第五百四十九話 察知
コンシディーは、息をひそめて、全身の神経を研ぎ澄ませる。先ほどの感覚は一体何だろうか。彼女は注意深く分析を始める。
こうした感覚を覚えたのは初めてではない。過去、一体どんな事柄でこの感覚を覚えたのだろうか、コンシディーは注意深く記憶を辿っていく。
……これは、家族の危機ではない。家族の危機ならば、夢に現れるはずだ。そうではない。
そこまで考えたとき、彼女の脳裏にある光景が鮮やかに思い出される。
あれは、まだ幼い頃のことだった。とある王国から来た使者が、無残にも殺されたことがあった。コンシディーの胸がキュッと痛んだ。
その女性は、コンシディーにとって、あこがれの女性だった。初めて、こんな人になりたいと思わせた女性だった。
リインカーネと呼ばれたその女性は、聡明で美しかった。青色の瞳を持ち、その双眸には深い知性を湛えていた。その上、まるで、濡れているかのような美しい髪を持ち、豊満な体を持っていた。彼女と初めて会ったときのことを、コンシディーは鮮明に覚えている。
背筋をしゃんと伸ばし、美しい髪と豊満な胸を揺らしながらこちらに向かって歩いてくる姿は、気品と上品さに溢れていた。その周囲を圧倒する美しさは、彼女の周囲の空気までもが変わっているかのように見えた。
父のドワーフ公王に使者として赴いてきたリインカーネ。彼女は廊下でたまたま会ったコンシディーに対しても、とても丁寧にあいさつをしてくれた。
「何かの薬を使っているのですか?」
挨拶もそこそこに、コンシディーから出し抜けに質問され、小首をかしげたリインカーネ。すぐに質問の意図を察した彼女は、満面の笑みを湛えながら、小さな声で、他の人にはナイショですよと呟いてから、ヘルオウスの樹液で髪を洗っているのですよと教えてくれたのだった。
当時、ドワーフの娘らしく、きつい天然パーマで、まるで爆発に巻き込まれたかのような髪形をしていたコンシディーは、早速、ヘルオウスの樹液を取り寄せて髪を洗い始めたのだった。
コンシディーとリインカーネが仲良くなるのに、時間はかからなかった。リインカーネはコンシディーの質問に、何でも答えてくれた。聞く話と言えば、髪の毛や肌の手入れのことといった、主に美容関係のことだったが、リインカーネはドワーフ公王の公女としてではなく、まるで、実の妹のように接してくれたのだった。そのために、コンシディーは彼女に心を開き、実の姉のように慕っていた。
リインカーネは、ドワーフ公国に武器や防具を大量に買い付けるために派遣された使者だった。彼女の国では政権争いが激化しており、リインカーネは、反国王派に属して、現在の体制を崩壊させようとしていたのだった。そうした事情もあって、父であるドワーフ公王は当初は首を縦に振らなかったが、リインカーネは何度も公王の許を訪れ、粘り強く説得と交渉に当たったのだった。
彼女は、公女たるコンシディーに対して、公王に口添えをして欲しいなどといったことは一切言わず、あくまで一人の友人として徹した。あまり自身の国のことについて多くを語らなかった。ただ、本来は、とても肥沃な土地を持った素晴らしい国なのだということを、繰り返し語るのみだった。コンシディーも、その気配を察して深くは聞かなかったが、地平線の彼方まで作物が実るのだという話に、心を躍らせていたのだった。
コンシディーが邪悪な気配を感じたのは、そんなときだった。
宮殿の廊下を歩いていると、突然、邪悪な気配を感じた。驚いて周囲を見廻してみたが、そこには女官長のミンシがいるのみだった。コンシディーの振る舞いに心配したミンシの声も聞かず、彼女は震える体を自身両手で抱えるようにして部屋に向かった。
その日は、リインカーネが来る日だった。コンシディーは、彼女に会えば、この邪悪な気配からも少しは解放されるだろうと、その到着を心待ちにしていた。だが、コンシディーにもたらせたのは、リインカーネが亡くなったという知らせだった。
彼女は宿屋の部屋で、無残に惨殺されていた。その知らせを聞いた瞬間、コンシディーは、肉体の一部を失ったかのような感覚を覚えたのだった。
そのときと同じ感覚……。今のコンシディーに、リインカーネほど心を許した友人はいない。家族以外の選択肢を考えても、思い当たる人がいない。
……もしかして、これから出会う人ってこと?
