第五百六十五話 もう一つの意図
大公・テイストは、ファンタジック公爵とリルレイン侍従長からの報告を、ただ、黙って聞いていた。
普段であれば、報告の最中では矢継ぎ早に質問が飛んで来るのが常なのだが、この日の大公は、ただ黙って二人の報告に耳を傾けていた。そのあまりの静けさに、二人は不気味さすら感じるほどだった。
「……以上でございます。いかが、いたしましょう」
リルレインが恐る恐る尋ねる。大公は眉間に皺を寄せたまま、じっと彼を睨みつけている。
「大公様、畏れながら……」
ファンタジック公爵が言葉を発したその瞬間、大公はスッと手を挙げて遮る。一見するとその様子は、まるで、怒りを限界まで堪えているかのように見えた。……大声で怒鳴られる。二人は同時に覚悟を固めた。だが、予想に反して、大公は静かな声で口を開いた。
「ベルクナイを呼べ」
「は?」
「専属医のベルクナイを呼べと申すに」
「おっ、お体の加減でも……」
「いいから言う通りにせい!」
大公の大喝一声に、リルレインは直立不動の姿勢を取る。そして、ピョコンとお辞儀をすると、大慌てで部屋を飛び出していった。一人残されたファンタジック公爵は、ただオロオロとその場に立ち尽くす他なかった。
◆ ◆ ◆
「お召しにより、参上しました」
しばらくして、小柄で髭面の男が、大公の前に進み出て控えた。彼は鋭い眼差しを大公に向け、現在の状態を丁寧に観察しようと努める。
「ベルクナイ」
「ハッ」
「余は重病だな?」
「はっ?」
予想外の大公の質問に、ベルクナイは眼を見開いて驚く。顔の色艶もよく、一見すると健康そのものに見える。とても重病を患っているようには見えなかった。
「明日をも知れぬ、重病じゃな?」
「……」
「余の顔をよく見よ、ベルクナイ」
大公は鋭い眼差しを向けながら、ゆっくりと、大きく頷いた。
「……左様でございます。大公様は、重病であらせられます。明日をも知れぬ、重病であらせられます」
「……左様か。ファンタジック、リルレイン」
「はっ、ははっ」
突然、名前を呼ばれた二人は、慌てて直立不動の姿勢を取った。大公はゆっくりと椅子から立ち上がりながら、彼らに再び視線を向ける。
「そういうことじゃ」
「おっ、おっ、おっ、おそれ……畏れながら……」
大公の言葉の意味がわからず、リルレインがカクカクと体を震わせながら、必死で言葉を絞り出す。その様子を見た大公は、さも、情けないといった表情を浮かべながら首を左右に振る。
「余は明日をも知れぬ重病じゃと、クリミアーナの者に伝えるのじゃ」
「畏れながら……そのように伝えて、使者の者は納得するでしょうか?」
「知らぬ。帰国したいと申すのであれば、帰国させてやれ。この国に留まりたいというのであれば、それも構わん。ただし、この宮殿から外に出ることは厳禁する。厳しい監視を付けよ」
「……」
リルレインは、大公の言葉の意味がいまいち呑み込めないのか、ぽかんと口を開けたままだ。
「リルレイン」
「ハハッ」
「余は出かけるぞ。準備をせい」
「お出かけ……でございますか? 一体、どちらへ?」
「アガルタじゃ」
「あっ、アガルタ?」
「余、自らアガルタに参り、アガルタ王に謁見して、この国の窮状を訴えるのだ」
「お待ちください! 古来より我が国では、大公様が海を渡ったという前例はございません!」
「前例? そんなものに縛られていては、我が国は滅ぶ。それしきのことが、そなたにはわからんのか?」
「……」
ただ、オロオロと首を左右に振るリルレイン侍従長。そんな彼を一瞥した大公は、隣に控えているファンタジック公爵に視線を向ける。
「余がアガルタに行って戻るまでの間、何としても、余がこの宮殿にいると見せかけよ。余の病状については、このベルクナイから皆に説明させよ。ベルクナイ」
「ハッ」
「そなたは今日より、我が寝室にて寝起きせよ」
「……承知いたしました」
「お待ちください、大公様」
「何じゃ?」
ファンタジックの声に、大公は面倒くさそうな表情を浮かべた。彼の機嫌は極めて悪い。だが、公爵は再び大喝されるのを覚悟で、口を開いた。
