それぞれの自覚
朝のじゃれ合い?を済ませたミルとクリスは、一階に降りるために着替えをする。
ちなみにミルの二日酔いは試しに使った【解毒】で直ることが判明し、体調は回復した。
その場で脱ぎ始めたミルを教育的指導で沈めると一旦退室し、ミルが着替え終わってから戻ってくるクリス。
その際に見えたショーツが純白のローライズ紐パンだったのを突っ込むと、どうやら昨日の貢ぎ物らしい。
濡れ透けした時は上半身のみだった為気付かなかったが、下着を贈ったという緑髪のエロフはいったい何を考えているのだろうか。クリスの中で要注意人物にノミネートされた。
「え? 女性ものの下着の布面積ってこんなもんじゃないの?」
「そんなわけあるか。エロ本の見すぎだ」
情報源が二次元限定の相棒に哀情を感じるクリス。
「デフォルトのインナーくらいがノーマルサイズだ。それはアレの四分の一くらいしか布面積がないだろうが。尻とかほぼ出てるぞ」
「え、まじで?」
ぺろんとワンピースのスカート部分を捲り上げて確認しようとするミルを、再び教育的指導で沈める。
「……他のはないのか?」
「ゴスロリドレスのパンツは黒だしなぁ。今日は着るつもりないし」
「別にドレス着ればいいんじゃね?」
「昨日すごい目立ってたじゃん。たっつんは神官服のスキン使えばいいだろうけど、僕地味な服のスキンなんて持ってないし」
目立っていた原因は容姿と威圧感が主なのだが、クリスも確かにドレスで街中を歩くのはどうかと思ったため、そこは突っ込まない。
「まぁいいじゃん。別に見せびらかすわけじゃなし」
「そりゃそうなんだが……今日はそのワンピース着るのか?」
「そーだよー。どう、可愛い?」
所々にフリルをあしらった、丈の短い純白のチャールストンドレス風ワンピースの裾を片手で摘まんで、クルリと一回転するミル。
仕草も、少し照れ笑いする表情も、ふわりと広がるスカートの裾も、きらきら輝く銀髪も百点満点なのだが。
「中身がなぁ」
「なんか言った?」
「いや……」
ミルの容姿が可愛ければ可愛いほどに、中身の残念っぷりが際立つんだよなぁと思うが、取り合えず現状最大の問題点を教えてやることにする。
「下に何か着ろ」
「え? パンツ履いてるけど」
「上だ上、ポッチが浮き出てるのを何とかしろ。貢ぎ物の中にブラかキャミがあるだろ」
「おぉ!? まじだ! ありがと……って、元はと言えば誰かさんがビチャビチャにしてくれたせいじゃん」
ブツブツ言いながらも、上の肌着を忘れていたミルは慌ててキャミソールを取り出すと着用する。着脱可能になったインナーの弊害でもある。
「あと、下もショーツの上にペチコートかなんか履いたほうが良いぞ。白い生地は透けやすいからな」
「ペチ……?」
「ペチコートな。スカートとショーツの間に履く薄手のスカートみたいなやつ。ショートパンツとかタイツ履いたりでもいいけど」
「スカートの下にズボンなど邪道!」
「じゃぁペチコート履いとけ。屈んだり逆光になったりしたら、まず間違いなく透けるぞ」
「めんどくさー。いいじゃんちょっとくらい透けても」
「……俺に痴女の相棒と後ろ指差されろと?」
「あ、はい。でもそんなのプレゼントの中にないよ?」
「まじか。すでに持ってる前提だったのかね。まぁ気を付けてれば大丈夫だろうから、後で買うか」
はたまた透けること前提でプレゼントしたのだろうか。無いとは思うが、エロフのパーティメンバーならワンチャンあると疑うクリス。知らないところで天人の片割れに信頼マイナススタートを強いられるエリーナ達が不憫である。
「あと何か変なとこある?」