そう考えたとき、コンシディーの心に何か、納得いくものを感じた。そうだ、きっと、そうだ。とすれば、これから出会い、自身に大きな影響を与えるかもしれない人が危機に瀕している。これは、何としても救わねばならない。
「リノス様……リノス様……リノス……うわっ」
隣で静かに寝息を立てている夫を起こそうと、体をゆすっていると、突然抱きしめられて、ベッドに倒された。リノスはかなり強い力でコンシディーを抱きしめている。
「……うう~ん。俺は世帯主だ~」
「ちょっ、リノス様、リノス様……」
コンシディーは必死で体を動かしながら、彼の腕の中から抜け出そうとする。だが、リノスはさらに強い力で彼女の小さな体を抱きしめる。
「ちょっと……苦しい……苦しい……」
僅かに自由になる首を必死で動かす。そのとき、体がスッと軽くなった。
「どうした、シディー……」
リノスが眠そうな目で周囲を見廻している。コンシディーは大きく深呼吸をして、息を整える。
「まだ……夜中じゃないか」
「リノス様、起きてください。起きてください」
「どうしたんだよぉ」
「恐れ入りますが、気配探知と魔力探知を発動させてください」
「気配探知と魔力探知? 発動しているよ?」
「違います。アガルタの国全体にです」
「国全体⁉」
突拍子もない話に、リノスがようやく体を起こす。彼は眠い目を擦りながら、ベッドの上で正座をする。
「一体、どうしたんだ?」
「邪悪な気配を感じるのです。恐れ入りますが、リノス様の気配探知と魔力探知を使って調べていただきたいのです」
「邪悪な気配? ……わかった」
コンシディーの真剣な表情を見て、リノスはゆっくりと目を閉じた。寝室が静寂に包まれる。
どのくらいの時間が経っただろうか。部屋はリノスの息遣いの音以外、何も聞こえてこない。コンシディーはじっとリノスの様子を見守っている。
「うん?」
リノスが声を上げたかと思うと、眉間に深い皺が刻まれた。再び静寂が訪れる。
「……何か、大きな鳥が、アガルタの北に向かっているな」
リノスは目を開くと、あらぬ方向に視線を泳がせている。どうやら、マップを展開しているようだ。彼のそれは、コンシディーには見ることができないが、どうやら、邪悪なものがアガルタに入ったことは、間違いないようだ。
「……ここは、確か、ボンイサオ男爵の領地じゃないのか」
「ボンイサオ男爵……」
シディーの体に、悪寒が走る。どうやら、この男爵が、邪悪な予感に関係しているらしい。
「リノス様……」
気が付くと、彼はベッドから降り、ゆっくりと窓を開け放った。外には、見事な満月が煌めいていた。
「サダキチ」
突然、フェアリードラゴンが姿を現した。リノスは、顔を近づけて、言葉を続ける。
「夜中にご苦労だが、ボンイサオ男爵の領地に向かってくれ。何やら、大きな鳥がそこに向かっているようなんだ。その鳥と、男爵を監視してくれ」
彼の言葉を聞き終わると、小さなドラゴンは姿を消した。
「……リノス様、ありがとうございます。何だか安心しました。きっと、大丈夫だと思います」
「ちょっと、キナ臭いにおいがするな。俺の方でも、注意深く見守ることにするよ」
「お願いします」
「さあ、寝ようか」
「はい」
リノスは窓を閉めて、再びベッドに入った。コンシディーは、いつものように、リノスの掌の上に顔を載せ、眠りにつくのだった。




