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七譚 死んだ家と井上亮一

「ただいま……」


 口をとがらせ、私はできるだけ下を向いていつも家へと帰っていた。


 玄関を抜けると、ほんのりといつも線香の香りが漂ってきて……そのたびに私の夢は覚めるのだ。


「お帰り……遅かったな」


「うん……まぁね。部活・・が忙しくて」


「……そうか」


 顔をのぞかせるのはいつも父であり、何かを監視するような視線で私の泥だらけの靴を見ると、納得したように頷いて背を向ける。


 私は奇譚研究会に入ったことを両親に告げてはおらず、サッカー部に所属していると嘘をついていた。


走りもしないしスポーツなんて中学卒業以来一切やっていないのに、スポーツシューズをいつもはいて登下校をしているのはそういう理由だった。


「今日は2点アシストに、1ゴールさ……。左利きだからコーナーキックで重宝されて……」


「あぁ……もういい和弘……亮一に」


「分かってる……線香をあげてくるよ」


「ああ」


 短くそういうと、父はふらふらとした足取りでリビングへと戻っていく。

 私の話など耳に入っていないだろう。きっと、奇譚研究会に入っていることを告げても何の反応すら帰ってこないはずだ。

  

 だから嘘がばれることはなかったし、私は家に帰るたびに、嘘がうまくなっていった。

 本当のことを話す勇気がなかったから……代わりに私は詐欺師になったのだ。


 仏間の明かりをつけ、まだ新しく光沢の残る仏壇の前に座る。

 短くなった線香は父の物であり。

 

 私は律義にろうそく立てに短い蝋燭を二つ立てると、マッチで火をつける。


 紫色の線香をともして火をつけると、大嫌いな香りがいつも鼻をくすぐった。


 今でも時折思い出し夢に見る……そんな毎日の決まり事。

 その最後は必ず……位牌の前に立てかけられた、笑顔の弟の写真が目に入るのだ。

 

 井上 亮一。


 それが去年の夏に交通事故で死んだ、一つ下の私の弟の名前である。


「……」


 おりんを鳴らし手を合わせる。


 その時……私が弟に何を語り掛けていたのかはもう思い出せない。


 ただ思い出せるのは笑顔の写真を見て、どうしようもない罪悪感に苛まれたという思い出だけである。



 弟とは仲が悪かったわけではない。

 

中学最後のサッカー関東大会で得点王に輝いたときに、お祝いとして安物であったがおそろいの腕時計を買ってプレゼントをするぐらいだったから、兄弟仲はむしろ良かったほうであろう。

 

 だが、それと同時に弟に嫉妬をしていた……というのもまた事実である。


 弟は優秀だった。


 スポーツ特待生で東京の高校進学を決め、友達も多くいつも誰かに褒められていた。

 それに引き換え……私は学校でいじめられ、逃げるように田舎の高校に通っていた。


当然、親族からも誰からも私と弟はいつも比較され、それを疎ましく思うこともあったし。

優秀な弟に嫉妬もした。


 だが、それでも嫌いになることは不思議となく妬みながらも私は弟を愛していたということは断言できる。


 兄弟だから……とかそういう物ではない。


 兄弟だからと言って仲が悪く憎みあうものだっている。

 

だからきっと、私が弟を愛していたのは弟の持つ人徳ゆえだったのだろうと信じている。

 

