ、わかった!」
正直自分があの戦闘に割って入るのは力量不足も甚だしいが、ここは命を懸けて天人様をお守りする時。とミリアも覚悟を決めた。
ミルとミリアは、お互い大きく息を吸い込むと併せて声を張り上げる。
「「クリス(さん)!!」」
「あんまり遊んでると旅隊出発しちゃうぞ!!!」
「補助魔法が―――あれぇ!?!?」
――― ザンッ!!!
ミルの声が響いた瞬間、宙を舞う三つの塊。
土竜熊の両腕、そして、頭。
「はぁ!?!?」
状況を理解できず、頭が真っ白になるミリア。
クリスは、土竜熊を切り裂いた黄金に輝く長剣を振り抜いた姿勢から立ち上がると、血のりを払いその諸刃の剣身を鞘に納める。
チンッという微かな音に少し遅れて、ドスドスドスンと落ちてくる三つの塊。
そして思い出したかのように血を噴出し、首と両腕を失った胴体がズシンという地響きと共に仰向けに倒れた。
鞘に納めた剣をインベントリに仕舞い、クリスは息も乱さず悠々とミルとミリアの元にもどると、満足げに笑った。
「あー、楽しくってついつい時間を忘れてたわ。体が思い通り動くってすげぇ楽しいな」
「わかりみが深い」
「ええ!? はぁ!? ま、まさか今まで本当に遊んでたの!? 土竜熊相手に!?」
驚愕に思わず詰め寄るミリアに、思わずのけ反るクリス。
「い、いや、遊んでたわけじゃないぞ。体術は滅茶苦茶本気だったさ。ただ流石に力強さが低くて体術でダメージを稼ぎきれなかったから、最後は剣を使ったけども」
「はあぁ!? じゃぁ剣を使ったら何時でも止めを刺せたってこと!? じゃぁミルちゃんが心配してたのは本当に旅隊の出発時間だけ!? 補助魔法の効果時間とかは!?」
「補助魔法? ……いや、使ってないが?」
「はああぁぁあぁぁぁ!?!?」
こうして幾人もの冒険者を屠り、このエリアに長く君臨していた草原の王者は、旅隊の出発時間の関係で呆気なく討伐されたのだった。
「じゃぁさっさと解体して急いで戻りましょうか」
「……待ってミルちゃん。解体は私がやる……ちょっと手を動かして心を落ちつけたい」
「あ、そうですか? ならお願いします」
己の勘違いの恥ずかしさやら、クリスの底知れない実力を垣間見たことによる混乱やらを消化するため、ナイフ片手にふらふらと土竜熊に向かうミリアを見送り、クリスとミルはその場に残った。
「解体で心を落ち着けるってなかなかマッドだな」
「たっつんが非常識すぎるからだよ。可哀想に」
「非常識が服を脱いで歩いてるようなお前に言われたくない」
「着てないの服!? 着ようよ服! っていうか僕服着てるしっ!」
「非常識ってとこは否定しないんだな」
「ぬぁ!? 違うよ! 全裸の部分で引っかかり過ぎてそっちに突っ込みきれなかっただけだよ!」
「心配しなくても分かってるから大丈夫だ」
「絶対逆の意味で分かってるって言ってるよねそれ……というかたっつん」
「うん?」
いつもの調子で戯れていると、急にミルが真面目な顔になったのでクリスも思わず居住まいを正した。
「約束破ったよね」
「約束? はて、約束なんてしたか?」
「言ったじゃん。無理して怪我しないように、って」
「……あー。バレたか」
ジッと見上げてくるミルから視線を逸らし、そっぽを向いて頬を掻くクリス。
確かに土竜熊の攻撃はクリスに殆どダメージを与えていなかったが、逆に言えば多少はHPを削っていたのだ。自然回復で即満タンになる程度のダメージで、HPバーに変化は殆ど無かったはずだが、ミルは気付いていたらしい。
「……心配したか?」
「……別に、してないけど」
視線を戻したクリスに、今度はミルが頬を膨らましてそっぽを向く。
「心配しなかったならいいじゃねぇか」
