第四百七十五話 りゅーおーくん、再び
俺とマトカルが帝都の屋敷に帰ったのは、翌朝のことだった。森の中で兵士たちと共に夜遅くまで騒ぎ、そのままそこで仮眠を取ったのだ。
しばらくここで過ごすことも考えたが、さすがに息子のファルコが寂しがるだろう。マトカルを連れて一旦、屋敷に帰った。それに、俺にはやらねばならないこともあった。
屋敷に入ると、ちょうど朝食の時間だった。
「あ、おとうさん、お帰り!」
そう言って子供たちが走り寄ってくる。次々と息子と娘たちを抱っこしてやる。何とも至福の時間だ。ふと隣を見ると、エリルがとてもうれしそうな顔で、マトカルにお帰りと言っている。そんな彼女を、マトカルも穏やかな表情で見つめている。
「おかえりなさい」
「ただいま、リコ」
「朝食は?」
「まだなんだ」
「では、テーブルについてくださいな。今から朝食を食べようと思っていたところですわ」
いつもと変わらぬ、穏やかな表情でリコが出迎えてくれる。何とも癒される瞬間だ。俺は兜をメイに預け、鎧姿のまま食卓に座る。
「おとうさん、剣……」
エリルが俺に両手を差し出してきた。どうやら、ホーリーソードを仕舞ってくれるらしい。
「重いからな、気をつけろよ」
そう言って俺は彼女に剣を手渡す。だが、さすがに彼女の力では剣を持ちきれずに、よたよたとしている。俺は笑顔を浮かべながら、剣を手に取る。
「さすがにまだ無理だな。でも、ありがとう。まだ、この剣は使うから、今はいいよ」
エリルはさも残念そうな顔をしながら、自分の席に戻った。そんな娘を可愛いと思いながら俺は、朝食に手を伸ばす。
ワイワイと皆で喋りながら、いつもの賑やかな朝食が始まる。子供たちもよく食べているが、皆、お行儀がいい。まだ小さいピアトリスなども、上手にスプーンとフォークを使って食べている。リコをはじめとする妻たちの躾がとても行き届いている証拠だ。
子供たちは俺が身に着けている鎧に興味津々だ。これは、メイのお母さんと、シディー母さんが作ってくれた鎧で、とっても動きやすいんだよと説明してやる。イデアが、お父さんがいらなくなったら、ボクが貰う~などと言っている。一方で、マトカルの周囲では、エリルとアリリアが彼女の話を聞いている。特にエリルは、戦闘の話に興味津々だ。さすがに、首を打ち落とすなどのグロい場面は話さずに、上手く話をまとめているようだ。アリリアは、黒龍の話に興味があるらしい。どんな大きさだったのか……などと目を輝かせながら質問している。
そんなことをしていると、朝食の時間は終わり、リコたちがテキパキと後片付けに入っていく。シディーが鎧を脱がせましょうかと言ってくるが、それを丁重に断る。
「アリリア、ちょっと、手伝ってくれるかな?」
俺はホーリーソードを携えて、アリリアを呼ぶ。彼女はフェアリにじゃれついていたが、俺の声を聞いて、キョトンとした表情を浮かべている。そんな彼女に微笑みを投げかけながら、手招きをする。そして同時に、ソレイユにも目配せをして、こちらに来るように促す。俺はゆっくりと裏庭に出た。
後に続いて、アリリアが元気よく飛び出してきた。その後ろで、息子のセイサムを抱っこしながらソレイユが現れ、さらに、ファルコを抱っこしながら、マトカルも現れた。
少し、仰々しくなってしまったなと思いつつ、俺は彼女らを引き連れて馬小屋に向かう。
そこには、ジェネハを筆頭とした、数十羽のハーピーが待ち構えていた。全員、ジェネハの周囲に集まっている。
『すまぬな。この者のただならぬ気配に、家族が集まってきてしもうた』
「おお、さすがにハーピーだな。コイツの気配が分かるのか」
俺は妙に感心しながら、ジェネハの周囲を固めるハーピーたちに視線を向ける。全員の顔が緊張しているように見える。俺はクスリと笑みを浮かべながら視線を移すと、そこには昨日捕えた、褐色の少女――黒龍の姿があった。
相変わらず彼女は俺に憎しみの視線を向けている。その視線と、体に纏う雰囲気が尋常ではないために、妻たちも慄いている。母に抱かれている子供たちは泣き出してしまった。仕方なく、マトカルもソレイユも屋敷に戻ってしまった。
「この人が黒龍? カッコイイー」