「そうだなぁ。ちと髪型にアクセントが欲しいな。リボンかなんかないか?」
「水色・桃色・黄色・若草色があるよ」
「ふむ。今日はほぼ全身白で、目が赤だから、水色でアクセント入れるか。ちょっとこっち来て椅子に座れ」
「はーい」
素直に椅子に座ったミルの髪をブラシで梳く。
クリスの姉妹も綺麗な髪の毛をしていたが、この触り心地はその比ではない、まるで最高級の絹糸のようだ。
クリスは両サイドをひと房取ると丁寧に編み込みハーフアップで纏めるとリボンで結んでやった。
絡まることも飛び出る事もなく、するすると滑らかに編み込める髪にちょっとした感動すら覚える。ずっと触っていたいくらいだが、そんな感想をミルに知られるのも癪なので名残惜しくも手を離した。
「ほれ、出来たぞ」
「どれどれ?……おお!可愛いっ! たっつん髪編むの上手だねぇ」
「そら伊達に三姉妹の相手してないからな」
「服のこともそうだけど。なんかあれだね」
「ん?」
姿見の前でくるくる回ってから、満足そうな笑顔でクリスの方を向くミル。
「無駄に女子力高くてなんかキモイ」
「うるせぇよ!」
いつものように一言多いミルだった。
■◇■◇■◇■
「んじゃ準備も出来たし、降りよっか」
「あぁ、その前に昨日しなかったアリアリの書の事でちょっと話がある。一緒に今後の方針についても触れるから少し待ってくれ」
「ん? 待つのはいいんだけど、アリアリの書ってなに?」
「あぁそうか、そっからか。昨日【転生の祭壇】からアダムヘルに入る門でガイドブックもらっただろ。あれな、アリア=アリネージュさんの……遺書だ」
「ふぁ!? ちょ、詳しく!」
クリスはミルをベッドに座らせると自身も向かい合わせで座り、アリアリの書をインベントリから取り出して開く。
「まず最初に、アリアリさんの事覚えてるか?」
「うん。三、四年くらい前までいたトップランカーだよね。何回かパーティ組んだことあるよ」
「そうそう。聖騎士で【聖騎士団】ギルドマスターのアリアリさん」
「結構大きいギルドだったのに、いきなり解散して引退したんだよね。ギルド資金RMTして夜逃げしたんじゃないかって噂になった」
クリスとミルは当時から少数精鋭の強豪ギルドに入っていたため、野良パーティやGvGでの敵同士としての付き合いしかなかったが、気さくで面倒見がよく、何より当時最高峰の盾職だったため記憶に残っている。
RMT云々は無責任にギルドを解散して引退したことに対する、心無い元ギルドメンバーのやっかみと当てつけだろう。
それほど交流は無かったが、そういうことをするタイプの人ではなかったように思う。
「そのアリアリさんな、どうもこっちに来てたみたいなんだわ」
「おぉまぢで! 異世界転移の先輩じゃん。会いに行こうよ……って、……遺書?」
三年前に転移してきたのなら色々聞けるんじゃん、っと目を輝かせるミルだが、不穏な単語に気が付き眉を顰める。
「門で今何年か聞いたの覚えてるか?」
「僕の記憶力を舐めないで欲しいな。西暦三百うん年でしょ」
極めて普通だった。むしろ悪いかもしれない。
「神聖の方の聖と暦で聖暦と書くらしいぞ。で、アリアリさんが転移してきた年が聖暦元年だそうだ」
「三百年以上経ってんじゃん!」
「……だな」
元の世界で三年がこちらでは三百年、単純に考えても百倍の時間差がある。
「……アリアリさんどうなったの。帰れたの?」
「遺書って言っただろう。つまり、そういう事だ」
不安そうなミルに、クリスは努めて冷静に、端的に告げた。
「マジか……」
同じ境遇の先駆者が、帰還を果たせずに亡くなったという情報に、流石のミルもショックを隠せない。
