第四百六十八話 マトカルの決意
翌日、ドルガの街の周辺は、霜がビッシリと大地を覆う寒い朝を迎えていた。だが、街の中は、そんな寒さを感じる余裕もない程の、緊張とざわめきに包まれていた。
つい三十分程前、街の西側にゆっくりと軍勢が現れた。彼らはそこで立ち止まったが、しばらくすると、何度も大音声を上げ始めた。威嚇とも鼓舞ともつかぬ男たちの大声……。その様子を見ていた、バーリアル王国軍の参謀の一人であるデンザは、瞬時にその軍勢が決死隊であると察知した。すぐさま彼は、総司令官であるエルサックの許に向かった。
「何? 決死隊?」
「はい。あの気勢の上げ方……これまでとは違った者たちと見受けます」
「で、どうすればよい?」
「守りを厳重にして、決してこの街から出ぬよう兵士たちに厳命を下されるのがよいかと存じます。おそらく奴らは、死に物狂いで攻撃を仕掛けて参りましょう。堀と城壁を突破されぬよう、厳重に防御を固めることが肝要です」
エルサックは傍に控えているロイスとシャリオに視線を向ける。シャリオは相変わらず無表情だったが、ロイスはニヤニヤと笑みを浮かべながら、小刻みに頷いた。それを見たエルサックはデンザに向き直り、深く頷く。
「では、そうせよ。ドルガを全力で防衛せよと、全軍に告げよ」
デンザは恭しく一礼して、その場を辞した。敵の大音声はここでもかすかに耳に届く。その声を聞きながら彼は、気持ちをいつも以上に引き締めるのだった。
この大音声は、アガルタ軍とバーリアル軍、総勢二万の兵士たちから発せられているものだった。彼らの前にはマトカルが立ち、訓示を与えていたのだが、その訓示は兵士たちの意気を大きく高揚させるものだった。
マトカルには心中に期するものがあった。その様子は隣で見ていたリノスにはよく感じ取れたし、並々ならぬ覚悟でこの戦いに赴こうとしていることがよくわかった。
前日、マトカルはシーワやヴィエイユを退出させた後、リノスやクノゲンたちに、自身が考えている作戦を伝えた。それはかなりの危険を伴うもので、リノスたちは賛成するのを躊躇った。だが、マトカルの決意は固く、何としても、ドルガ奪還の作戦を任せて欲しいと言って譲らなかった。
マトカルがここまで主張するのは珍しいことだった。リノスは、決して兵士を無駄死にさせないことを条件に、マトカルの主張を受け入れたのだった。
マトカルはドルガの手前で進軍を止め、一旦、軍勢を整頓するように命令を下した。
「一体何のための整頓なのです? これには、意味があるのですか?」
冷たい表情で口を開いているのは、ワーロフ帝国軍副総司令官のシーワだった。彼女は前日の軍議の後、一旦自陣に戻ったが、アガルタ軍の出撃に合わせて、わざわざ再び出向いて来たのだった。彼女の傍には妹のギギとトーイッツが控えていて、軍勢の様子を無表情で見守っていた。
そんな彼らに対して、リノスもマトカルも、一切視線を向けずに、完全無視を決め込んでいた。シーワはその態度も気に入らなかった。彼女一人が、イライラとした雰囲気を醸し出していたのだった。
「せっかくここまで順調に進軍してきたのです。この勢いのまま突撃すればいいでしょう? まさか陣立てを行うのですか? それでしたら、進軍しながらでもできるのではないですか? 今は……」
シーワが眉間に皺を寄せながら絶句する。語りかけていたマトカルは、彼女に一瞥もくれないどころか、右手をスッと上げて、さも、煩いから黙れと言わんばかりの対応を取ったのだ。しかも、彼女の隣に控えている覆面姿の男が、シーワに向かって人差し指を口元に当てている。あまりの扱いに、シーワは思わず絶句したのだった。
そんな彼女をマトカルは歯牙にもかけず、チャンとワーカの二人が整頓が終わったという報告に来ると、一旦リノスに何やら耳打ちをした後、ゆっくりと馬を兵士たちの前に進めた。
「これより、この軍勢の指揮は私が執る。皆、己が持つ力を最大限に発揮せよ!」
兵士たちが「おう!」と大声で答える。そんな彼らをゆっくりと見廻しながら、マトカルは言葉を続ける。