だけど、弟はいなくなってしまった。


 県大会を控えた夏の練習後……帰宅途中に暴走した車にひき逃げに会い弟は死んだ。

 犯人は捕まっておらず……ちぎれた右腕は何処かに消えてとうとう見つからなかった。


 弟の友達から聞いた話だが……弟の右腕には、試合中以外は必ず安物の腕時計が付けられていたらしい。


……その話を聞いたとき、私と弟の繋がりが千切れた音が聞こえた。


 葬式には大勢の人が集まった。

 知らない場所から、知らない人、知らない友達。

 生徒だけではなく……私を含めた誰もが泣き崩れながら弟の死を悲しんだ。


 だが……その時に私は気が付いてしまったのだ。


 きっと、私が死んでもこれだけの人は悲しまない……と。


 どうせなら……私のほうが死ねば良かったんだと。


 どちらが残ったほうが良かったかは明白であり……誰も口に出すことはなかったが、誰もがそんな風にきっと思っているのだと……そんな風に感じていた。


「……ただいま」


「あら、帰ってたの」


「うん……今さっきね」


「ごはんできてるから」


「……うん」


「亮一にお線香は?」


「上げたよ」


「そう……」


 弟が死んでから、母はずっと上の空。


 私のことなど気にも留めず、抜け殻のように家事をし……家事が終わると弟の写真が写った写真立てを魂が抜かれたかのようにぼぅっと眺めている。


 父はそんな母に声をかけることもできず……目をそらすかのように新聞に顔をうずめた。


 無言の食卓……いや、それは死人の食卓だ。


 去年まで夕食の肉を取り合ってけんかをした弟はおらず。

 そんな光景に笑いながらお酒を飲む父も、怒る母親もいない。


 私の家族はきっと、弟と一緒に死んでしまったのだろう。

 一人いなくなっただけで、家族は簡単に死んでしまうのだ。


「明日……学校に泊まるから夕飯はいらない」


「……そう」


 上の空の母……代わりに父が新聞から顔をのぞかせて怪訝そうな表情を見せる。


「この時期にか? まだ夏休みには早いだろう?」


「大会が近くて……夏休みに大会があるのに、夏休みに合宿やっても間に合わないでしょ?」


 とっさについた嘘であるが、父は納得したようにふむと言葉を漏らす。


「確かにそうか」


 それ以上の言及はない。


 どうせなら、嘘がばれてここで大声で怒鳴られたほうがましだった。


 こんなにも色白で……怪我も髪の毛に汚れも汗もほとんどかいていない体のサッカー部員がどこにいるだろうか。


 ……父親も母親も……誰も私など見ていない。


 美術部であった私が、弟が死んでからサッカー部になっていても疑問にすら思ってくれはしない。


 弟を思い出せるサッカーという言葉の耳ざわりが良いのか。

 考えることすら拒絶しているのか。


ただわかるのは井上 和弘という人間が、父と母の視界にすら入っていないこと……それだけは確かであった。

「ごちそうさま……」

 

 このころ、私は夕飯を終えると、すぐさま玄関に向かいある場所に向かうのが日課になっていた。

 ここよりも素晴らしく、私が私でいられる場所。

 そして、この悪夢のような居場所から……目を背けられる場所だ。


「……またおばあちゃんの家か?」


「うん……」


 その言葉を聞くと、父は何も言わずにまた新聞に顔をうずめる。

 私もそれ以上何も言うことはなく……ぴしゃりと玄関の扉を閉め、隣の家に向かうのであった。


 同じ敷地内に建てられた私の家の隣にある小さな平屋。

 築40年を超える古びたその家に、祖母は一人で住んでいる。

 

 インターホンを押すことはまずなく、私はキーケースにしまってある変色した鍵を取り出して、玄関にさし、くるりと回す。


 心地よい解錠の感覚が指に走り、鍵を引き抜き扉を開ける。


 手入れの行き届いた扉は古さを感じさせることなくするりと開き。


「そろそろだと思ったわよ……クッキー食べるかい?」


 そこには、予知でもしていたのかクッキーの箱を片手に玄関に立つ祖母 井上 豊子がいた。


「ここでずっと待ってたの?」


 私は冗談交じりに祖母にそう語ると。


「そんなわけないでしょうが、そろそろだと思ったんだよ」


「さすが……なんでも知ってるな、ばあちゃんは」


「ふふん……そりゃそうさ。あたしゃ妖怪だからね。あんたのことならなんでもお見通しさ。和弘ぉ、あんたまたひっかき桜に引っかかって畑に落ちたね?」


「うげ……一瞬でばれるのかよ……」


「本当に、間抜けなところは爺さんによく似たんだから……ほらほら上がんな」


 のそのそとリビングへと戻っていく祖母に、私は口を緩ませてついていく。

 

 祖母は必ずこうして私を出迎え、そしてその日あったことを一つ言い当てる。

 外れることもあったが……今思えば、貴方を見ていると私を安心させるためでもあったのだろう……その思惑通り、祖母の行動に私は救われていた。


「まぁ座んな……晩御飯は?」


「食べたよ」


「お母さんは相変わらずかい」


「うん……あぁでも、料理はしっかり作ってくれてるし」


「そうかい……こっちにはとんと顔を出さんよ。前は毎日様子を見に来てくれたんだけどねぇ……まぁこっちも気ぃ使わなくていいからいいんだけどね。辛気臭い空気ここにまで持ち込まれちゃたまんないよ」


