人は自分の見たいモノを見る
「ごがほっ、げほっ、ごほっ」
「だ、大丈夫ですかグレア大司教」
盛大にむせる儂の背中を、ひと事の様に撫で摩るラウディに、視線で非難を贈る。お前だって噴出しておっただろうに。
「あー、回復はいるか?」
咳き込みながら何とか平静を取り戻そうと必死な儂に、目の前の美麗な青年は心配そうな視線を向けてきた。
「け、結構。ちと変なところに入っただけじゃ」
何とか咳は収まってきたが、逆に咳き込む振りをして席を立つと、見苦しい姿を見せまいと後ろを向く老人の振りをして、背中をさするラウディと共に部屋の隅へ移動した。
(な、なぜ彼のお人がここに居るのじゃ! 監視している諜報員は何をしておる!)
(も、申し訳ありませぬ。二人一組で張り付けていたのですが、転換期の情報をもたらした者の連れが、撒かれたか何かしたのかもしれませぬ)
(こちらの尾行に気付いたということか!? ではここへ来たのも計算であろうか?)
(おそらくは……諜報員が漏らすとは思えませんので、何かしら感づく物があったのでしょう。効率のいい討伐依頼を受けずに、治療院の依頼を受けてきたのがその証左かと)
ラウディの意見に儂も同意じゃ。出なければ、ランクアップを急ぐこの方が偶然ここを訪れることなど無いであろう。
ぐぬぬ、どうする? どう立ち回る? 尾行を謝罪し敵意の無いことを示して協力を仰ぐか!?
それとも、知らぬ存ぜぬを通して煙に巻くか!?
天人様の考えが分からぬ、と言うか、昨日のラウディの報告では『スレていない』のではなかったのか。
この完璧なタイミングで懐に踏み込んでくるのは、どう考えてもスレッスレではないか!
心臓がバクバクと嫌な鼓動を刻み、緊張と混乱から思考が上滑りして全く妙案が浮かばぬ。これほど動揺したのは何十年ぶりか!?
い、いかん。考えは纏まらんが何か話さねば。そろそろ嘘咳も限界じゃ。
「……大変見苦しい姿を見せて申し訳ない。年のせいか、最近咳がひどくてのう」
ラウディに支えられてよろよろとソファーに向かう。動揺と緊張と動悸と息切れで腰が抜けそうじゃ。
一線を退いてずいぶん経つが、現役時代を思い出す緊張感に、正直かなり精神的に消耗するわい。
「どうぞお掛けくだされ。こちらは、ここアダムヘル周辺のアリア教会を取りまとめるグレア大司教。私は教会に詰める聖騎士の隊長、ラウディと申します」
「クリスタール=ロアだ。今日は治療院の回復係の依頼を受け、冒険者ギルドから来た。よろしく頼む」
ラウディの紹介で儂も席に戻る。
クリスタール様は依頼表を取り出すと、三者がコの字に座るテーブルの真ん中に置いた。
と言うか、何か昨日のラウディの話と雰囲気が全く違うぞ。どうなっておるのだ。
ラウディに視線を向けると、彼も雰囲気の違いに困惑したように首をひねっていた。
「ラウディ殿とは昨日ぶりだな。今日は門番の仕事はしないのか?」
ラウディが口を開こうとした先を制して、逆にクリスタール様が問うてくる。
なぜ聖騎士の隊長ともあろう者が、門番などしているのか、と言う事か。ラウディの奴め、わざわざ隊長などと言わなければ良かったものを。
「聖域の警備は我々聖騎士の務めではありますが、今日はこちらのグレア大司教に用事がありましてな。ほかの者に任せております」
「そうか、目を離せないというのも大変だな」
完全に尾行バレとるではないか!
い、いかん、さっきから話の主導権を全く握れん。
落ち着け、儂……落ち着け。この程度の危機、前はしょっちゅうじゃったじゃろう!
……よし、落ち着―――
「ところで、今朝方地震があったが、こちらは被害は無かったのか? 何かの前触れかもしれないから、今後も注意したほうがいいぞ」
ふぁっ!? 転換期の事を暗に言っておるのか!?
