第五百六十八話 ある出会い
アガルタにやって来て、二週間が経とうとしていた。セルロイトは、目の前に広がる畑を見て、ゆっくりと息を吐きだした。
目まぐるしい日々だった。アガルタ王との謁見を終えてすぐ、アガルタ大学に案内された。大学と言っても、都の中にあるキャンパスではなく、連れて行かれたのは都の外にある農場だった。
そこは地平線の彼方まで広がる広大なもので、セルロイトは噂には聞いていたものの、まさかこれほどの規模とは思いもよらず、思わず口をあんぐりと開いて、呆然とその場に立ち尽くした。
そこでは種々様々な作物が育てられていた。セルロイトをして、初めて見る種類もいくつもあった。彼女は久しぶりに胸をときめかせながら、畑の作物を眺めていた。
その様子を見た聖女・メイリアスは、明日からしばらくこの畑に通ってみてはどうかと提案された。彼女の説明によると、この畑には研究者が滞在する宿泊施設もあるらしい。そこに泊まりながら畑を観察し、セルロイトが育ててみたいと思う作物を見つけてはどうかと提案されたのだ。セルロイトに、断るという選択肢はなかった。
次の日、迎賓館から宿泊施設に荷物を移したセルロイトは、早速、アガルタ大学の畑を歩き回った。そこで育てられている作物は、セルロイトの好奇心を強く刺激した。そのため彼女は、来る日も来る日も畑に出かけて歩き回ったのだった。この日も、聖女・メイリアスは忙しい仕事の合間を縫って、セルロイトのために案内役を買って出てくれた。その優しさに恐縮しながら、彼女は畑の作物たちに目を奪われた。
「これは……シーングの実!?」
突然、セルロイトが声を上げた。それもそのはずで、そこには本で読んだ「幻の実」と言われる果実が、畑一面になっていたのだ。真っ赤な、一見するとトマトのような果実が林立した畝に鈴なりになっている。
「よくご存じですね」
畑の中から声がしたかと思うと、シーングの実の間から、年の頃は三十代だろうか。真っ黒に日焼けした少し背の高い、細身の男性がスッと顔を出した。眼には何とも言えぬ愛嬌があり、その上、深い知性を湛えていた。
「私は、アガルタ大学で研究をしています、ヤンノーリと言います」
「あっ、あっ、あっ……ええ……ああ……」
突然話しかけられたために、言葉がうまく出てこない。そんな彼女に、ヤンノーリは優しく微笑みかける。
「ヤンノーリさんは、このアガルタ大学で研究を続けながら、学生たちに農業を教えていただいています。とても丁寧に教えていただけるので、学生たちからの信頼も厚いのですよ」
メイがそう言って紹介する。ヤンノーリは恐縮しながら、顔の前で手を振る。
「そのような……。買い被りすぎですメイ様」
「事実ですもの。それよりも、シーングの状況はいかがですか?」
メイの声に、ヤンノーリの顔が曇る。
「このように実をつけるところまでは、何とかなったのですが……。やはり、味となると、とてもとても……。本来のシーングの実は甘いのですが、ここでなった実は、ほとんど甘みがありません」
彼はそう言って、無造作にシーングの実を取り、服でゴシゴシと磨くと、それを二人の前に差し出した。メイは何のためらいもなくそれを取り、口に運ぶ。セルロイトもそれに倣って、シーングの実を手に取った。
「……確かに。ほのかな甘みは感じますが、書物に書かれてあるような、「溢れ出る甘味」というわけではありませんね」
「そうなのです。色々と手を変えてみてはいるのですが、やはり、甘みだけはどうしても……」
そのとき、セルロイトが出し抜けに口を開いた。
「あ……甘味であれば、みっ、水の量を……調整すると……いいと思います」
「水……ですか? 水は十分に与えていまして、これ以上与えますと、音が腐ってしまう恐れがあるのですが……」
「ぎゃ、逆です」
「と、言うと?」
「みっ、水を……ギリギリまで……与えないの、です」
「……」
「かっ、乾燥した、日差しの強いところで……育てると……甘く……」
