第五百八十話 予兆
「そうですか……。承知しました」
セルロイトの報告を聞いたメイリアスは、大きく頷いた。たどたどしい説明で、果たして伝わっているだろうかと不安がるセルロイトに、メイリアスは彼女が言った事柄を、実に明快にまとめて繰り返して言ってみせた。
「セルロイトさん、もし、よかったら、これを参考にしてください」
不意にメイリアスからノートを手渡される。そこには、実験の経過が詳細に記されていた。彼女は、実験ノートの書き方を丁寧に教え、こうすれば、誰にでも伝わりやすい説明ができるようになりますと言って、笑顔を見せた。
「なるほど」
思わずセルロイトは頷く。これならば、喋らなくても自分の実験が伝わりやすい。彼女はメイリアスのノートを食い入るように見つめた。
「どうぞ、それはお貸しします」
「あっ、ありがとう、ございます」
セルロイトは丁寧に礼を言い、ノートを抱きしめるようにして立ち上がった。そして、試したいことがあると言って、友好の花が植えられている鉢植えの前に立った。
「う~ん」
そこでは、コンシディーが額に手を当てながら何かを考えていた。目をギュッと閉じて天を仰いでいたが、ふと目があき、セルロイトと視線が合った。
「だっ、大丈夫、ですか?」
セルロイトの言葉に、コンシディーはフッと笑みを漏らしながら頷く。
「何か、打開策はあるのよ。何となく、上手くいきそうな気がするんだけれど、それが何かが思いつかないのよ。ああ、何か、気持ちが悪い……」
聞けば、コンシディーはセルロイトの研究を引き継いで、さらに多くの毒物をこの花に注入したのだという。だが、彼女の直感はそれが解決に結びつくとは伝えなかった。
万策尽く……。まさに今のコンシディーは、そんな状況にあった。
セルロイトは、代わりましょうと言って、コンシディーが座っていた椅子に座り直した。そして、カバンの中から小箱を取り出し、それを注意深く開けた。
「うわっ」
突然、小動物が踊りだすように箱から飛び出した。思わずコンシディーは声を上げる。
飛び出してきたのは、小さなネズミだった。黄土色の毛に覆われた、フェリーラットがちょろちょろと机の上を走り回っている。やがてネズミは鉢植えにピョンと飛び乗ったかと思うと、スンスンと鼻を動かして、友好の花の香りを嗅ぎ始めた。
「あっ」
セルロイトは思わず声を上げた。フェリーラットが花の茎をかじり始めたからだ。
いつの間にか、メイリアスとコンシディーが鉢植えを覗き込んでいた。三人は息を殺してじっとネズミの動きを見守る。
どのくらいの時間が経っただろうか。三人は息を殺してネズミの動きを凝視している。ネズミはすでに土の中に潜り込んでいて、ごそごそと土が左右に揺れていた。
「……!」
三人の息が止まった。友好の花がゆっくりと倒れ、そして、ゆっくりと白く染まっていったのだ。
三人は互いに顔を見合わせている。目の前には、まるで石膏で固めたかのような花の姿があった。
セルロイトは恐る恐る花に触れてみた。すると、花は音もなく崩れ去った。
メイリアス、コンシディー、セルロイトの三人は、再び無言のまま顔を見合わせる。やがて、誰と言うともなく、三人は無言のまま手を取り合った。
「フェリーラット……」
まるで、喜びをかみ殺すように、コンシディーが呟く。その瞳には爛々とした光が宿っていた。
「農場です……。ヤンノーリさんの……」
「今すぐ行きましょう」
メイリアスの声に、三人は同時に立ち上がった。
◆ ◆ ◆
「え……」
メイリアスらの姿を見たヤンノーリは眼を見開いて固まった。彼は片膝をついて、フェリーラットに食い荒らされた果実を片付けているところだった。
「ネズミは?」
コンシディーの声に、ヤンノーリは口をポカンと開けたまま、ただ頷いている。彼女は男から視線を外して、周囲を見廻している。
「……何となく、だけれど、相当数のネズミがいるんじゃないかな」
