第五百五十四話 お前の負けだ
「それでは、早速、アガルタ大学にご案内します」
メイはそう言って、セルロイトの許に行き、彼女を連れて部屋を出ていった。その様子を見送りながら俺は、大きなため息をつく。
かなり長い間、あのセルロイトという女性に鑑定スキルを発動させていた。彼女の過去を覗き見た俺の感想は、とても家族に愛された幸せな女性というものだった。確かに、自信のなさが先立ってしまって常にオドオドしているが、こういう女性を嫁にすると、男は間違いなく幸せになるだろう。そう感じさせるほどに、この女性の家族は素晴らしいものだった。
ただ、この彼女の優しさは時に、不運を招く。こうした優しげな女性は狙われやすい。あの、クリミアーナのマタカという男に唆されたのがいい例だ。
愛する娘を、姪を、このアガルタに無理やりにでも来させたのは、大正解と言える。会えなくしてしまえば、人は忘れるからだ。今はマタカとの仲を引き裂かれたことによるショックで辛いだろうが、それは最終的に素敵な思い出になる。
「よかった……これで、もう安心だわ」
誰に言うともなくシディーが呟く。彼女の直感では、このセルロイトという女性は、シディーにとっても大きな影響を与える女性なのだという。絶対に失ってはならない女性……。シディーがそこまで言い切るのだ。それは、何としても救わねばならない。どうやら、彼女のミッションは果たされたようだ。
「かなり、繊細なお方とお見受けしましたわ」
リコが、セルロイトが去った方向を眺めながら呟く。その表情からは、彼女もあの女性に親近感を覚えたようだ。俺は鑑定スキルで覗き見たことを伝える。
「……まあ、それはお気の毒ですわね」
リコが少し俯きながら口を開く。シディーも無言のまま俯いている。そんな中、ソレイユだけが相変わらず妖艶な笑みを浮かべている。
「きっと、大丈夫です」
「ほう、言い切るなソレイユ。何か根拠でもあるのか?」
「女性は失恋すると、美しくなるものです。それに……今は苦しいでしょうが、新しい恋が見つかると、すぐに忘れますわ。大丈夫です。あのお方ならば、優しい殿方に見染められて、幸せな結婚をすることでしょう」
ソレイユの言葉に、リコは大きく頷いている。一方で、シディーはよくわからないといった表情をしている。二人の反応がまるで違うのが、何だか少し可笑しかった。
「ママぁ。終わったぁ?」
突然、子供の頓狂な声が響き渡る。視線を向けると、そこにはイデアとピアトリスが、扉からぴょこんと顔を出してこちらを覗いていた。
「ちゃんとお部屋で待っていなくてはいけませんわ」
そう言ってリコは玉座から立ち上がって、二人の許に向かう。その後をシディーも追う。
「ママ~」
イデアが走り寄ってきてリコに抱きつく。それを見て、ピアトリスもシディーに走り寄ってきて抱きつく。二人とも本当に母親が大好きだ。
「リコ様、お着替えを」
ソレイユが皆に近づきながら声をかける。それを受けてリコは頷き、イデアに大人しく待っているのですよと声をかけて、その場を後にしていった。イデアはソレイユと手を繋いで、リコの後姿を見送っていた。
「さて、ママの着替えが終わったら、二人とも屋敷に帰るんだぞ。とうたんはまだ、お仕事があるからな。シディー、ソレイユ。頼んだぞ」
俺の言葉に、二人は頷く。俺は再びセルロイトが出ていった扉に視線を向け、ソレイユが言っていたことが現実になればいいなとふと思った。そんな先のことはわかりはしないのだが、何となく俺は、あの女性が幸せになるような予感がしてならなかった。
事実、セルロイトは後年、アガルタ大学で教鞭をとる男と結婚し、幸せな家庭を築くことになる。一回り以上も年の離れた男との結婚、さらに、公爵の娘と一介の研究者という身分違いの恋に、その報告を聞いた両親も大公も驚愕するのだが、二人の幸せな表情を見るにつけ、最終的に彼らは、快く二人の仲を認めるのだった。
そんな未来が待っていることとは露知らず、セルロイトは相変わらずオドオドとした様子で、メイに連れられてアガルタ大学に向かうのだった。
