亀の甲よりやっぱり中身
異世界生活二日目、兎の尻尾亭のミルとクリスの部屋。
しくしくしくしく……
窓から差し込む光に、クリスは目を覚ました。
ベッドから身を起こすと、透明なガラスの嵌った窓を開き、淀んだ部屋の空気の入替を行う。
昨日の昼間は温かく過ごしやすい気候だったが、朝方はまだ冷え込むらしく、冷たくも清らかな風が頬を撫でた。
しくしくしくしく……
昨日ミルに買ってきてもらった、寝間着代わりの薄手の服では肌寒く感じ、しばらく空気を入れ替えると窓を閉める。
ふと、別にわざわざ窓を開けなくても【清浄なる空気】を使えば問題なかったな、と思い当たり、元の世界と異世界の勝手の違いに苦笑した。
しくしくしくしく……
喉の渇きを感じ、窓からテーブルの水差しに向かう。
しくしくしぐぇ
途中で何か柔らかいものを踏みつけたが、蛙の潰れたような音と共に、先ほどから耳障りだった陰気な怪音が鳴りやんだので、より一層清々しく感じ、水差しからコップに水を汲むと一息で飲み干すと一言。
「うむ。いい朝だな」
「よくねえええええええええ! ぉぶぇ頭いたいぃぃいぃぃぃ……」
踏んづけた柔らかい物体が、抗議の絶叫をあげるが、何故か自分の絶叫にダメージを受け悶絶した。
「よう! いい朝だな!! どうした、そんな恰好で床に転がって!!!」
「ぎょえぇ……ごめんまじごめん謝るから大きい声出さないでぇ……」
普段のキャラからかけ離れ、あえて大声でハキハキ喋るクリスに、もんどりうって恨みがましい視線を浴びせて床に転がるミル。
「完全に二日酔いか。まぁあれだけべろんべろんになりゃな」
「ぉぉぉおぉおぉぉうえっぷ……き゛も゛ぢわるい゛、みずぅ……みずをくりゃれぇぇぇ……」
哀れにも床を這いずりゾンビもかくやという顔色で呻くミルの上体を起こしてやり、仕方なしにコップに水を注いで飲ませてやる。
「ほれ」
「んぐんぐ……ぷはっ。ちょっと生き返った」
「そうか」
多少顔色が戻ったミルをそのままに、クリスはベッドに腰掛ける。
「大丈夫か?」
「全然大丈夫じゃない、というか昨日の記憶が途中から無いんだけど、一体全体どうしてこんな状態になってるのカナ?」
自分のあんまりな惨状に、巨大なハテナマークを浮かべるミル。それに意地の悪い笑みを浮かべるクリス。
「おや、覚えていないのか。どこまでだったら覚えてるんだ?」
そのクリスの表情に嫌な予感を覚えながら、ミルは昨日のことを思い出してみた。
「ええと……夕飯の席を取って、メニュー見て適当に頼んでたらクリスが来て……」
「『ミトルのレーネ』だの、『ガレッシュのミッド風、レシュトを添えて』だの、『フィシュマーナ・アドレブル・ヴァミリアント・ヴァリ・アリア』だの、よく現物見ずに注文したよな。どれも旨かったけども」
「あー、何かどんな料理か分かったんだよね。たぶん料理人の職業効果じゃないかな?」
ゲーム時、空腹というシステムは無かったが、その代わり料理は一時的なステータスアップを可能とするドーピングアイテム扱いで存在していた。
ミルは目ぼしい戦闘系職業を取り終わったあと、余った職業枠で料理人を取っていた。
というのも、ゲーム時の料理は料理人自体が生産系職業の中でも不人気で、需要に対して供給が追いつかず、結構高価だったのだ。
戦闘では自身のスペックの限界値を追求するミルにとって、料理を買うためのエンゲル係数の増加は死活問題だったため、やむなく自炊することにしたのである。
「なるほどな、んでこっちの料理もステータスアップするんかね?」
「ステータス見れないからわかんない。バフのアイコンも出ないし」
「体感じゃわかんねぇしな。……それってステータスアップ無かったら完全な死に職業じゃね」
「……oh」
