第六百一話 相談
ラマロン皇国の宮殿の一室では、三人の男が天を仰いでいた。
「もはや議論は尽きた」
誰に言うともなく呟いたのは、宰相であるマドリンだった。彼は、巨体を大儀そうにゆすりながら座を直る。
「儂の案以外に、有効な手は、ない」
マドリンの視線の先には、ラマロン皇国軍元帥のカリエスと、総司令官であるアーモンドだった。二人は眉間に皺を寄せ、厳しい表情でマドリンを睨みつけている。
「皇国は、二つに割れるだろうな」
腹の底から絞り出すようにして、カリエスが口を開く。彼の額には、ねばい汗が光っていた。
「いや、元帥。儂の見込みでは、二つに割れるのは皇国軍だ。我々官吏の立場では、国が問題なく運営できればそれでよいのだ。寧ろ、国の運営が立ち行かなくなること、せっかくうまくいっている体制が崩れてしまうことこそが、我々の懸念するところなのだ」
「ううむ……」
カリエスは腕を組んで再び天を仰いだ。そのとき、彼の隣に控えていたアーモンドがゆっくりと口を開いた。
「私も、宰相様の意見に、賛成です」
「アーモンド……」
「致し方ありません。目先の利益に惑わされずに、国家百年の計を誤らないのが真の政治家と言うものです。マドリン様は百年先の未来を見据えていらっしゃる。そうではありませんか」
カリエスは苦虫をかみつぶしたかのような笑みを浮かべる。
「また、ラマロン皇国に、血の雨が降るのか」
カリエスはさも、残念そうな表情を浮かべながら、小さな声で呟いた。
◆ ◆ ◆
「なに? マドリン宰相が?」
驚いた表情を浮かべているのは、マトカルだ。ついさっき、俺の許にラマロン皇国からの使者がやってきて、宰相自身が俺に会いたいと言ってきたのだ。
あの男がわざわざ都までやって来る……。何か、ラマロンの中で何かが起こったのだろうということは、容易に想像がつく。彼は、あの巨体でありながら、その身は多忙を極めている身だ。まさしくあの国は、あの宰相で持っている。その男がわざわざ職務を投げうってこちらまでやって来る……。その理由を使者に尋ねても、当を得ない答えしか返ってこない。鑑定スキルで使者の過去を覗いてみたが、彼自身も、宰相から何としても俺に会う約束を取り付けてこいと言われているだけだ。
……確実に、良い話でない。
俺は使者が帰った後、すぐにマトカルを執務室に呼んだ。そして、宰相がやって来ることを伝えると、彼女は珍しく感情を露わにした。
「……一体、皇国で何が起こっているのだ?」
「うん、俺にもよくわからないんだ。一応調べてみたが、どこかの国に攻められているわけでもないし、国内で反乱と思しき動きも見られない。わざわざ宰相自らやって来る理由はなさそうなんだけれどな」
「ご機嫌伺いではないことは、確かだ」
「そうだな……。まあ、俺たちが顔を突き合わせて悩んでも仕方がない。宰相の話を聞いてから考えるとしようか」
「そうしよう。そのときは、私も同席させてほしい。何か、イヤな予感がするのだ」
「……わかった」
そう言ってマトカルは執務室を後にした。
数日後、マドリン宰相がやって来た。しかも、総司令官のアーモンドも一緒に連れて。俺は驚きを隠して、平静を装いながら二人に声をかける。
「お久しぶりです。まさか、アーモンドさんもご一緒とは……」
アーモンドは微笑を浮かべながら、ゆっくりと頭を下げる。いつもは軍服を着込んでいるが、この日は宰相と衣裳を合わせて、貴族のような服を着込んでいた。一見すると、それなりの貴族に見えなくもない。ただ、その体から発する雰囲気がただ者ではなく、違和感が半端ではない。
チラリと隣に控えているマトカルに視線を向ける。彼女は、いつもと変わらぬ平静を装っている。
挨拶もそこそこに、宰相のマドリンが改まった表情で口を開く。
「アガルタ王様に一つ、お願いがございまして、この度、こちらに伺わせていただきました」
「承りましょう」
「単刀直入に申し上げる。ご子息のファルコ殿を、ラマロン皇国にいただきたいのです」
「は?」
「驚かれるのも無理はない。そして、無理なお願いであることは重々承知しております。しかし、皇国の未来がかかっております。思うところは色々ありましょうが、そこを曲げて、お願いを申し上げたいのです」
「すみません、話の流れが全く見えません。なぜ、倅を?」
「陛下のお命が、もう……」
マドリンはスッと俺から視線を外した。ラマロン皇国の皇帝は、かなり長い間、軟禁状態にある。軟禁といっても、好きな者は自由に買えるし、好きな女性たちに囲まれて悠々自適の生活だと聞いていた。確か、まだ若かったはずだ。五十代だったか?