 クッキーをかじり、祖母は笑う。

 一見……弟の死を悲しんでいない様に見えるがそうではないことは、僕は知っている。

 

 生前……祖母のもとをよく訪れていたのは弟の方であった。

 部活で忙しいというのに、部活帰りには必ず祖母のもとに寄って、真っ先に自分の活躍を語って聞かせていた。


 だからだろう。


弟が死んだとき、祖父の葬式でもなかなかった祖母の涙を始めてみた。


 その涙は、私が見た最初で最後の涙だった。


「それで? あんたまだ奇譚研究会にいるのかい?」

 

「え? あぁうん。やめるつもりはないよ……居心地いいし」


「あんまり……空想にとらわれるんじゃないよ? 抜け殻になっちまうからね」


「そんなつもりは毛頭ねーよ……そもそも友達同士で集まってだべってるだけだし」


「どうだかね……それなら文芸部でもなんでもいいはずなのに、どうして奇譚研究会なんだい?」


「民俗学を愛し、不思議の探求をその目的とする。その土地の不思議な話っていうのは、その土地での風習や伝統を色濃く反映する。 だからその土地の【奇譚】というのは歴史とその土地の風土を知るうえでは欠かせないんだよ。だから奇譚研究会なのさ」


「論点がずれてるよ、私はなんで歴史なんかに興味がないくせにそんなものを作ったのか聞いてるんだ。わざと外して誤魔化そうとしたね?」


「ばれたか……正直言うと小夜の奴がどうして奇譚研究会を作ったのかはよくわかんね。この文言も俺が考えたものだしな」


「やれやれ、分からないなら分からないって言やいいものを……そんなんだから詐欺師だなんて呼ばれるんだよ」


「嘘つくことくらいしか、出来ることがないんでね」


「減らず口が……誰に似たんだかねぇ……」


「間違いなくばあちゃん似だよ」

 

「余計なもん受け継ぐんじゃないよバカたれ」


「無茶いうな!? 自分の意思で遺伝したわけじゃねえよ!?」


 私の反応に、祖母はにこりと微笑む。

 からかわれているのは間違いないが、その笑顔は時々小夜を彷彿とさせるものがある。


「まぁ、それは置いておいて……理由が分からないなら小夜ってこのこと良く見ておくんだよ?」


「なんでだよ?」


「奇譚ってのは恐怖でもあり、触れてはいけない禁忌でもある。ただ面白おかしくそれを語り合うだけならまだしも、それを研究するってことは……時には虎の尾を踏みに行くようなものだからね……もっとも、活動自体してないみたいだからその心配はないんだろうけど」


「禁忌……」


 私はその言葉を反芻した。


 祖母と共に騒がしく話していたというのに、その言葉だけはやけに部屋に響いたのを覚えている。


 

 七不思議とはもともと知ってはいけないものだ。

 

七つをすべて知ると不幸が舞い降りるという、人間の好奇心と恐怖をあおるシステムであり、百物語が形を変えたものともいえる。

 

 ハルカミサマという神様についての七不思議。


 もしこれがせんげんだいという土地の……禁忌であるのだとしたら。

 

 そう思った瞬間私は、今まで感じることもなかった子供ながらの不安が背中をなでた。

 

