第五百話 よく来てくれ・・・た?
気が付くと、目の前にママがいた。ママ……。そう言おうとしたとき、強い力で突き飛ばされた。どんどん体がママから離れていく。そのときのママは……ニコリと笑っていた。その瞬間、目の前に真っ黒いものが通り過ぎた……。
ジャリッ、ジャリジャリジャリッ、ジャリジャリジャリジャリ……。
不快な音と共に、ママの姿が消えた……。
「ママっ!」
……目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
「大丈夫だ、大丈夫だよ。アリリア」
目の前には、父・リノスが横たわっていた。彼は優しくアリリアの頭を撫でる。
「ううっ、ううっ、ううっ」
涙が次から次へと溢れてくる。この二日間というもの、アリリアはいつもこんな調子で、少し眠っては悪夢で起こされるということを繰り返していた。最初の頃は、起きた直後に号泣していたのだが、ここに来てようやく、そうしたことはなくなっていた。だが、それでも、自然と溢れてくる涙は、止めようがなかった。
アリリアの傍には、必ず父・リノスの姿があった。彼はアリリアを自分のベッドに寝かせて、付きっ切りで見守っていたのだった。リノス自身にとっても、眠れぬ夜を過ごしていたために、彼女が目を覚ますときは、いつも一緒に目を覚ました。
「大丈夫、大丈夫だ」
もう何回聞いた言葉だろう。だが、父の「大丈夫だ」という言葉は、アリリアの心をやわらげていく。彼女は小刻みに体を震わせながら父に抱き着き、再び目を閉じるのだった。
明け方、アリリアは再び目を覚ました。このときは、涙は出なかった。
彼女は起き上がり、じっと耳を澄ませる。聞こえてくるのは、父の穏やかな寝息だが、彼女には何か感じるものがあった。
「来たっ!」
突然、アリリアは誰に言うともなく声を上げた。その声にリノスは目を覚まし、アリリアに視線を向ける。
「どうした、アリリア?」
「来た……来てる!」
「あっ、どこへ行くんだ!」
アリリアは突然ベッドから飛び降りると、パタパタと走って寝室を出ていってしまった。リノスも慌てて彼女の後を追う。
「アリリア、危ないから屋敷に入りなさい!」
彼女は一目散に離れの入り口から飛び出し、庭の真ん中に突っ立った。こんなところをロイスに狙われてはひとたまりもない。リノスは慌ててアリリアの許に近づき、彼女を抱っこする。
「アリリア、どうしたんだ?」
リノスの言葉には答えず、アリリアはじっと空を眺めている。そして、右手を耳に当てて、何かを聞き取るような素振りを見せた。
「何か……聞こえるのか?」
「ううん。何も聞こえない。でも、確かに、確かに来てる気がする」
リノスは目を閉じて気配探知と魔力探知を発動させて、周囲を入念に調べる。だが、こちらに向かって来る者は感知できない。
「アリリア……」
リノスはアリリアを見つめるが、彼女は北の方角をじっと見つめたまま微動だにしない。
外は相変わらず黒い雲が低く垂れこめている。これは、ツネの弟たちが魔法で拵えた天候なのだそうだ。リコたちが襲われてからは、雪が降ることはなかったが、空は全く晴れる気配がなかった。ツネ曰く、おそらく弟たちはすでに、天候を操ることは止めているだろうとのことだった。と、いうより、あれだけの雪を短期間に降らせたために、魔力が枯渇している可能性が高いのだという。天候が回復しないのは、あまりにも強い魔力が込められていたために、それが晴れるまでにある程度の時間がかかる……。リノスは、黒い雲を見つめながら、そんなツネの言葉を思い出していた。
周囲はまだ、雪が残っていて、まるで冷蔵庫のような寒さだ。結界を張っているとはいえ、いつまでもここにいるわけにはいかない。一旦屋敷に戻ろうと言おうとしたとき、リノスの気配探知に反応があった。
「……これは!?」
思わず頓狂な声を上げる。その声にアリリアも反応して、リノスの腕から飛び出さんばかりに体を伸ばしている。
「りゅーおーくん!」
アリリアが絶叫にも似た声を上げた。上空には人化した龍王の姿があった。彼はリノスたちを見つけると、ゆっくりと二人の許に下りてきた。
「待たせた」
「りゅーおーくん……」
アリリアは目に涙をいっぱいにためている。その様子を見たリノスは、ゆっくりと息を吐きだす。
「別に待ってはいないが……何しに来た?」