頓狂な声を上げているのは、アリリアだった。彼女は目をキラキラさせながら、興味深そうに周囲をウロウロしている。
「ねえねえ、黒龍ってどんなの? ドラゴンになってみてよ」
顔をギリギリまで近づけてアリリアは話しかけている。そのあまりのフレンドリーぶりに、少女も少し戸惑い気味のようだ。
「アリリア、お願いがあるんだ」
「なあに、お父さん?」
「龍王を呼びだして欲しいんだ」
「えっ? りゅーおーくん?」
「そうだ。呼びだしてくれないかな?」
「遊んでもいいの?」
「う~ん。ちょっと、話があるんだ。遊べるかどうかは、その後次第だな」
「う~ん。わかった。いいよ」
龍王という名前を聞いて、少女の表情が明らかに強張る。この黒龍のことについては、龍王が預かる話になっていた。俺としても、自分が対応するよりもこれに関しては龍王に対応させた方がいいと考えたのだ。
そんなことを考えながら俺はアリリアに視線を向ける。彼女は俺をじっと見ていた。どうやら、龍王を呼びだしていいか確認しているようだ。俺はゆっくりと頷く。
「森の~守り神様は、いつも~私たちを、見守ってくれる~♪」
屈託のない歌声が裏庭に響き渡る。何と言うことはない、ただの子供の歌声に聞こえるが、黒龍の少女の様子が明らかにおかしい。
「やめて……やめて……やめて……」
目をギュッと閉じて、まるで恐怖におびえるかのような様子だ。俺の張った結界で身動きが取れないためか、とても苦しそうだ。
「ラララララ~ラーララララ~ランランラーララー♪」
少女には目もくれず、アリリアは楽しそうに歌い続けている。
「あれ? おかしいな?」
突然、アリリアが歌うのをやめて首をかしげてしまった。
「マミー。どこか間違ってた? りゅーおーくんが出てきてくれないよー」
困った顔で母屋の方向を見るアリリア。そこには優しい笑みを浮かべたソレイユが立っていた。
「おかしいわね。全然間違っていないわよ。とても上手に歌えているけれど……」
「どうして? どうしてだろう?」
「どうしてだろうね」
二人は首をかしげている。まあ、来ないなら来ないでいい。さて、この黒龍の少女をどうするか……そんなことを考えていると、突然地面が揺れた。
……結構大きな揺れだ。震度4くらいはあるんじゃないだろうか。屋敷の棚から物が落ちてこないかが心配だ。
そのとき、屋敷に張っている結界にヒビが入っていくのを感じた。思わず俺は舌打ちをする。
パキィィィィィーン。
何かが折れるような、高い金属音が響き渡る。
「ぎゃあ!」
同時に少女から悲鳴が上がる。見ると口を開けてぐったりとしている。どうやら、気を失ってしまったようだ。
「りゅーおーくん!」
アリリアの声が上がる。見るとそこには膝をついた状態で、肩で苦しそうに息をする龍王の姿があった。
「……貴様、どういうつもりだ」
鋭い眼光で俺を睨みつけてくる龍王。何て忌々しいヤツだ。
「どういうつもりだと聞いているのだ!」
「お言葉の意味がわかりかねますが?」
「貴様、我を……我のみに反応する結界を張っていただろう! 我を呼んでおいたにもかかわらず、結界で我を拒否するとは、どういうつもりだ! それにその鎧、剣……我を倒そうという腹か! いいだろう、来るがいい! 相手をしてやる!」
「何を訳のわからんこと言っていやがるんだ。邪念のない者は結界を通れる仕様だと言っているだろう。決してお前だけを対象に結界を張っていたのではない。その結界は解除して……おいたと、思う。たぶん、おそらく、きっと。今確認したが、解除されている。ああ、解除されているとも」
「貴様、どれだけ我を侮辱すれば気が……許さん!」
龍王の両手が光り出した。マジで攻撃してくるつもりか……? 俺は思わずホーリーソードの柄に手をかける。
「りゅーおーくん、乱暴はダメ!」
アリリアの厳しい声が飛ぶ。その瞬間、龍王の両手の光が消え、彼は立ち上がり、腕組みをして大きく頷いた。
「そうだ。乱暴は、いかん」
「えらいねー。じゃあ、遊ぼ?」
「いいだろう」
「じゃあまた、おいしゃさんごっこしよう?」
「よし、やろう」
……ちょっと待て。おいしゃさんごっこ? しかも、また、って言った? 龍王、お前、まさか、ウチの娘を? ……許さん!
俺はゆっくりと剣を抜きはらった。