「我らは軍神を将に頂く軍勢である! アガルタ軍、ワーロフ帝国軍の中で最精鋭の者たち、すなわち諸君たちが軍神の軍勢として戦うことを許されたのだ。その名に恥じぬよう、選ばれし者たちの腕前を、とくとこの戦いで見せようではないか!」
「おお~!」とアガルタ軍の兵士たちから一糸乱れぬ大歓声が上がる。
「加えてこの度は、ワーロフ帝国軍の諸君も、我々と共に戦うこととなった。ワーロフ帝国軍諸君! 諸君らにおけるこの一戦は、恥を雪ぐ戦いである。祖国を蹂躙され、領地を奪われ、それを奪還するために多くの血が流された。諸君らの中には、かのドルガで生を受けた者もいるだろう。これまでの戦いの中で、家族や友人を失った者も多くいるだろう。本日までの戦いは、お世辞にも優位に進めてこられたとは言い難い。だが、今回は違う。我らアガルタ軍と、諸君たちが共に、ドルガを奪還するのだ。作戦の詳細は各司令官に伝えている。諸君たちはその指示に従って欲しい。必ず、必ずドルガを奪還する。ただし、今作戦においては決して死に急ぐな! 危機と見たら、撤退することも視野に入れて作戦に当たれ。今作戦は、諸君らの軍人として大きな経験となるだろう。従って諸君らの死は、アガルタとワーロフの戦力低下につながる。その点を肝に銘じて、戦うのだ!」
兵士たちの低い、唸るような声が巻き起こる。その声を聞きながら、マトカルは馬上でゆっくりと剣を抜き、その切っ先をドルガの街に向けた。
「我らこれより、ドルガ奪還作戦を行う! 諸君、戦いとはこうやるのだという見本を、ここに集まりし者たちに、見せつけようではないか!」
兵士たちから大音声が上がる。その声は大地を震わせ、周囲にいたシーワやギギたちワーロフ帝国の者たちは、思わず耳を塞いだ。
そんな彼女らには目もくれず、マトカルは馬を進める。その後ろからイリモに乗ったリノスが追いかける。
「マト」
馬を止めたマトカルのすぐ隣にリノスはやってきた。そして、周囲に見えないように結界を張った。
「どうしたのだ?」
「結界を張り直す」
「そんなことは別に……」
「いや、ドルガにはとんでもない魔術師がいる。念には念を入れておいた方がいい」
そう言って彼は、マトカルに結界を張り直す。
「よし、これでいいだろう」
「ありがとう。だが、別にここまでしなくてもよいものを……ツっ」
突然リノスがマトカルの体を抱きしめる。彼女はピクンと体を震わせる。
「マト、お前は死ぬ気だろう。死ぬなよマト。死んだら、許さんからな」
そう言ってゆっくりと体を離したリノスは、素早くマトカルの唇を奪った。
「わっ……わかった……」
顔を真っ赤にしながら俯くマトカルを、リノスは真剣な表情で眺めていたが、やがて、周囲に張っていた結界を解除すると、足早にクノゲンたちの許に戻っていった。マトカルは大きく息を吸い込むと、ゆっくりと馬首をドルガに向けた。
「……相変わらず、お熱いですな」
戻ってきたリノスに、クノゲンは笑顔で話しかける。そんな彼にリノスは、小首をかしげて、少しおどけたような様子を見せる。
「もし、何だったらクノゲン、お前のとこにも結界を張ろうか?」
「ハッハッハ、お願いすることもあるかもしれません。そのときは、よろしくお願いします」
「ハッハッハ」
二人の様子を見ていたルファナは、ゆっくりと視線を外し、ドルガに向けて進む軍勢を眺めた。マトカルはチャンとワーカの二人に馬上から何か指示を出していた。そして、その指示を受けた二人はすぐさま軍勢の中に合流していった。しばらくすると、男の大声があちこちに上がったかと思うと、軍勢が三つに分かれていく。
「……変わった陣形ね。中央の部隊の規模が極端に少ない。あれはアガルタ軍かしら? とすると、両側に展開しているのは、我がワーロフ軍ということかしら? アガルタ軍が囮になる作戦? まあいいわ。アガルタ王のお妃さまのお手並み拝見……ね」
フフンと鼻を鳴らすシーワ。彼女はチラリとそこに残っているアガルタの兵士たちに視線を向けた。そこには、顎に手をやりながらドルガを眺める覆面姿の男と、髭面の男、そして、その男たちに何やら話しかけている鎧姿の女性が目に入る。馬に跨る三人が何やら話をしているが、二人の男からは緊張感はまるで感じられず、その様子に、シーワは改めて彼らに侮蔑の視線を向けるのだった。




