第五百六十六話 選択肢
翌日、フォーアル大公国の港から、一艘の船が出港していった。表向きの理由は、重病を患う大公・テイストを治療する医師を招へいするためと触れ回られていた。そこには、大公・テイスト自身が乗り込んでいて、いつもの衣装とは異なり、貴族が普段着用する衣服に身を包んでいたものの、顔などを隠すことはなく、堂々と船に乗り込んでいった。
この計画が大公の口から発表されると、当然のごとく、ファンタジック公爵とリルレイン侍従長は反対した。彼らは、夜陰に紛れてこの国を出ることを強く提案したが、大公は頑として自分の意見を譲らなかった。
大公は、出港はあくまで日中に、堂々と行われるべきだと主張した。夜陰に紛れてコソコソと事を行えば目立つ。それに、この国にはクリミアーナ教国の使者が来ているのだ。当然のごとく、大公以下、国の主だった者を監視しているだろう。秘密裏に事を行えば、彼らのことだ。必ず嗅ぎつけてくるに決まっている。で、あればむしろ、堂々と事を行った方が、彼らを欺くことができるだろう。大公は口元を幾分緩めながら、そんなことを言ってのけた。
大胆不敵とはこのこと……。リルレイン侍従長は心の中で唸っていた。国の一大事であるこの時期に、そのようなことを実際にやろうとする大公の腹の太さに驚嘆すると共に、もし、これが露見したときのことを考えると、心の中は鬱々たるものがあった。
そんな彼の背中を押したのは、やはり、大公の一言だった。
「小さな嘘はすぐバレるが、大きなウソはバレにくいものだ。どこの世界に、重病だと触れ回っている者が堂々と船に乗り込んで出港するのだ。そのようなこと、誰も考えつかぬだろう」
確かにそれはそうだ。まるで、子供がつくような嘘だが、国家の一大事にそのようなことをする者は、確かにいないだろう。リルレインの心の中に、何だか面白そうだという感覚が芽生えた。
「そなたらは余が明日をも知れぬ重病であると言い続ければよいのだ。あとは知らぬ、存ぜぬと突っぱね続ければよい。簡単な仕事だ。楽にやれ」
そう言うと彼は、近習の者を呼び出して急いで荷造りをするようにと命じたのだった。
「余は、アガルタ王と直接話をして、今後のことを決めてくる。……そのような心配そうな顔をするな。余自ら赴くのじゃ。何も決めてこないという愚策を取るつもりは、毛頭ない」
そう言って彼は足早に自室に戻っていった。
廊下を歩きながら大公は、最悪の場合、アガルタの支配下に入ることも考えていた。何としてもクリミアーナに一泡を吹かせるのだ……。彼の心の中には、メラメラと復讐の炎が燃え上がっていた。誰よりも愛するこの国を、国民を、そして、姪を……何としても守るのだ。彼は固く心に誓うのだった。
◆ ◆ ◆
「明日をも知れぬ重病……でございますか?」
数日後、大公宮殿を訪れたクリミアーナの使者は、怪訝な表情を浮かべた。彼の予想を超えた返答だったからだ。
「ちなみに、病名を伺っても?」
「原因不明だ」
「先だっても確か、ご病気でお目見えが叶いませんでしたね?」
「それ以降、さらに重篤になったのだ」
ファンタジック公爵はにべもなく答える。使者の男はゆっくりと頭を下げると、まるで、赤子をあやすかのような優しい声を出して語りかけてきた。
「それは……誠にお気の毒な事でございます。我がクリミアーナ教国には優秀な医師が……」
「必要ない」
「……」
「すでに、優秀な医師を派遣してもらうよう、要請をしたところだ」
「……どちらに?」
「フラディメ王国だ」
「フラディメ?」
使者の男の声が上ずっている。彼の頭の中に全くなかった選択肢だった。
「リボーン大上王は、不治の病から復活なされたと聞いている。そのために、かの国では大上王の指導の許、優秀な医師を育成しているともっぱらの評判だ」
「左様でございますか……」
「そうした理由により、先日のお話のお答えはできかねる。あしからず。なに、大公様が回復なされれば、すぐにご命令をいただけるだろう。それまでは帰国なされるなり、我が国に留まるなり、自由になされるがよい」
「……畏まりました。また、改めてお返事させていただきます」
男はそう言ってその場を辞していった。
「……大丈夫でしょうか?」
心配そうな表情を浮かべているリルレインを一瞥したファンタジック公爵は、大きなため息をついた。
「やるしかないだろう」
「……」
「我々も汚名を雪がねばならない。何としても、やり遂げるしかないのだ」
「……承知しました」
リルレインはゆっくりと頭を下げた。
◆ ◆ ◆
一方、使者の男は、自室に戻ると、足早に机に向かった。一体何事かと目を丸くしながら近づいて来る部下たちを手で制した彼は、懐から紙を取り出し、そこにカリカリと何かを書き始めた。
「……えっ!?」
「……」
思わず声を上げた男を手で制すると同時に、人差し指を口元に持って行って、静かにするように促す。
「……」
使者の男は、無言で紙を広げて見せる。そこには、こんな文字が書いてあった。
『大公が重病であるらしい。至急、真偽を調査せよ』
それを見た部下たちはコクリと頷く。そのとき、一人の部下が、男が持っている紙を恭しく受け取り、そこにさらに文字を書き加えた。
『教皇聖下への報告は?』
使者の男はゆっくりと首を左右に振った。真偽のほどを確かめてから報告しろというゼスチャーだ。その意図を汲み取った部下たちは、スッと踵を返して、部屋を後にしていった。
使者の男は、ブツブツと何かを呟くと、突然、手に炎が上がり、持っていた紙に燃え移った。
大公の病状についての情報は、すぐに集まった。とはいえ、それは限定的であり、確証が持てるものではなかった。
「大公の姿を見た者は?」
「おりません」
「……」
「主治医のベルクナイという者が、付きっきりで看病しているとのことです」
部下の報告を聞きながら、使者の男は腕を組みながら天を仰ぐ。そこに、もう一人の部下が部屋に戻って来て、彼に近づいて、耳打ちをする。
「……何? 船が? 行先は?」
「わかりません。ただ、貴族のような者が従者を連れて乗り込んでいったようです」
「……」
男は再び目を閉じて考える。貴族風の男が船に乗って出港したとあれば、行先はフラディメだろう。先ほど聞いた、ファンタジック公爵の話の内容と一致する。と、なれば、大公が重篤な状態であるというのは、あながちウソではなさそうだ。だが……。
そこまで考えて、男はゆっくりと目を開ける。大公のような国の王が病気で倒れたとあれば、その情報は徹底的に隠ぺいされるのが常だ。それを、何のためらいもなく自分に教えたというのは、どうも腑に落ちない。しかも、クリミアーナとフォーアル大公国は、半ば敵対関係にある。そんな国に、国家の大事をおいそれと明らかにするだろうか。答えは、否だ。
現在、この国は友好の花に席巻されようとしている。いかに手を尽くそうとも、花の繁殖を止めることは不可能だ。フォーアルとしては、我々クリミアーナの要求を受け入れて国を開くか、座して滅亡するかの二者択一しかない。あの大公のことだ、後者を選択するということはまず、あり得ない。となれば、フォーアルはクリミアーナと手を組む他、ないのだ。
……まさか、アガルタからの支援に望みをかけているのか?
使者の男の口元が緩む。
「……いずれにせよ、何とも判断がつきませんね。もう少し、状況を見定めなければ。それまでは、静観ですね」
誰に言うともなく、男が呟く。それを聞いた部下たちは、一斉に頭を下げるのだった……。




