六譚 負け犬バスと恋の道
「でさー、それがまた臭くてさー」
「っあっはは……確かにそれはくっさいわね」
「よくそんな匂いになるまで育て上げたなお前!」
「そりゃ、ここら辺は田舎だからねー」
「食べたらどんな味するんですかね?」
暗くなった帰り道、薄暗く街灯もない道を私と小夜、ライライ、そして新たなメンバーである志穂はのんびりと雑談をしながら帰宅する。
この時が一番私たちは騒がしく、それは新たなメンバーが増えたとしても変わらなかった。
内容は他愛のない無駄話。
この前見たテレビの話であったり、うわさ話であったりと、たいていが将来の役に立たないことばかりであり、人の多い駅前で私たちの会話を聞いた大人たちはよく眉をひそめ嫌悪するような眼差しを私たちに向けたものであるが。
大人になった今思うと、この時の会話も学校の授業も同じぐらい役になどたってはいない。
少なくとも、良き思い出だったと振り返れるだけ友人たちとの会話のほうが役に立ったと言えるだろう。
「田舎といえば……ここいらは本当に暗いよな」
夜の七時……春と言えどもこの時間となれば太陽はその姿を隠し、静寂の世界が訪れる。
町の中とは異なり、明かりはぽつぽつと等間隔にある古びた街灯のみであり、帰れなくなるほどではないが、昼間にはどこまでも続いているように見える田園風景はすっぽりと闇の中に沈み、世界が少し狭く感じた。
「わ、悪い人とかに襲われないか……少し、怖いですよね」
「志穂の場合、襲い掛かろうとしたほうが悲鳴を上げて逃げ出すでしょうけどね」
「ひ、ひどい!?」
「まぁまぁ……襲われないのはいいことじゃない」
「そ、そうですよね!」
果たしてそうなのかどうかは分からなかったが、本人は納得している様子であったためそういうことにしておくことにした。
「まあ、田んぼの回りに電飾つけるわけにはいかないんだからしょうがないんじゃない? そのために【負け犬バス】があるんだから」
「まぁ……そうだけどよ」
負け犬バスとは通称であり、正式には学校側が用意した通学用のバスだ。
最寄りの駅から遠いという点と、夜中にあたりが真っ暗になってしまうという理由から用意されたそのバスは、徒歩30分の距離を5分で走る。
田舎であるため渋滞には無縁であり、学生たちは景色と空調の聞いた社内で優雅な登下校をすることができる……はずなのだが。
「途中下車不可なのは仕方ないけど、人が詰め込まれすぎだよね……あれ」
「わ、私怖くて乗れないですあれ」
それはあくまで学校側の理想であり、現実は東京地下鉄朝7時の満員電車よりもごった返した車内であり。
おまけに6時~7時の間は運動部の人間が詰め込まれるため……汗のにおいと泥汚れに耐える地獄のような5分間を味わうことになる。
ちなみに【負け組バス】と呼ばれる所以は、そんなバスに恋人同士で乗る学生はいないという意味であり。
それと対照的にこの道は【恋の道】なんて呼ばれていた。
徒歩30分という時間はお互いの会話が切れることなく、丁度盛り上がってきたところで最寄り駅に到着してしまうとても絶妙な時間であり、さらにはその間暗闇が二人の秘め事を覆い隠してくれる。
手をつないでいようが、こっそりキスの一つでもしようが……このせんげん台という道の暗闇はそんな甘酸っぱいワンシーンを見て見ぬふりをしてくれるのだ。
「剣道部と一緒の時が一番つらかったわ……あれ以来もう二度と乗るもんかって心に決めてるの」
「うえー……ご愁傷様」
もっとも、私たちのような理由で歩くものも多いのだが……。
「あ、剣道部といえばさこんな話があってさ」
「ん? どうしたんだ急に?」
「うちの学校って、シャワー室があるじゃない」
「そういえば、ありますね?」
「去年、剣道部の友達がレギュラー合宿で、大会に出る8人で学校に泊まった時の話らしいんだけどね。あのシャワー室って8部屋全部個室になってるじゃないか」
「んあ? そうだな……結構広いんだよな。田舎なのにシャワー室だけは出来たばっかりですごいきれいだし」
「あそこの扉って、曇りガラスになってて中に誰かがいるってことがわかるし、外に誰かがいることもわかるようになっているんだよね」
「そうなんですか、わ、私運動と無縁な人間なので、シャワー室はいったことないんですけど、そうなってるんですね」