「……嘘。ちょっと、した。だってHP減るって普通に痛いじゃん。こっちは痛覚遮断無いんだよ」
「……そうだな」
目を逸らしながら心配した事を少し頬を染めてぼそぼそと言うミルに、クリスも何となく照れてぶっきらぼうに答えた。
「……わざわざ補助魔法も防御魔法も使わずにタイマンしたのは、何か考えがあったんでしょ? 何でなのさ」
「別に、ただ遊んでただけだ」
「嘘だ」
「嘘じゃねぇよ」
「たっつんが敵であっても、相手を遊びで痛めつけるような奴じゃないって事くらい知ってるもん」
「……さぁな」
「どうしても言わないなら僕にも考えがあるよ」
「へぇ? 言ってみろよ」
どうしても喋ろうとしないクリスに、ミルが言い募る。
それを余裕しゃくしゃくで見下ろすクリス。
ミルが何をしても口を割らない自信がクリスにはあった。
ミルだって、こういう時のクリスが頑固なのは知っている。こうなったら自分が何を言っても口を割らないだろう。
一昨日までなら。
「言わないならクリスだけ熊肉使った料理無し!」
「あっ!? お前汚ねぇぞ!!!」
「ふふーんだ。悔しかったらゲロっちまいなー」
「ぐぬぬ」
「ほーれ吐けぇ。吐いて楽になれぇ」
「ぎぎぎ」
「美味しい熊肉料理も待ってるぞぉ」
「……あーもう、分かったよ!」
形勢逆転。胃袋を人質に取られたクリスは、得意満面なミルに呆気なく敗北した。
「ふっふっふ。そっかぁそんなに僕の手料理が食べたいかぁ。しょうがないにゃぁ。じゃぁ理由を聞いてあげようか!」
悔し気に逸らしたクリスの視線の先に回り込み、してやったりとニヤニヤしながらあえて視線を合わせてくるミル。途轍もなくウザイ仕草なのだが、何故か可愛く見えるのが余計に腹が立つ。
クリスは努めて嫌そうに顔を顰め、観念したのか溜息を吐くと、それでも往生際悪くもぼそぼそと小声で理由を語り始めた。
「……俺の役割は何だ?」
「うん? 何を今更。回復職でしょ」
「パーティの時はな。だがお前とペアの時は盾職でもある」
「うんうん、そだねー。僕とペア狩りの時は、回復職で盾職だねー」
「こっちじゃ痛覚遮断が無い分、痛みはダイレクトに来るだろう?」
「そうだね。痛いね。僕がまともに受けるダメージって主にたっつんのチョップだけど」
「俺はステータスと装備のせいで、これまでまともにダメージを受ける事が無かった。それこそこれまででHPが削れて痛みを感じたのが、初日に冗談でお前を押し倒して殴られた時くらいだしな」
「あー。僕の魅力にたっつんが参っちゃった時かぁ。あの時は焦ったなぁ、思わず全力で【寸勁】叩き込むくらいに」
頬を両手で挟みワザとらしくイヤイヤするミルに、クリスはボリボリと頭を掻く。
すぐにツッコミが来ると思っていたミルは、しばらくクネクネしたあと、おや? と思いクリスを見ると、思いがけず真剣なクリスの瞳とぶつかった。
「今のうちに痛みに慣れておかないとな。いざという時、痛みで動けないようじゃ、護れないだろ」
お前を。
思いのほか強い意志と真剣な表情。そして発せられる事無く、言外に込められた言葉をミルは正確に読み取り。
――― ッ!
「ごめんミルちゃん! 流石にこの大きさは一人じゃ無理ぃ、手伝って~!」
その時、背後から聞こえた声にミルはクリスに背を向け、ものすごい勢いでミリアの元へ走り去った。
「……これだから幼馴染って奴は」
全部伝わっちまうんだもんなぁ。と、取り残されたクリスは頭を掻き。
「……ど、どうしたの?」
「~~~っ。にゃ、にゃんでもにゃいぃ……」
ミリアを追い越すと土竜熊の体の陰に逃げ込んだミルは、しゃがみ込んで何故か火照る頬を両手で押さえるのだった。