自分たちも帰れないかもしれない。と不安になるには十分な情報だ。
「たっつん。僕たちも、帰れない……のかな」
「……現状じゃ何とも言えん。アリアリさんも帰還の方法を探していたようだが、結局見つからなかったようだし……って、お、おい」
クリスの言葉を聞いているうちに、潤んでいたミルの瞳から、ぽろぽろと大粒の雫が溢れだした。
クリス自身もショックを受けたが、泣くほど取り乱す事はなかったため、楽天家の相棒も大丈夫だろう、と思っていたのだが、そんなことは無かったのだ。
「あ……ぅ。ご、ごめん……うぐっ……ぇぐ……」
「すまん! 配慮が足らなかった。そりゃショックだよな、ごめんな」
クリスはミルの横に移動して腰かけて、その小さな背中をさすってやりながら、自分を責めた。
自分はアリアリの書で、少しずつ情報を読み取り、心の準備をする時間があったからこの程度の衝撃で済んでいるのだ。
だがミルは、クリスの言葉だけで心の準備の時間もなく、この非情な現実を叩きつけてしまった。
クリスはミルなら大丈夫だろうという安易な考えで、相棒を深く傷つけてしまったことに今更気付き、後悔した。
「ぅ……ぐすっ……」
「何て言ったらいいか……本当にすまない」
「うぅ……だって、たっつん……帰れないかもしれないんだよ……なんでそんなに平気でいられるの?」
「俺だって、アリアリさんが帰れなかったと知ったときはショックだったさ。でも何と言うか、アリアリさんはこちらの世界で生きることを受け入れていたようなんだ。帰る方法を探しながらも、自分が出来ることを精一杯やって、満足した、と書いてあった」
アリアリの書には、壮絶なアリアの生涯も綴ってあったが、そこに悲壮感はなく、むしろやり切った者特有の清々しさがあった。だからクリスも、ショックは受けたがそこまで悲観的にならずに済んだのだ。
「そんなこと言ったって……僕は帰りたい。帰りたいよ! 一人っ子の僕が居なくなったら、両親はきっと悲しむよ。大学だってまだ卒業してないし、やりたいことや残したことだっていっぱいあるのに!」
「……あぁ、俺だってそうだ。両親や姉弟を悲しませたくない。だから、帰るぞ。絶対に元の世界に!」
「でも……ぐすっ……アリアリさんは帰れなかったのに……」
「大丈夫だ。アリアリさんは一人だったが、俺たちは二人だ。彼女が思いつかない方法だって、きっと俺たち二人なら導き出せる!」
「……たっつん」
「俺たちは帰れる。いや、俺がお前を帰して見せる! だから泣くな」
俯くミルの顎を持ち上げ、視線を合わすと、零れる涙をそっと拭くクリス。
根拠など無い。方法も分からない。
だが、弱々しく涙する、この小さな相棒を見ていることが出来ず。そう力強く断言した。
この涙を止めるために、俺はなんだって出来る。なんだってやって見せる。とクリスは固く決意した。
「ほんとう? ほんとうに、たっつんが僕を元の世界に帰してくれるの?」
「ああ! 約束だ!」
「うん。……うん、分かった。ごめんね、泣いちゃって」
涙の後を頬に残して、それでも根拠も何もない自分の言葉を信じて泣き止んでくれたミルに、クリスはほっと胸を撫でおろした。
「いや、元はと言えば俺のデリカシーの無い発言からだからな。すまなかった」
「ううん。まさか僕もいきなり泣いちゃうとは思ってなかった。何か、やり残したことが思い浮かんじゃって、ね」
「そりゃ心残りはあるだろうな」
何の予兆もなく、目が覚めれば唐突に異世界だったのだ。心残りの一つや二つ当然だろう。悔しさや悲しさで泣いてしまうようなこともあったに違いない。
と思っていた時期がクリスにもありました。