「うん。友達はそこで、ちょうど体を洗ってる時だったんだ。鏡を見てみたら、誰か小柄な人間が外に立ってるのに気づいてね……その直後にコンコンって、扉をノックされたんだって。中に入ってるのにノックするなんておかしな話だろう? それに、外にいた影はノックをすると走って逃げて行っちゃったんだって。それで、きっと誰かの悪戯だろうって友達は頭にきたらしくてね、扉を開けてこういったんだ「誰だよ、ノックしたの」って……だけどね、誰からも返事はなかったんだ。なぜかって、みんなシャワーを浴びてたからさ……おかしいよね、部員は八人部屋も八部屋……合宿だから生徒はほかにいない。ノックをしたのは一体誰だったんだろうね?」
ぞわりと背筋に寒気が走り、私はライライの怖い話に息をのむ。
「……こ、顧問の先生だったりして」
「顧問は白幡先生だよ? あのゴリラを小柄っていうやつはいないよ……それでね、後から知った話なんだけど、丁度シャワー室があるところ、あそこは昔体育館倉庫で、昔女子生徒が虐められて自殺をしたところなんだって……そして、友達が入ったシャワー室の個室が、丁度女の子が首をつっていたところで……」
瞬間……私の頬を何か乾いたものが触れた。
「……うひゃあああああああ!?」
「カズさん!?」
指の爪で頬をひっかかれるような感触を感じ、私は思わず声を上げよろけ、足を踏み外して畑の湿った土へと沈みこませる。
「はっはは!! やったぜ! カズのやつがまたやった!」
「大成功ねライライ! タイミングばっちりよ!」
大笑いをする二人に、私は片足を畑の土の中に突っ込ませながら隣を見ると、闇に身をひそめて立つ桜の木があり、小夜とライライと共に私をあざ笑うかのように枝をざわざわと揺らしている。
「か、カズさん、大丈夫ですかぁ?」
「なんとかな……ちっくしょ……ひっかき桜か……忘れてた」
「忘れてたのはアンタだけよおまぬけさん。 ぜーったい引っかかると思って黙ってたけど案の定だったわね」
小夜とライライは顔を見合わせてハイタッチなんてしており、私は沈んだ足を引き抜き、愉快そうに背中をつつく桜の枝を腕で払う。
「……二人してはめやがって。踝ぐらいまで沈んじまったじゃねーか。ひんやりした土が靴の中に入ってきて気持ち悪いわ!」
「ごめんごめん……まさか落ちるとは思わなくて……まぁ田んぼじゃなくて良かったわね」
「肉まんおごってあげるからそんな怒らないでよカズ」
畑に落ちて怒る私に、仲直りとでも言いたげに手を伸ばす二人。
この時私は仕返しを思いつき、両手で同時に二人の手を取り。
「この野郎……お前らも落ちやがれ!」
「あわわ!?」
「ちょっ!? カズ、きゃあー!」
二人共畑の中に足を突っ込ませてやった。
「うえええぇ、靴の中に土が入って……確かにひんやりして気持ち悪い!」
「ちょっとこらカズ!? 私女の子なんですけど! 泥だらけの靴で帰っておじさんとおばさんになんて言やいいってのよこら!」
「正直に畑でカエル探してましたって言やいいだろうが!」
「いえるかー!?」
小夜は叫ぶと一瞬しゃがみ、土を掴むと私の服に向けてその土を投げつける。
乾いてはいるわけでも、湿っているわけでもない畑の土は私の服に触れるとはじけてパラパラと落ちていき、独特な香りが鼻をくすぐる。
「やったなこの……」
別に汚れたわけでもないが……小夜の宣戦布告に私は高校生でありながらも子供のように土を握ると小夜に投げ返す。
「きゃあー!?」
どうやらシャツの中にででも入ったらしく、小夜は悲鳴を上げるとパタパタと服をはためかせて、土を落とす。
「なになに……土投げ合戦? 俺負けないよ!」
「負けた奴がジュースおごりだからな!」
「勝ち負けの基準って何よバカ!!」
「わ、わ、私も―!! 行きますよー! ぶおおおぉ、ダイナミーック!」
「わー志穂!? なんであんたまでわざわざ飛び込んでくるのよ!」
いつもと変わらないバカ騒ぎ……。
だが、そんな夢のような時間はいつだってみんなが一緒のときだけであり。
夢とは必ず覚めるものであり、高校生である私はそのことをすでに知ってはいたのだが。
それでもその夢が一秒でも長く続くように子供のようにじゃれあった。
その時は自分だけだとも思っていたが……きっとその感情はみんなも同じだったに違いない。
余談だが、その日ジュースをおごったのは私であった。