 表情には出していないつもりだったが……祖母の前ではそんな微妙な変化でさえも読み取った。

 彼女に隠し事はほぼ不可能だ。


「なんだい、あんた心当たりがあるのかい?」


 そう語り掛ける祖母。


 ここまでばれているのなら話さない理由はなかった。


私は少しばつが悪い思いをしながらも、合宿をすること、そしてせんげん台の七不思議について調べることになったことをありのまま告げる。


父と母のまえでぎゅうぎゅうに詰められてしまっていた言葉が、嘘のようにするすると流れでていった。


「せんげん台の七不思議ねえ……わざわざ夜中に現地調査に行くなんて……若いわねえ。そんなの資料があるならでっち上げればいいじゃないの」


 ……小夜と同じ発言に私はため息が漏れそうになったが、それでもそれは抑えて話の続きを話す。


「仕方ないだろう? 小夜が言い出したんだから」


「ふぅん……小夜ちゃんがねえ?」


「なんだよ」


 何やら含むところがあるようで、祖母は眼を細めて頷くと。


「青春だねえ……」


 にやにやしながら小指を立てた。


「ばっ!? ちょっ! そ、そんなんじゃねーから!」


「おや、何がだい? あたしはなんも言っとらんけどねぇ?」


「あぁもう!? そういうところ小夜とそっくりだよばあちゃんは!」


「あらぁ、それじゃあアンタが惚れるのも無理はないねえ、何せあんたは爺さん似だから」


「惚れてね―よ!」


「ふっふっふっふ。いやあー、あんたはからかいがいがあるよ。なんでもすぐに真っ赤になって返してくれるからねぇ。あんたの慌てふためく顔を見るのがここ最近の唯一のあたしの楽しみさ」


「なんつー趣味の悪い!? たまには孫と穏やかな会話を楽しもうとは思わねーのかよ」


「いやだね、静かなのは退屈だよ。面白おかしく生きてこその人生さ……あたしが死んだときは、同時に盛大な花火と共に散らせておくれよ」


 余談ではあるが、この祖母が亡くなったとき……遺言の通り葬式の際に花火が打ち上げられることになるのだが……それはまだまだ先の話である。


「まったく……本当に騒がしいのが好きなんだから」


「あぁそうさ。あんたをからかって遊んでると……爺さんとあんたがけんかしていた時のことを思い出すからね」


「……ほとんど覚えてねーけどな」


「それは残念だね……あれは本当に面白かったよ。当時5歳だったあんたに、60のあの人が顔真っ赤になって喧嘩している様子はね」


「……お、大人げねえ」


「あぁ、とくに一番面白かったのは、北極と南極……どっちが寒いって喧嘩をしていた時さ」


「そんな喧嘩もしてたのか?」


「ああ、あれは面白かったよ、あんたは南極だって言い張って、あの人は北極だって言ってきかなかった。 北海道と沖縄どっちが寒いか考えればわかるだろう! って言ってね……結果南極のほうが寒くってね、一晩中「オーストラリアまでは暑いのに」って呟いてたよ」


「そりゃ、傑作だな」


「傑作だろう? まぁしかし、思えばあんたは昔から口だけは達者だったからねぇ」


「そりゃどーも」


「あぁ……今もあの人が生きてたら……きっとあんたとまた喧嘩して、今よりももっと楽しい時間が過ぎていったんだろうね」


 寂しそうに祖母は笑った。


 その言葉を……祖母は亮一にも言ったのだろうか。


 私にはそれを聞く勇気は最後までわかなかった。


 この、祖父のいない家での孤独。

その寂しさを亮一は埋められていたのではないか。

 やはり私では……そんな自己嫌悪と、そして悲しみが押し寄せ……今にも叫びたいと思う衝動を……必死に抑え続けた。


 怒りではない……きっとこれが悲しみなのだろう。


 そう理解したのは、このころだ。


 祖母が祖父の存在の大きさを思い出しているように。 

 私も弟という存在の大きさに押しつぶされそうになる。


 それが、誰かがいなくなるということなのだ。


 数秒……沈黙が流れ、古くなった家の天井がミシリと家鳴りを起こす。


「それで、合宿はいつなんだい?」


 先ほどまでの話を家鳴りがとって食べてしまったかのように、祖母はまたいつものように私に質問を投げかけ、私もそんな思いを忘れて質問に答える。


「明日だね」


「随分と早いねえ」


「小夜の奴が急に決めてな……ライライには相談したってのに」


「ふふっ、恥ずかしかったんだよきっと」


「んなわけねーだろ……まぁいいや。そろそろ帰るよ、明日も早いし」


「青春だねぇ……でもそうかい、明日かい……寂しくなるねえ」


「? なんで寂しくなるんだよ……また来るぞ?」


「そういう意味じゃないよ。 早く帰って寝な」


 その時、どうして祖母がそんなセリフを放ったのかを、当時の私には分からなかった。

 だがその時祖母は何かを感じていたのだと思う。


 今思えば、その言葉にはいろいろな感情が込められていた。

 だけどその当時の私はとても未熟で……聞き流すだけでそのまま家に帰ったのだった。



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