セルロイトは、自宅の庭で作物を育てた経験を丁寧に語った。その話をヤンノーリは頷きながら真剣に聞いていたが、やがて、何か得心したような表情を浮かべた。
「なるほど。確かに、砂漠など、痩せた土地で育った作物には、甘みのあるものもありますね。そうか……。これまで、エルカリーナさんにお願いして、湿度などを細かく調整してもらっていましたけれど、むしろそれは悪手だったのか……」
「エルカリーナ?」
何故か、思わず声に出てしまった。セルロイトは戸惑いながら、思わず手で自分の口元を覆った。その様子に、メイは優しい笑みを向けた。
「この農場は、サイリュースの皆さんに協力していただいているのです。エルカリーナさんは、森の精霊と契約していらっしゃるので、湿度などを操ることが得意なのです」
「サイリュース……森の精霊……」
「この農場は、森や空気の精霊と契約されているサイリュースの皆さんが手伝ってくれています。あと、土精霊のノームさんにも、手伝っていただいているのです」
「そうじゃ。儂が見ておるから、この農場の作物はよく育つんじゃ」
突然、老人の声が聞こえた。ふと足元を見ると、小さな老人が胸を張りながら、セルロイトに視線を向けていた。
「ここは元から土の成分がよいところだったんじゃ。そこに、サイリュースたちが、作物ごとに湿度や温度を管理してくれとるから、とても育ちやすいんじゃ。ところで……エルカリーナちゃんはどこにいったんじゃ?」
「今、クワラカの畑に行っています」
ヤンノーリが笑顔で答えている。どうやら、この二人はかなり前からの知り合いのようだ。
「何じゃ、つまらんのう。あの、エルカリーナちゃんの形のいい乳が見られると思っておったのに……。まあ、メイちゃんに会えたから、よしとするかの」
「ノームさん」
メイリアスが呆れたような表情を浮かべている。貴族社会で育ったセルロイトにとっては、女性の体について、あけすけに話題にするのはとても行儀の悪いことだと教えられてきていた。そのため、この小さな老人の傍若無人な態度に、どう接していいのかがわからずに、目を白くさせていた。
「メイ様~。メイ様~!」
突然、男性の大声が響き渡った。驚いて声のした方向に視線を向けると、そこには馬に乗った若い男性がこちらに向かって手を振っていた。男の隣には、一台の馬車が控えていた。
男は馬から降りると、こちらに向かって走ってきた。彼は息を整えながらメイリアスの前で畏まった。
「やはりこちらでしたか。リノス様からの伝言です。すぐに、セルロイト様を連れて、迎賓館までお越しくださいとのことです」
「セルロイト様を連れて?」
「はい。セルロイト様にお客様とのことです」
「私に……?」
セルロイトは不安そうな表情でメイリアスに視線を向ける。この国に来ていることは、フォーアル大公国でも数人しか知らない。にもかかわらず、この自分に客とは……。一瞬、マタカ様かと思ったが、あのお方がこのアガルタに来るわけはない。来たとしても、会わせてくれるとは思えない。となれば、一体誰が……。
そんな彼女に、メイは優しい視線を向け続けている。彼女はゆっくり頷くと、控えている男に視線を向けた。
「わかりました。では、今からセルロイト様を連れて迎賓館に向かいます。ご主人様にそう伝えてください」
「承知しました。あそこに馬車を連れてきております。あれに乗ってお越しください。それでは、私はリノス様にメイ様のお言葉を伝えてまいります」
そう言って彼は、再び走り出し、馬に乗って駆け出して行った。それを見送ったメイは、セルロイトに向かって頷き、馬車に向かおうと促す。
「セルロイトさん」
不意に名前を呼ばれた。声の主は、ヤンノーリだった。彼はセルロイトの手を取ると、両手で優しく握りしめた。
「ありがとうございます。あなたのお蔭で、私の研究が一歩、前に進みそうです。感謝いたします」
セルロイトの細い手を握った彼の手は、とても温かかった。
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