未知の料理の味が想像できるというのは全く役に立たないとは言わないが、戦闘廃人にとって貴重な職業枠をそんな微妙な効果に使ったというのは相当ショックだったらしく、床に転がりながら器用にうな垂れるミル。いうなれば、アップデートでそれまでメインで使っていた何かしらがゴミに変貌する、ネトゲあるあるである。
「まぁそれは置いといて、続きは?」
「えっと、料理食べてたらクリスが、アシャスの指輪でアルコールも効かなくなるか試してみようって言い出して、お酒頼んで」
アシャスの指輪の状態異常無効効果が、戦闘以外の日常生活でもどこまで適用されるか試したのだ。
「見事に酔わなかったな」
「うん。で次は、指輪を外してある程度酔った状態で、指輪を装備し直したら、既存の状態異常はどうなるか試そうってなって」
「酔ったままだったな」
「装備する前の状態異常は継続だったね。そこまでは覚えてる」
流石の神器も、装備される前にかかった状態異常は管轄外のようだ。
ちなみに、アルレッシオ聖王国では飲酒は15歳から可能である。こちらの世界では日本と違って飲酒に関してはだいぶ緩いが、ミルの見た目が幼すぎて本人が15歳以上だと主張すしても普通ならば提供されなかっただろう。しかし今回はミツミが冒険者である事を知っていたので頼めば当然出てきた。冒険者は15歳以上でなければなれないからだ。
二人は転移する前は21歳だったため、そのあたりは特に考えずに注文している。飲酒に関して抵抗も全く無い。
「そんで?」
「えーと……最後にこの体でどのくらい飲めるか試しておこうってなって、指輪外してワイン二本空けたとこまでは覚えてるけど……」
自分がどの程度飲めるか限界まで試すチキンレース。社会に出てから酒の席で失敗しないために、ある程度必要なことではあるが、大体がゲロと二日酔いで後悔することになる、成人あるあるである。
「そっから記憶に無いと」
「……うん。部屋に戻った記憶無い。そして、なんで僕は縛られて床に転がってるんだろう?」
そう。ミルが未だに床から起き上がれない理由。それは両手両足どころか全身縄で締め上げられて転がされているからだった。
「よろしい。そこから先は俺が説明してやろう。
ワイン三本空けたあたりで、お前の言動がかなり怪しくなってな。ふらふら立ち上がって後ろから抱き着いてくるわ、膝の上に乗ってくるわ、耳を噛んでくるわ」
「え、ちょ、知らない」
「俺もお前の酒癖がそんなに悪いとは思わなかった。ああいうのは絡み酒ならぬ甘え酒とでも言うのかね。
んで見かねたミツミちゃんが、真っ赤な顔で部屋でやれって遠まわしに言ってきてな、お姫様抱っこで部屋まで連行したわけだ」
「おおお姫様抱っこ!?……っていうか、それを食堂にいた人みんなに見られてたってこと!?」
「そうだな」
「あ゛あ゛あ゛」
目の覚めるような美少女の赤裸々な痴態を見せ付けられた周囲の客に、同情を禁じえない。
たまたま昨日はいなかったが、血の気の多い独り身冒険者だったら、見せ付けてんじゃねぇ!! とブチ切れるほどの甘々空間であった。
「部屋に帰ってからも大変だったんだぞ。
ベッドに放り込んで俺もとっとと寝ようとしたら、こっちのベッドに潜り込んできてな。何が『寂しいの、貴方の体で暖めて』だ、どんなキャラだお前」
「あーあーきこえないー。きおくにございませんー」
「糞馬鹿力で押さえつけられたこっちの身にもなれよ。HP減るかと思ったわ」
「なんかごめん、そりゃ僕の力強さ《STR》で押さえつけたら抵抗できないよね……って、え、その後は? ―――ま、まさか!?」
うろたえるミル。抵抗できない相手に自分はいったいナニをして、ナニをされたのか、と。
「……俺は前言ったよなぁ? 据え膳食わぬはって」
「ええええ!? まぢで!? 僕って童貞捨てる前に処女捨てちゃったの!? 何て事してくれたんだ! 返して! 僕の膜返してよ!!」
「膜ってお前……つかお前童貞だったんか……そうだろうとは思ってたが知りたくない情報だったわ」
「ひどい! 僕の膜は未来の旦那様の物なのに!!」