「よかったな。喜べ」
「何? アホかお前。この状況を喜べるわけはないだろうが」
「貴様! 我に対して何という口を利く!」
「やかましい。こっちはそれどころじゃないんだ。アリリアが待っていたのはまさか……お前だったのか。人騒がせな」
そう言ってリノスは踵を返して屋敷に戻ろうとする。だが、アリリアはリノスの腕の中でジタバタともがいて、飛び出そうとする。
「違う、おとうさん」
「何、違う?」
「りゅーおーくんは、来てくれたの」
「……そのまんまやないかい」
「りゅーおーくん、ずっと……動いてた?」
アリリアの言葉に、龍王は大きく頷く。その様子にリノスは訝し気な表情を浮かべながら、再び踵を返した。見ると龍王は満足げな表情を浮かべながら、何度も頷いている。その笑顔はリノスの心を逆なでするものだったが、彼はぐっと堪えて、努めて冷静に言葉を絞り出した。
「動いていた……? 一体、何をしていたんだ?」
「フフフ、聞きたいか?」
「……いや、間に合っていますので、結構です」
「貴様っ!」
「おとうさん……」
リノスと龍王の間で殺気が漲ってきていた。その様子をアリリアは呆れた表情を浮かべながら、交互に視線を向けている。
「おとうさん……おうちに、入ろ? 外……寒いよ?」
「……そりゃそうだ。さすが俺の娘だ。ええこと言うた」
リノスは頷きながら踵を返し、ゆっくりと屋敷に向かって歩き出した。
「ほほう、その気配は、ツネ……か」
龍王は屋敷に入るなり、ダイニングにいたツネとシャリオ兄妹に視線を向けた。彼は笑みを浮かべているが、その眼は全く笑っていなかった。その様子をツネは無表情で眺めていた。
「貴様ら黒龍が起こした今回の騒動……覚悟はできているのだろうな?」
「ああ。これも全て私の不徳の致すところだ。存分に成敗するがいい。ただし、今は止めてもらいたい」
「何を言うか。今更命乞いか? 問答無用だ」
「ダメ、りゅーおーくん!」
龍王の体が銀色に光った瞬間、アリリアの声が飛んだ。龍王はツネを睨みつけたまま、固まっている。
「乱暴しちゃ、ダメ!」
「そうだ。乱暴は、いかん」
そう言うと、龍王の体から光が消えていく。彼は腕組みをしながら、ゆっくりと頷く。その様子を見ながらリノスは、大きなため息をつく。
「龍王、お前マジでアホだな。こんなところで暴れられたら、この屋敷が壊れちまうだろうが。空気読めないなら、帰ってもらえないか?」
「貴様っ!」
「恐ろしいな……」
にらみ合うリノスと龍王。そのとき、ツネが小さな声で思わず呟く。その言葉があまりにも意外だったのか、龍王が思わずツネに視線を向ける。
「龍王に指図するとは……。しかも、その命令を龍王は唯々諾々として受け入れている……。恐ろしい娘だ……」
驚愕の表情を浮かべるツネ。その様子を見ながら龍王は照れ臭そうに笑う。一方のリノスは、チラリとアリリアに視線を向けた後、満足そうな笑みを浮かべながら、何度も大きく頷いていた。
「ねえ、りゅーおーくん」
アリリアの声が沈黙を破る。龍王はスッとアリリアに視線を向ける。
「何をしていたの?」
「少し時間がかかったが、ようやく見つけることができた。この我を欺くとは、不敵なヤツだった。上手くやっていたとは思うが、我の眼はごまかせん。フフフ……だが、褒めてやってもいい」
「龍王、一体何が言いたいんだ? 結論を先に言え、結論を」
リノスの言葉に、龍王は憤怒の表情を浮かべたが、やがてニヤリと笑みを漏らした。
「ロイスたち黒龍の居所が、知れたのだ」
「何?」
「上手く隠れていたので、少々苦労はしたのだがな。だが、間違いない。ロイスを含めた黒龍全員の居所がわかったので、それを急いで伝えに来たのだ」
龍王の言葉に、リノスは呆気にとられていたが、やがて普段の表情に戻ると、ゆっくりと口を開いた。
「それは……よくやってくれたと言いたいところだが、その前に、リコたちが襲われたときに助けに来られなかったのか?」
「……」
「まさか、気が付いたらもうコトが終わっていて、慌てて黒龍たちを探したんじゃないだろうな?」
「そんなことはない。龍王たる我が、そんなことをするわけがない。まさかとは思っていたが、本当にやるとは思わなかった……などと言うわけはない。言うわけはないだろう!」
「逆切れかい」
……ドヤ顔の龍王。リノスはそんな彼からゆっくりと視線を外した。




