感謝の日
私、ミツミが兎の尻尾亭のカウンターでいつものように受付をしていると、階段を降りる音と共に、クリスタールさんがいらっしゃいました。
時間は朝の7時過ぎ。冒険者さんの朝としては早くも遅くもありません。
いえ、そう言えばクリスタールさんとミルノワールさんのギルドカードはFランクでした。
駆出しの冒険者さんは、出来るだけ割のいい依頼を取るために、まだ日が昇らないうちから出かけていくので、それを考えると遅いかもしれません。
まぁお金に困ってるようには見えませんから、ランクアップを急がないのなら、こんなものなのかな。
「おはよう、ミツミちゃん」
「おはようございます」
相変わらず物凄いイケメンです。朝からこんな爽やかイケメンスマイルを見れると、何か得した気がします。
そしてカリスマオーラのなせる業か、クリスタールさんが着る一般的な神官服すら、教皇様の正装も霞むくらいキラキラして見えます。まぁ教皇様なんて、聖教祭の説法で遠目に見たことくらいしかないですけど。
「あれ、ミルノワールさんは一緒じゃないんですか?」
「……彼女はもう少ししたら降りてくると思うよ」
ゾワッ
私がそう聞いた瞬間、全く変わらない笑顔なのに、一瞬クリスタールさんが途轍もなく恐ろしく感じ、耳と尻尾の毛が逆立って一回り大きくなりました。
何か拙い事でも聞いたのでしょうか。昨日に比べて気遅れするほどのカリスマオーラは感じませんが、
その分濃縮されたナニかを感じ、私の本能が悲鳴を上げます。
見れば、食堂に居た何名かの冒険者の方も、驚いたように周りを見回していました。
営業スマイルを維持した自分を褒めてあげたいです。ちょっと漏らしちゃいましたけど。
「ご、ごめんなさい。何か気に障ることがあったでしょうか?」
「ん? あー……鋭いね。ちょっと無駄に追加された黒歴史の1ページにイラっとしただけだから、気にしないでくれ」
黒歴史ってなんでしょうか? 黒い歴史? 何か深入りしてはいけないと本能が叫びます。やっぱりこの人達は何かとんでもないモノを抱えているのでしょうか。
あと、私は獣人としても鋭い方ですが、今のは全く関係ないと思います。
「そうですか? あ、あと朝ごはんは食べられますか? 今日のメニューはレミューの目玉焼きとガラウドのベーコン、オニエのスープです。スープとサラダとパンはお替り無料です」
「そ、そうだな。貰おうか」
「二人分でよろしいですか?」
「ああ」
クリスタールさんの表情が一瞬引き攣った気がしますが、気のせいでしょうか? 嫌いなものでもあったのかな? 一般的な朝のメニューだと思うのですが。
「何か苦手なものでもありましたか? 生憎と朝食は無料なもので別の物と取り換えるというわけにはいかないのですが、明日からも朝食を召し上がるのでしたら、お父さんにメニューを考えてもらいますけど」
「あー……うん、大丈夫だ。多分」
何か思うところがあったようですが、結局何も言われませんでした。この完璧に見える人にも苦手な食べ物とかあるんでしょうか? それならちょっと親近感が湧きます。
「注文を通してきますので、少し待っててくださいね」
厨房の父にモーニングを二つ頼むと、再びカウンターへ戻りました。
「そう言えば、ミツミちゃんのお母さんは昨日の夕食の時に見たけど、お父さんは見てないね。いつも厨房にいるの?」
「そうですね。お父さんはトラブルが無い限り厨房から出てきません。あまり接客に向いた人ではないので……」
自分の身内ながら、なぜ宿屋経営など始めたのでしょうか。
かなりオブラート包んだ言い方をしましたが、Cランクの程度の冒険者なら眼光一つで竦み上るほどの迫力がある父が接客などすれば、確実にうちの宿屋は潰れちゃいます。
「そうなんだね。まぁ人には向き不向きがあるし、ミツミちゃんみたいな可愛い看板娘がいればこの宿も安泰だ」
「そんな……」
世間話の延長の社交辞令と分かっていても、こんなカッコいいお兄さんに言われると勘違いしてしまいそうです。自分でも顔が赤くなったのが分かり、俯いてしまいました。
「あらあら。私の旦那様は、私と言う者がありながら、ギルドの受付嬢のみならず宿屋の看板娘まで手籠めにする気なのかしら」
その声に顔をあげると、階段からミルノワールさんが降りて来ました。
昨日のドレスとはまた違った、フリルが可愛い純白のワンピースに、輝く銀髪をハーフアップに結い上げて水色のリボンでまとめています。
昨日よりさらに磨きのかかった天使のようなその姿で、圧倒的な存在感を振りまき、食堂に居る十数人の目を釘付けにしながら、ふわりとロビーに降り立ちました。
優し気な微笑みを浮かべた顔がこちらを向きます。
ビビクッ! ジョバッ
目が合った瞬間、私の毛という毛が逆立ちました。
先ほどの比ではなく、耳と尻尾が二倍以上に膨れ上がった気がします。
野生の本能と女の直感が、ニゲロ、と全力で警報を鳴らしました。
「人聞きの悪いことを言うな。お前が降りてくるのが遅いから、ちょっと世間話に付き合ってもらってただけだ」
「ホントに? クリスは私が見てないと、すぐ他の女の子を落としてしまいますからね」
「人を女誑しみたいに言うんじゃない。大体お前が遅いのが悪いんだろうが」
クリスタールさんの言葉に、ミルノワールさんの視線が外れると、それまでのプレッシャーが嘘のように無くなりました。
今のはもしかして、嫉妬されたのでしょうか。
昨晩のイチャつきっぷりを見るに、ミルノワールさんのクリスタールさんへの想いは相当です。
正直私なんかが割り込む余地は、薄紙一枚も無いと思います。
だから、会話したくらいで嫉妬しないでください、お願いします。寿命が縮みます。
ミルノワールさんは先ほどの微笑みとは異なり、小悪魔のような笑顔をクリスタールさんに向けます。
私には不思議と、天使のような微笑みよりそちらの方が魅力的に映りました。
まぁ取り合えず、理不尽な謎のプレッシャーから解放されほっとしました。
「元はと言えば、クリスがあんなに激しくツッコむからじゃない」
激しくつっk!?