「今の旦那様じゃないんかい……ってか、破れてねぇよ落ち着け」
錯乱するミルに突っ込みが追いつかない。ちょっとからかってやるつもりが大惨事である。
「ほんとに? ほんとに膜は無事なの? 膜と玲子さんに誓って?」
「姉貴の名前を膜と同列に出すんじゃねぇよ! 神に誓って何にもしてねぇよ!」
「……そっか」
まだ納得していなさそうだが、矛先を収めるミル。少し残念そうなのは気のせいだろうか。
「んじゃどうやって引き剥がしたの?」
「状態異常掛けまくって弱体化して蹴り落とした。指輪外させていてホントよかったぜ……。蹴り落とした後もゾンビのように這い上がってきやがったが」
強靭さ《VIT》が低いミルは状態異常に掛かりやすい上に効果も高いのが幸いした。
「あ、だから縛られてるんだ……」
アクション要素の強いダンジョン攻略に縄は必需品である。中でも上級の縄アイテムは耐熱・耐寒・耐腐食・耐磨耗性に優れ剛性も極めて高い。カーボンナノチューブもびっくりの高性能ロープである。まぁ素の状態のミルなら引きちぎれる程度の剛性だが。
「ところで、縛られてる理由は分かったんだけど、何でこんなマニアックな縛り方なのカナ?」
「……俺も酔ってたからなぁ」
ミルの全身を縛る縄は、亀の甲羅の模様をしていた。
「こんな縛り方どこで覚えたのさ」
「……昔の彼女がちょっとな」
「下品ッ!」
「膜膜うるせぇお前に言われたかねぇよ!」
下品さでミルに言及される謂れはないと憤るクリス。清楚な美少女顔で責められると無駄にダメージがでかいのも理不尽だ。
「ていうか、まだ暗いうちから目を覚ました瞬間に亀甲縛りで床に転がされてる僕の気持ちも想像してくれないかな。たっつん呼んでも爆睡して全然起きないし」
「俺は一回寝ると起きないからな。今の硬さなら象に踏まれても起きない自信がある。あと、その気持ちを想像できる人間ってあんまり居ないと思うぞ。居たら大分アレな奴だ」
「そこはフィーリングでイマジンしてよっ! 呼んでも呼んでも起きない相棒に絶望して、冷たい床の上で二時間くらい泣きはらした僕を可哀そうと思わないの!?」
「いや特に」
「ひっど! 人でなし! 冷血漢! イケメン! こんな幼気な美少女を縛り上げて良心の呵責とかないのかな!? 玲子さんに言いつけてやるんだから!」
「……」
「うぇ。大声出したらまた気持ち悪くなってきた。たっつん、水」
「……ほれ」
ミルの言い草にイラっとしたクリスは無言で水差しを取ると、立ったまま直接ミルに飲ませてやる。水差しからミルの口までの距離約1.5メートル。
「げぼばばばばば! はっ、はなっ、鼻に入った!」
ふんがふんが必死に空気を貪るミルを残念そうに見下ろすクリス。
絵面としては、真っ赤な顔で苦しそうにハァハァする、白いワンピースを濡れ透けさせる亀甲縛りされた美少女のなのだが、不思議なことに全く食指が動かない。
「ふっ……所詮、ミルはミルか」
「けほっ、けほっ、なんか、今、すっごい失礼なこと、考えたでしょ! 大体さ、こんな美少女に言い寄られて手を出さないとか、たっつんほんとに男なの!? ち〇ちん付いてる!?」
「……ほほう、まだそんな事を言う元気があるのか」
完全に論点を明後日に飛ばして、調子に乗ってさっきと逆の追求をしてくるミルに、更にイラっとするクリス。
無表情で床に転がるミルに近づくと、体の中心を通る縄をクイっと持ち上げた。
「んあ!? ちょっ、まっ、食い込む、んっ、ですけど!」
「ほーれ。さっきの言葉、もう一回言ってみ? うん?」
「くっ! 状態異常さえなければ、こんなやつに!」
「おっ、まだまだ元気だな。ココをコウしてコウすると」
「あぁん! 止めてっ! 開いちゃう! また新しい扉開いちゃうから!」
「……だめだこいつ、早くなんとかしないと」
傍目にはどっちもどっちであった。
食い込んだのは手首にです。