「一体、何をなさろうとしているのか、我々には皆目見当もつきません。恐れ入りますが、我々にも、わかるように説明していただけませんでしょうか」
大公は天を仰いだかと思うと、大きく息をつき、やがてゆっくりとファンタジックに視線を戻した。
「まずは、アガルタに礼を言わねばなるまい」
「……」
「かの国は、セルロイトに持たせた書簡を読んですぐに、我が国に食料を支援してくれた。しかも、この秋には実をつけるであろうカウワサイの種までも、送ってくれた。しかも、大量にじゃ」
「畏れながら、礼であれば、わざわざ……」
「聞け。余がアガルタに向かう理由は、それだけではない」
「……」
「当然、我が国に蔓延するあの、「友好の花」の始末についても助言を受けるつもりじゃ。すぐには解決できぬやも知れぬ。だが、アガルタであれば、セルロイトであれば、我が国の窮状を何とかするのではないかという予感が余にはある。アガルタは世界に冠する大国じゃ。周辺のヒーデータ帝国、ニザ公国と深い誼を通じ、ラマロン皇国を膝下に置いている。加えて、フラディメ王国、ミーダイ王国、サンダンジ王国とも友好関係にある。それだけの国々と関係があるのだ。もしかすると、クリミアーナの言う、火魔法LV5のスキルを持つ魔導士を呼び寄せることができるやも知れぬ」
「なるほど……大公様の慧眼には感服いたしました」
「バカ者。余がアガルタに参る理由はもう一つある」
「もう一つの理由……でございますか?」
「ああ。余はアガルタに参ることで、クリミアーナの心胆を寒からしめるのだ」
「くっ、クリミアーナの、でございますか……」
ファンタジック公爵は眼を見開いて驚いている。まさに今、クリミアーナに飲み込まれようとしている国家の一大事に、大公は逆に、クリミアーナの心胆を寒からしめると言う。そんなことが果たしてできるのか……。彼は思わず呆れたような表情を浮かべる。だが、大公はそんな様子を気に留めるでもなく、さらに言葉を続ける。
「考えてもみよ。クリミアーナが我が国と交易を望んでいる? バカな。あの国の力をもってすれば、ナイエ草など簡単に手に入れられる。あの狙いは、我が国をその膝下に置くことにある。友好の花を使って、我が国を隷属させるのが、あの国の本来の狙いじゃ」
「まっ……まさか……」
「少し前、我が国の西にあるサブクリナー王国がアガルタに戦いを挑み、敗れ去ったのは知っておるだろう」
「ハッ。確か、あの戦いは両者痛み分けと聞いておりますが……」
「それはクリミアーナが吹聴した情報に過ぎぬ。実際、サブクリナーは国王自身が捕らえられておるのだ。これを敗北と言わずして、何と言う」
「しっ、しかし、サブクリナー王は無傷で解放され、アガルタはクリミアーナと事を構えるのを恐れて、何の補償も要求しなかったと聞いております」
「ファンタジック。そなた、もっと世情を読む訓練をせよ。無傷で解放されているにもかかわらず、なぜ、サブクリナーはクリミアーナに船を出さぬのだ?」
「そっ……それは……」
「これまで、定期的に我が国の沖合に見えたサブクリナーの船が、ここ最近見えぬ。ということは、表向きはアガルタと痛み分けと見せかけておいて、その内実は、アガルタに寝返っておるのだろう」
「まさか……」
「サブクリナーは、クリミアーナにとっては西の要。そこが崩れたとなると、あの国は喉元に刃を突き付けられたも同然となる。西の備えを強化するためには……まず、我が国を膝下に置くのが、最も手っ取り早いであろうが」
「は……ははっ」
「余は、クリミアーナの連中に一泡吹かせてやるのだ。我が国がアガルタと同盟関係を結んだと知れば、あの国は慌てる。西への備えがさらに手薄になるからな。それに、攻めたくても攻めることができぬ。我が国を攻めれば、アガルタと事を構えることになるからな」
「よ……ようやく、合点が参りました……」
ファンタジックとリルレインはがっくりと項垂れる。だが、その胸には、一抹の希望の光を見出していた。
「この国が生きるか死ぬかは、余の動きをクリミアーナに悟られぬことにかかっている。それ故、お前たちの任務は重大じゃ。わかるな?」
大公の言葉に、二人は大きく頷いた。