尾行がバレているのなら、こちらの反応を探っているのか!?
「ほう。前触れですかな? 何か心当たりでも?」
鍛えに鍛えた儂の表情筋がこの短時間で悲鳴を上げておる。早いこと追い出さねば決壊するわい。
よし、取り合えずしらばっくれて時間を稼ごう。まずは考える時間が欲しい。
「いや、そういう分けではないのだが……何か嫌な予感がしてね。それに、地震は続く事が多いから、注意するのに越したことは無い」
儂の表情筋の堅固さに諦めたのか、クリスタール様は一瞬目を泳がせると、当たり障りのない忠告だけにとどめた。
勝った! 勝ったぞ! 良くやった儂の表情筋!
「忠告胸に刻みましょう。さて、あまり無駄話をしているのも治療を待つ患者に悪いですからな。ラウディとは知り合いのようですし、この者に治療院へ案内させましょう」
今は時間が欲しい。考えが纏まらぬうちに話を続けるのは危険じゃ。ここはラウディに押し付けて時間を稼ごう。
驚愕し目を見開くラウディだが、元はと言えばお前のところの諜報員がやらかしたからじゃろうが! なんとかせい!
「いや、わざわざ忙しい隊長殿に案内をしてもらわなくても結構。場所さえ分かれば自分で向かおう」
いやいやいや。それは困る。
監視されたくないと言う事なのだろうが、そこまで自由に動かれるわけにはいかん。
「で、では修道女を一人付けよう。マリア、居るかね?」
「はい、グレア様」
わしの呼びかけに、クリスタール様を案内してきた修道女が答え、入室する。
紅茶を用意してくれたのも彼女じゃ。よく気がつく頭のいい子じゃから、彼のお方を案内させても大丈夫じゃろう。
「それではご案内させていただきます。こちらへどうぞ」
マリアに促され退出するクリスタール様に、ほっとする。が、その心の隙を突くように、彼のお方は振り返ると、わしの目をまっすぐ見つめてきた。
唾を飲み込みそうになる喉を必死に押さえ、できるだけ穏やかな視線を心がけて見返すと、彼の方は感心したようにほぅと息を付きなさった。
「もし、知り合いに病気や怪我で苦しむ人がいれば、治療院に来てもらうといい。大抵のものは直すことが出来る」
「それはありがたい。早速御触れを出しましょう」
「あぁ、こっちもとっととランクを上げなければならないのでな。患者は出来る限り多い方がいい」
今度はラウディの方へ視線を向け、意味ありげにクリスタール様はそう仰った。
視線に戸惑うラウディ。
何じゃ、何を期待しておるのじゃ……そうか!
「分かりました。今日は丁度、聖騎士団の模擬戦が開催される予定ですので、そちらで怪我人が出たらお願いいたします」
ラウディに目配せをし、予定を変更する。
せっかくなので聖騎士団にも、ランクアップ裏工作を手伝ってもらうとしよう。
「お、おお、そうでしたな! これは少々無茶な訓練をしても大丈夫そうだ。して、大抵とはどの程度の怪我を、何人くらいまで治せるのですかな?」
ナイスじゃラウディ!
天人様の実力を推し量りたかった儂に、ラウディが絶妙の合いの手を入れる。
警戒されている状況で、このような探りを入れるのは本来悪手であるのじゃが、依頼の建前があるので実力を確認するのは必要じゃ。
というか最初にしておくべき事じゃった。
先手を取られまくって全く考えが及ばんかったが、建前上は見ず知らずのFランク冒険者の回復役なのだから、能力的な確認をしないのは不自然だろうに。
あぁ、これはもしや儂、やっちまったか!?
クリスタール様はすっと目を細め、緊張する儂とラウディを見ると、何も言わずに扉に向かってしまう。
しまった。気分を害されたか!?