「では、罠をしかけましょう」
「わかったわ、メイちゃん。任せておいて」
そう言ってコンシディーは足早に農場を後にしていった。メイリアスはその後ろ姿を見送ると、ヤンノーリに突然押しかけてきた非礼を詫び、もしかすると、フェリーラットが友好の花を撲滅するカギを握っているかもしれないことを、丁寧に説明した。
「そのために、できるだけ多くのフェリーラットを捕まえようと思います」
「はぁぁ……そう、ですか……。まあ、ご覧の通りの有様です。コンシディー様も言っておいででしたが、ネズミはかなりいると思われますので、好きなだけ捕まえていただければ……。」
メイリアスの話に、まるで夢に浮かされたような表情を浮かべながら、ヤンノーリは頷いている。
「や……ヤンノーリさんの作物が、すっ、すばらしい、です、から、たくさんのネズミが、獲れます」
セルロイトが笑顔で話しかける。そんな彼女に、ヤンノーリは大きなため息をつきながら、小さな声で呟く。
「あの……何も私は、ネズミのために育てているわけでは……」
ヤンノーリの困った表情を見て、セルロイトは思わずケラケラと笑った。その表情はとても明るく、その笑顔によって、彼は心が癒されていくのを感じた。
◆ ◆ ◆
同じ頃、ヴィエイユは教皇神殿の執務室で、一通の書簡に目を通していた。それは、フォーアル大公国から送られた報告書だった。
そこには、大公・テイストが重病に臥していること、その平癒のために、フォーアルはフラディメ王国のリボーン大上王に医師を派遣してもらうための使者を送ったこと、大公の病状に関しては徹底的に秘匿されているために、病状については不明だという内容が記されてあった。
ヴィエイユはフッと笑みを漏らす。
フォーアルの使者は間違いなくアガルタに向かったのだ。大公はアガルタに助けを求めたに違いない。と、すれば、あの王のことだ。きっと、フォーアルに手を貸すはずだ。
まさに、注文通りの展開だった。あの花のことを知ったアガルタ王はどんな顔をするだろうか。おそらく、呆れた顔で、何と言うことをするのだと言ってくるに違いない。
ヴィエイユにとって、友好の花がどのようにしてアガルタ認知させるのかが一番重要だった。単に生命力の強い花というだけでは、あの王は興味を持たないだろう。いかにそれが世界規模で影響を及ぼすのかを知らしめることが重要だと考えていた。きっと、フォーアルの使者から聞く、あの花の危険さは、さぞ迫力があるだろう。できることなら、自分もその場にいて聞いて見たかったものだ。
アガルタが本気になれば、あの花を駆除することは十分可能だろう。だが、ヴィエイユにとっては、そうしたカードをクリミアーナ教国が持っていることを認知させることが第一の目的だった。それはどうやら達成されたようだ。しかも、フォーアルの友好の花は未だに咲き続けているのだという。花の実験としても、十分な成果が得られていた。
さて、このカードを使って、アガルタとどのように交渉していくべきか……。ヴィエイユの視線が鋭さを増していく。彼女の頭の中では、友好の花を使わない、と言うカードの見返りに、アガルタに何を求めるかを考えていた。
……私とあの王が関係を結べればいいのだけれど。
だが、友好の花を使用しない見返りに、自分を抱いてくれと言うのは、いくら何でもおかしな話だ。ヴィエイユは思わずクスリと笑みを漏らす。
「あれ?」
そのとき、ヴィエイユの服のボタンの一つが音もなく落ちた。彼女はそれを拾い上げると、無造作に机の上に置いた。ふと見ると、目の前に控える若い枢機卿が、顔を真っ赤にしながら、あらぬ方向に視線を向けている。
外れたのは、胸元のボタンだった。胸の谷間が見えてしまっている。彼女は自分の胸と、目の前の枢機卿の交互に視線を向けながら、いたずらっぽい笑みを浮かべるのだった。