やっと平静を取り戻した私に、ミルノワールさんの爆弾発言が襲いました。
「自業自得だろうが」
「全く、もうちょっと手加減してくれませんと、しばらくベッドから動けなかったんですから」
う、動けなくなるほど!?
「昨日も酔った私に酷いことしますし」
「起きないほうが悪い」
酷いこと!?
「まだ手首の縄の跡が取れないんですけど」
なななな縄!?
「しゃぁねぇなぁ。ヒールしてやるから手出せ」
「ん」
ミルノワールさんの白い手首に残る、赤い跡を見て、私の想像力は限界を超えました。
クリスタールさんは、この幼い奥さんに何をしたのでしょうか!?
ミルノワールさんは、クリスタールさんに何をされちゃったのでしょうか!?
「あ、あの!」
ヒールするために手を取り合っているお二人は、絵画のように絵になりますが、宿屋の看板娘としてこれだけは言っておかないといけません。
さっきまで青かった顔が、真っ赤になっているのが分かります。
「初めにも言いましたが、うちでそういった行為はしないで下さい! あと、必要以上にイチャつかれますと、他のお客様の迷惑になるので、自重してください!」
いくら仲のいい夫婦だといっても、モラルと言うものは必要だと思います。
「い、いや。誤解……」
「もう、クリスってば恥ずかしいんだから」
驚き慌てて弁解しようとするクリスタールさんに、なぜかニヤニヤしながらやってやった感を出して、クリスタールさんを責めるミルノワールさん。
いや、大体の元凶は貴女です。
「そーだそーだ! イチャつきすぎは目の毒だぞ!」
「旦那大好きなのは分かるけど、ちょっと慎ましさが足りないわよー」
「ちくしょー! 俺も可愛い女の子に甘えられたいぜ」
「ねぇねぇアナタ。私にもお姫様抱っこしてよ」
「若い者はええのう。わしも久々にばーさんとハッスルしたくなってきたぞい」
恥ずかしさを押し殺して叫んだ私に、思わぬところから援護がありました。
昨日夕食を一緒にした宿泊客達です。
トラブルこそ起きませんでしたが、やはり皆さん昨日のイチャイチャっぷりは目に余っていたようです。
私の言葉に乗っかって、ここぞとばかりに野次を飛ばしました。
ミルノワールさんは、驚いたように周囲を見回し、そこでやっと十数人の視線が自分に集中しているのに気づいたようです。
ポンッ
あ、真っ赤になった。
「ク、クリスさん、今日はちょっと外で食べたい気分なの。近くのお店で朝ご飯食べましょう」
耳まで赤くしたミルノワールさんは、クリスタールさんの袖をクイクイと引っ張ると、必死の形相でお願いします。
さっきのちょいウザなニヤニヤ顔が嘘のように可愛いです。
いやそのちょいウザなニヤニヤ顔も、それはそれで可愛いかったのが何か納得できないですが。
「いや、もう注文しちまったし。ここで食うぞ」
「え、いや、ちょっと……流石にこの雰囲気の中で食べるのは……」
必死にお願いするミルノワールさんに、クリスタールさんはニヤリと笑うと非情な言葉を投げつけます。
とっても楽しそうです。
「お前がアホな事ばかり言ってるからだろう。用意してもらった食いもんを無駄にするのはダメだ」
「んー! んー!」
ミルノワールさんは、駄々っ子のようにぽこぽこクリスタールさんを叩きますが、頑として譲らないクリスタールさん。
「~~~!!!」
最後は真っ赤な顔を両手で覆い、しゃがみ込んでしまいました。とても可哀そうですが、とても可愛いです。
「すぐにお持ちしますので、あちらのテーブルでお待ちください」
「分かった。ほら行くぞ」
「うぅ~!」
クリスタールさんに手を取られたミルノワールさんは、しばらくジタバタと抵抗しましたが、耳元でクリスタールさんが何か呟くと途端に大人しくなり、諦めたように手を引かれて、ヒューヒューと野次を飛ばす外野を縫って連れていかれました。
「……ふぅ」
二人が席に着くのを見届け、私は一息つき、二人のモーニングを配膳するため厨房に引っ込みます。
あ、でもその前に。
「……パンツ替えなきゃ」
すっかり冷たくなったパンツを替えに、一旦自室に引っ込むのでした。
今日ほどスカートと厚手のパンツに感謝した日はありません。
なんで私がこんな目に……ぐすん。ちべたい。