◆ ◆ ◆
リコたちと別れた俺は、アガルタ軍の本部に転移した。
地下の一室の扉を開けると、そこにはマトカルと兵士数人が控えていた。その視線の先には、今朝がた結界村で捕らえた男が転がされていた。
「どうだ?」
俺の問いかけに、マトカルはゆっくりと首を振る。
「今のところは全く問題ない。何も喋らないし、水さえ飲もうともしない」
「そうか。まあ、なかなか難しいわな」
男は結界が張られているために、体を動かすことができない。辛うじて口だけは利けるようにしていて、水くらいは飲めるようにはなっているのだが、男は水どころか、一言も口を利いていないのだという。
俺はこの男の処遇をどうするべきか迷っていた。本来ならば、国外追放とするところなのだが、この男はヴィエイユから全幅の信頼が置かれている。男が連絡を断てば、ヴィエイユのことだ、また新たな要員を送り込んでくるのは目に見えている。きっと、この男よりもさらに巧妙に、俺の眼を欺いてくるだろう。そうなると、色んな意味で面倒臭いことになる。
ヴィエイユに突き出すことも一瞬考えたが、きっとあの娘のことだ、しらばっくれるに決まっている。それをしたところで、何の意味もないのは火を見るよりも明らかだった。
俺は男の前でしゃがみ込み、うつぶせの状態で寝ている男を仰向けにした。相変わらずじっと目を閉じたままで、何も話をする気はないらしい。
「捕らえたはいいものの、何とも扱いが困るヤツだな。下手に野に放つと、この腕だ。アガルタ以外の国に潜伏して、色々と裏工作を続けるだろう。とはいえ、殺してしまうと、色んな意味でややこしくなる。一生独房の中に閉じ込めていくわけにもいかんしな……」
そのとき、男の表情が変わった。何と、ニヤリと笑みを漏らしたのだ。この男は知っているのだ。自分が殺されないことを。そして、俺が対処に困るのを見て、楽しんでいるのだ。
「悪いことは言わん。早く私を解放したほうがいい」
俺の感情を見透かしたように、男が口を開く。
「マト、ご苦労だった。下がっていい」
「……いいのか?」
「大丈夫だ。ご苦労だった」
マトカルは、無表情のまま部下たちを連れて部屋を出ていった。
「お前の負けだ」
俺の言葉に、男はゆっくりと目を開けて、明らかに侮蔑の表情を浮かべた。負け惜しみを言うなと言わんばかりの表情だ。そんな彼の顔に、俺はそっと手を当てる。
「お前が舌でも噛み切って死んでしまえば、俺はさらに困っただろう。だが、お前はそれをしなかった。生きてヴィエイユの力になりたいと思った。その愛の深さには敬意を表するが、しかし、その愛ゆえに、お前は負けたのだ」
そう言いながら男に魔力を込める。使ったのは、精神魔法だ。
「成功した。お前は、狙った女の命を、計画通りに奪った。お前の計画は、完璧に成功したんだ。」
「成功……した。成功……した。成功した……」
俺はそっと手を離した。男はぼんやりと視線を泳がせながら、うわ言のように何度も成功したと呟いている。俺は男の胸ぐらをつかむと、転移結界を発動させる。行先は、男を捕らえた結界村の外れだった。
「……何ともやりきれんな。もっとうまい方法はなかったかね」
そんなことを呟きながら男から手を離す。地面に投げ出された男は、相変わらず空に向かって視線を泳がせている。おそらく、あと五分もすれば正気に戻るはずだ。
俺は精神魔法の中に、毎晩、眠ったときに、事細かに一日の行いを日記にして記すよう命令を込めた。これでヤツの行動は全て詳らかになる。鑑定では追えなかった、この男の背後関係を洗おうと思ったのだ。
正気を取り戻したこの男は、すぐに緊急信号を送った主に命令を完遂したと返事を送るだろう。そして、何事もなかったかのようにアガルタから出ていくことだろう。
……毎日の日記は、サダキチたちに受け取らせるか。あとついでに、この男を監視させるか。そういえば、この男の帰りを待っているボンイサオ男爵はどうしようか。……それは、放っておこう。
そんなことを心の中で呟きながら、俺は転移結界を発動させ、都の執務室に帰ったのだった。