「医師や魔術師にも見せましたが、すでに心臓が衰弱しておりまして、自分で動かす力がほとんどない状態なのです」
「はあ……」
アーモンドが冷静沈着に説明してくる。その言葉に、マドリンが再び俺に視線を向けた。
「お察しの通り、陛下がお隠れあそばせば、お世継ぎ問題が発生いたします」
「ええと、今の皇帝には何人の子供が?」
「男子で申し上げると、二人です」
「なるほど。その二人の骨肉の争いになりますか……」
「と、申しますか、お二人とも反アガルタなのです」
「へ? そうなのですか?」
「マトカル様にとっては、兄君であらせられます。お二人の人物については、よくご存じかと……」
マドリンはその視線をマトカルに向ける。だが、彼女はゆっくりと首を左右に振る。
「私にはよくわからない。幼くして宮殿を出て、士官学校、ひいては皇国軍で勤務していたからな」
「マトカル様が皇国軍においでになった際、兄君の一人であらせられるオーハン様は、軍司令官のお一人でした。その人となりは、十分にご存知かと……」
「そうなのか、マト? そのオーハンと言うのは、どういう人物なんだ?」
「……一言で言えば、軍人に向いていない」
「そうなのか?」
「自分の都合のいい情報は取り入れるが、都合の悪い情報は聞き入れない癖がある」
「左様。それがために、オーハン様は後宮警備隊の司令官に転任なされたのです」
アーモンドが無表情のまま口を開く。どうやら、今の皇帝候補は、ラマロン軍にとってもあまり都合のいい人物ではなさそうだ。
「オーハン様とその弟君であらせられるクラハラ様は、お二人とも反アガルタです。宰相様がいかにお諫めしても、頑としてその考えを変えることをなさいません。それどころか、アガルタに再度侵攻せよと妄言を言われる有様です。これは、お二人の近習が常に、耳触りのよい話のみを聞かせているからに他なりません」
「では、その二人のどちらかを近習から引き離して、マドリン宰相やアーモンド総司令官の許で養育してはどうなのです?」
「お恥ずかしい話ですが、それは何度も試みましたが……」
「なるほど……。しかし、そうは言っても、倅……ファルコを皇帝の養子にしたところで、国内の反発が強くなるのでは? 下手をすると、内乱になる可能性があると思いますが……」
「いいえ。我々は、ファルコ様を陛下の養子にするつもりなどございません」
「と、言われると?」
マドリン宰相は、巨体を大儀そうに揺らしながら、俺の前に進み出た。
「ファルコ様は、立派な陛下のお孫様であらせられます。陛下の血とアガルタ王様の血を受け継いだ、立派な皇子さまであらせられます。皇国の次の御位にお就きあそばすのに、何の障害がありましょうか」
「実は、お世継ぎ問題とは別に、我々には、もう一つ、やりたいことがあるのです」
宰相の後ろで、アーモンドが口を開いた。彼の眼には、鋭さが増していた……。




