第五百五十三話 謁見
アガルタに到着したその翌日、セルロイトはアガルタ王に謁見した。
謁見の間に通された彼女は一人、リノスの到着を待っていた。豪華だが落ち着きのある広い部屋で一人、彼女はぼんやりと目の前にある玉座を眺めていた。今の彼女には、不安も期待も、何にもなかった。
「お待たせしました」
突然、男の声が聞こえた。驚いて顔を上げると、優しげな男がこちらに笑顔を向けながら、玉座に向かって歩いて来ていた。その後ろから、美しい女性が三人付き従う。小柄な緑色の髪を持った女性を先頭に、妖艶な色気を漂わせた女性が続き、最後に羊獣人の女性が現れた。彼女らはセルロイトを見ると皆、一様に優し気な笑みを投げかけた。
「いや、お待たせして申し訳ありませんでした。アガルタ王のリノスです」
およそ王とは思えない程の気さくさで、男は話しかけてきた。噂には聞いていたが、まるで、旧友との再会を喜ぶかのような振る舞いは、セルロイトの予想を超えたものだった。そのために、彼女はこれまで幾度も練習してきた挨拶の言葉を忘れてしまった。
「あのっ……こっ、こっ、こっ……」
なかなか言葉が出てこない。そんなセルロイトを、リノス以下全員が、慌てることはないといった雰囲気で見守っていた。
「いやぁ、堅苦しい挨拶は止めにしましょう。どうも俺は、堅苦しいのが嫌いでしてね。ええと……何か、書簡を預かっておいででしたっけ?」
リノスの声にセルロイトは体を震わせる。そして、アタフタと懐から大公の書簡を取り出した。
「……」
書簡を手に持ったまま、セルロイトは固まる。こうした場合、王に取り次ぐ者が書簡を受け取るというのが習わしなのだが、この謁見の間には、それらしきものの姿が見当たらない。この場合、どうしたらいいのか。セルロイトはキョロキョロと周囲を見渡すほかなかった。
「ああ、では、拝見しましょう」
あろうことか、王自身が玉座から立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。彼はセルロイトのすぐ傍までくると、優しげな笑みのまま右手を差し出した。
「あ……え……あ……あ……」
言葉にならない言葉を絞り出しながら、やっとのことで書簡を彼に手渡す。男は書簡を一撫でして、中の手紙を取り出した。厳重に封蝋されている書簡だ。セルロイトの国では、そうした書簡は、専用のナイフで丁寧に、優雅に破かれて中を取り出していたが、この王はそうしたことは一切せず、ほんの一瞬で中身を取り出して見せた。彼女はその仕掛けが全くわからずに、頭の中はさらに混乱するのだった。
「……なるほど。貴国も火山の噴火の影響がおありなのですね。承知しました」
男はそう言うと、書簡を持ったまま玉座に戻っていった。そして、後ろに控えていた羊獣人の女性にそれを渡すと、小さな声で何やら声をかけた。女性は書簡を恭しく受け取ると、じっとその中身を検める。
……もしかして、このお方が、「大賢者メイリアス」かしら?