「そりゃね。……せめて一回だけでもヤっとけばよかったって思ったら、思わず泣いちゃった」
「……うん?」
「せめてお金出してでもしとけば、心残りは両親の事くらいだったんだけどなぁ」
「……うぅん?」
何かちょっと今、言葉のニュアンスが取り辛い発言があったような気がするんだが。
「えっと、一応聞いておきたいんだが、お前の最大の心残りって」
「……せめて素人童貞だけでも捨てたかったなって。きゃっ、言わせないでよ恥ずかしい!」
まるで愛を告白する初心な乙女のように、赤い顔を両手で隠すと可愛らしく顔を背けるミル。
「……………………は?」
コイツハ今、何ヲ言イヤガッタ。
「いやー。こんな事になるなんて分かってたら、課金の軍資金の一部で風俗でも行っとけばよかったよ。失敗したなぁ」
「……お前は、そんなことの為に泣いてたのか?」
童貞を捨て損なってメソメソ泣く幼馴染を、必死に慰めていたという事実を認めることが出来ず、否定してくれ、と願うクリスの気持ちを一切無視して、ミルはクワっと擬音が付きそうなほど目を見開くと、顔を真っ赤に染めて捲し立てた。
「バカヤロー! そんなことってなんだ!? 僕の大事な息子が活躍の場無く永遠の眠りにつくかもしれないんだぞ!? たっつんの歴戦の黒光りする息子と違って、僕の初々しい息子は、未来の彼女の為に初色を維持していたと言うのに、ヤ〇チンはその誇りも、覚悟も、心意気も理解出来ずに、言うに事欠いてそんなことだって!? これだからリア充は! 陰キャ童貞のささやかな願いも切り捨てるその非情さが―――」
――― ズビシッ!!!
「ひでぶっ」
「もういい黙れ。お前を本気で心配した俺が間違っていた。……先に降りてるからな」
憤慨遣る瀬無く、今までで一番の教育的指導を落とすと、ベッドに倒れ込むミルを振り返ることなく扉に向かい、八つ当たりのように勢いよくドアを閉めてクリスは部屋を出ていった。
「いたたた……」
クリスの機嫌を表すようにドシドシと響く足音が聞こえなくなるまでベッドに沈んでいたミルは、漸くまだ赤い顔を上げた。
「たっつんてば結構本気のチョップするんだもんなぁ。まぁ怒らせた僕が悪いんだけど」
痛む頭ではなく、熱を持つ頬をパタパタと手で扇ぐミル。
「はぁ……やばかった。しっかし、まさかガチ泣きしちゃうとはなぁ」
うっすらと残る涙の跡を、ごしごしと手の甲で拭う。
「何かたっつんの中で僕の好感度がごっそり下がった気がするけど、まぁ色々と誤魔化せたし、いっか」
両親の心配する顔を想像したら、思わず涙が出てしまった。元の世界の自分はこんなに涙脆く無かったと思うけど、これも女体化の影響かな、と思うミル。照れ隠しの童貞云々は正直別にどうでもよかった。
「……うー。顔がなおらない!」
両手でむにむにと頬を揉み解し、何とか赤みを取ろうとするが、また先ほどのクリスの真剣な顔を思い出し、ポンッと音が出そうなほど耳まで赤くなってしまう。
「……たっつんは僕に女になった自覚をしろって言うけど、たっつんこそ僕が女になった自覚がいると思うなぁ」
たっつんも昨日言っていたじゃないか、そういう関係になったら、向こうに帰ったときにどうするんだって。大体、僕に同性愛の気は欠片もない。幼馴染の男にトキメクなんて無いったら無い。
……でも、あんなに近くで、あんなに真剣に、あんなにカッコイイ事言われたら。
ポンッ
「~~~!!! ―――惚れてまうやろぅ!」
枕に顔を埋めてバタバタとバタ足しながら言った言葉は、誰にも聞かれることなく尻すぼみに消えた。
ミルが一階に降りることができたのは、それからもう暫く後の事だった。