クリスタール様は、退室する寸前、こちらを振り向くこともなく、事も無げに告げた。
「死んでさえいなければ、何人でも治して見せよう」
なん……じゃと……。
そう言い残し、絶句するわし達を置いて扉を閉めたのだった。
■◇■◇■◇■
あー……緊張した。とホッと胸を撫でおろし、クリスは扉を閉めた。
入った瞬間、人の顔を見るなり二人して紅茶を噴出すから何事かと思った。
しかも爺ちゃんの方は死にそうな咳するし顔色は真っ青だしで、本気で【完全回復】を掛けるべきか迷うほどだった。
こっそりと、気管が広がり血行が良くなりそうな名前の補助魔法【精神高揚】を掛けてみたが、効果があったかは甚だ疑わしい。まぁダメ元だったし、元気になったようなので別にいいのだが。
しかし、昨日知り合った門番が部屋に居たのは助かった。
仕事の面接で顔見知りが居るといないのとでは、受けるプレッシャーはだいぶ違う。
隊長だというのは驚いたが、まぁレベルが高かったし納得もできる。
責任者がやたらと威厳のある爺ちゃんで話しかけ辛かったので、自己紹介の後に話のとっかかりとして、無難な仕事の話を隊長殿に振ってみたが普通に対応してくれて助かった。
昨日の様子見旅人モードと違い、仕事で来たので対等の立場である事を示すため、あえて敬語を使わなかったが、特に怒る事もなく雑談に応じてくれてこちらの緊張も多少ほぐれた。
しかし、ゲームの時はただ立っているだけの簡単なお仕事だと思っていたが、考えてみれば常に門から目が離せないと言うのも大変だ。思わず労ってしまった。
世間話ついでに、天気の話題……もベタすぎるので、時事ネタとして今朝の地震の話題を振ったら、うっかり前触れなど口を滑らせてしまって焦った焦った。
アップデートの事を知らない人間に、地震=何かの前触れなどと言ったら、心配性の電波と思われかねない。
案の定、心当たりを聞かれたが、いきなりアップデートの事を言っても信じて貰えるはずも無く、最悪電波扱いされて依頼自体がキャンセルされかねないので、適当に無難な事を言ってごまかした。
多少目が泳いだ気がするが、まぁ大丈夫だろう。……大丈夫だよな?
責任者の爺ちゃんが隊長殿に案内をさせようなどとしてきたが、忙しいであろう隊長殿にそんな雑務をさせる訳にもいかず丁重に断り、自力で何とかすると言ったのだが、気を使ってくれたのか手すきのシスターを付けてくれた。いい爺ちゃんだ。
結構無礼な態度をとったと思うが、二人とも怒ることもなく穏やかに対応してくれ、上に立つ者の器の大きさをまざまざと見せつけられた気分だ。自分もこうありたいと思える。
おそらく自分がアリアリさんと同郷であることを知っているであろう二人に、アップデートの事を素直に話して協力を仰ぎたくなるが、アリアリの書の冒頭にもこちらから接触すると逆に警戒されると書いてあったので、直接の協力要請はギリギリまで待とうと思う。
だが、二人ともいい人っぽかったので、アップデートの事は伏せてギルドランクを上げたい事は素直に話し、知り合いに声を掛けて欲しいという願いも快諾してくれて、非常に助かる。この位はセーフの様だ。
今日が聖騎士団の模擬戦の日というのも運がよかった。むくつけき男共の相手ばかりと言うのは少々辟易するが、背に腹は代えられん。
最後の、どの程度治せるか、と言う質問はかなり返答に迷った。
死者さえ生き返らせる魔法もあるが、それを言うべきか、否か。
AAOで【死者蘇生】は僧侶系直系五次職でやっと覚える事が出来る魔法だ。高難易度ダンジョンへの死んでなんぼを防止するためか、結構最近まで実装されなかった。
アリアリさんは使えなかっただろうし、当然この世界でも習得している者はいないだろう。
と言うか、この世界で【死者蘇生】など使う機会がなかったから、実験も出来ていないので、本当に生き返らせることが出来るのかすら分からない。
困った顔を見られたくなくて、移動しながら考え出した結論は、適当に無難に誤魔化す!
誤魔化しが成功したかどうか確かめるのが怖かったので振り向きもせずに退出したが、大丈夫だよな?