セルロイトが驚くのも無理はなかった。彼女の『大賢者メイリアス』のイメージは美々しい衣装を纏い、大きな杖か何かを持っているというものだった。母国、フォーアル公国では賢者と呼ばれ、国民から尊敬を集めている者は三名いたが、彼らのいで立ちがまさにそうしたものだったからだ。だが、目の前にいる女性は、セルロイトの母親が自宅で来客時に着用するような衣装を纏っている。とても、アガルタという世界最強国の王妃には見えない。だが、その双眸には凛とした知性を感じさせるし、全身から感じる優しげな雰囲気は、とても好感が持てた。
「承知しました」
書簡を読み終わったメイリアスは、リノスに向かって恭しく一礼する。そして、手に持っていた書簡を、さらに隣に控えていたお妃たちに手渡す。
「それでは、セルロイトさんは、アガルタ大学の留学生という形でお迎えしましょう」
そう言って女性はセルロイトに向き直る。
「アガルタ大学を預かりますメイリアスでございます。どうぞ今後ともよろしくお願い申します」
「あっ、あっ、ああ……」
やっぱり、この人が大賢者メイリアスなのだ……。そう思いながら、何とか頭を下げる。そんな彼女にメイリアスはさらに言葉を続ける。
「書簡を拝見しますと、セルロイトさんは農業にご興味がおありだとか……。アガルタ大学では色々な作物を育てています。是非、私も、セルロイトさんから色々なことを学ばせていただければと思います」
「そっ、そんな……私など……」
「テイスト大公様が書簡の中で、セルロイトさんへ大きな期待を寄せておいでです。私も知っていることは全てお伝えいたします。お互い、学び合いましょう」
「はい」
……何だか、ものすごく大きなことができるような気がした。この女性の許で是非、学びたい。セルロイトは心の中でそんなことを考えていた。
「遅くなりました」
突然、女性の声が聞こえる。視線を向けると、そこには絶世の美女がアガルタ王に向かって歩いてきていた。彼女はアガルタ王の隣の玉座までやって来ると、セルロイトに向かって、にこやかに話しかけてきた。
「アガルタ王リノスの妻、リコレットでございます」
これまでセルロイトが会った女性の中で、最も美しい女性だった。美しい金髪に真っ白い肌……。まさに大国の王妃と呼ぶにふさわしい気品を備えた女性だった。こんな女性になれたら……。セルロイトは思わず心の中で唸った。
リコレットは、優雅な振る舞いで玉座に腰を下ろす。その彼女に、セルロイトが持参した書簡が手渡される。
「なるほど……では、メイの許に?」
「はい。アガルタ大学の留学生という形で、共に学んでいきたいと思います」
リコレットは大きく頷く。
「困ったことがあれば、いつでも力になりますわ。ところで……フォーアル大公国への支援は、どうするのです?」
「ああ。一万人分の食糧を支援しようと思う」
リコレットの問いに、リノスが即答する。だが、彼女は天を仰いで何かを考え始めた。
「メイ。カウワサイの種はどのくらいあるのですか?」
「四トンほど備蓄があります」
「では、そのうちの半分をフォーアル公国に送ってはいかがですか?」
「なるほど。あれはやせた土地でも生育するな。わかった。リコの言う通り、カウワサイの種も送ることにしよう。セルロイトさん」
突然、アガルタ王から名前を呼ばれて、セルロイトは体を震わせる。
「テイスト大公に、食糧支援と共に、カウワサイの種を送ることを知らせてください。あの種は食べても美味しいですが、できるだけ土に撒いて、作物として育ててから食べるようにとお伝えください」
「わっ、わかりました」
セルロイトは思わず笑みを漏らす。カウワサイの種は、叔父である大公・テイストの大好物だからだ。二トンもの種が送られたとなると、叔父は大喜びするに違いない。あの叔父のことだ、数十㎏は自分のためにヘソクリをするに違いない。書簡で戒めなければならない。
だが、叔父がカウワサイの種を好物にしているということは、ほぼ、近い家族でしか知らない事柄だった。まさか、そんなことまでこのアガルタは把握しているのだろうか……。そう考えると、自分はとんでもない国に来たのかもしれない。
期待と不安が入り混じる複雑な感情を胸に、セルロイトはアガルタ王たちに視線を向ける。相変わらず彼らは優しい笑みを浮かべている。そのとき、不意にアガルタ王が口を開いた。
「まあ、色々とご苦労なされたようですが、アガルタに来られてよかったのではないでしょうか。しばらく時間が経てば気持ちも落ち着くことでしょう。これからのことは、それから考えてもよいと思います。ここでの暮らしが充実したものになるように、俺も、妻たちも協力しますからね」
そう言って彼はニコリと笑みを浮かべる。その笑みはなぜか、セルロイトの不安感を軽くするものだった……。




