第四百六十二話 敵か、味方か
ドルガの西、ヒヤマに築かれた砦の中は、静寂に包まれていた。ここにはおよそ、五百の兵士が詰めているが、その全員が、海を呆然と眺めていた。彼らの視線の先には、まるでクジラのような巨大な船が、海を埋め尽くしていたのだ。
その様子は、リノスが陣を張る山の上からもよく見ることができた。
「まさか、あんな巨大な船を作っていやがったとは、予想外だな。意外とアイツは、グランド〇インにでも出て、海賊王にでもなる気なのかね?」
そんなことを呟いているのは、リノスだった。彼の声を聞いて、傍にいたクノゲンはチラリと視線を向けたが、その言葉の意味を分かりかねたのか、苦笑いを浮かべながら、再び視線を海に向けた。
「解せないな……」
誰に言うともなく呟いたのは、マトカルだった。彼女は首をゆっくりと左右に動かしながら、海に浮かぶ船団を丁寧に観察している。
「なぜ、あの砦の近くに船団を展開しているのだ。二十……四十隻もの船があるのだ。あの砦を抑えるならば、数隻で事は足りるだろう。どうして、ドルガに向かわないのだ?」
「ああマト。俺がそう指示を出したんだよ」
「リノス様が?」
怪訝な表情を浮かべるマトカルを、リノスは満足そうな笑みを浮かべながら、ゆっくりと頷いた。
◆ ◆ ◆
同じ頃、ワーロフ帝国軍にも、巨大な船団が現れたという報告がもたらされていた。
「一体どこの軍勢なのですか、それは?」
「わかりませぇん」
眉間に深い皺を刻みながら口を開くのは、副総司令官のシーワだ。その彼女の傍には、困った表情を浮かべた、妹のギギが控えていた。
「今朝、突然、ヒヤマの海に船団が現れましたぁ。それ以降の状況は、不明ですぅ」
「船の帆に国の紋章などは?」
「ありませぇん」
「まずはその船団が何者かを調べなさい」
「全力を挙げて、調べていますぅ」
シーワは忌々しいという表情を浮かべながら、砦の方角を睨みつけた。
「バーリアルに、あれだけの船団が組織できるとは思えない……。援軍……? であれば、まず、我々に連絡があるはず……」
ブツブツと独り言を呟きながら、シーワは頭脳をフル回転させる。だが、彼女の聡明な頭脳をもってしても、沖に現れた船団が何者であるのかを特定させることは、できなかった。
◆ ◆ ◆
「……くあぁぁ」
思わずあくびが漏れてしまう。眠りについたのが、今朝がただったからだ。ちょっと、頑張りすぎた。
マトカルに「大好き」と言わせようとしたのだが、なかなか言ってくれなかったのだ。夫婦になって数年経つが、俺は彼女から「好き」や「愛している」と言った言葉を聞いたことがなかった。唯一、「惚れている」という言葉を二度ほど聞いたくらいだ。そこで、昨夜はお仕置きと称して、「大好き」というセリフを言ってもらおうと思ったのだ。
だが、それがなかなか困難だった。俺のお願いに、彼女は首を振ったのだ。曰く、「恥ずかしい」と。そんなことを言われては、俺の男としての本能に火がついてしまう。結局、明け方までかかって、やっとそれを言ってもらったのだ。
思えば、アホなことをしたものだ。もっといいムードを作って、彼女が愛を囁ける雰囲気を作ってやるべきだった。昨夜のことをリコが聞けば、たっぷりとお小言を頂戴することになるだろう。
……それにしても、マトカルは可愛らしかった。いつもとは違って目を閉じたまま、眉毛をピクピクと動かしながら、「愛……して……いる」と呟いたあの姿は、ヤバイくらいに可愛らしかった。
そんなことを考えながら、目の前のマトカルに視線を向ける。彼女は平静そのものだ。睡眠時間は三時間もなかったのではないか……。だが、そんな様子は微塵も感じさせない。
「失礼します」
よく通る美しい声で、俺は現実に引き戻される。ふと見ると、そこには一人の女性が立っていた。ヴィエイユだ。彼女は空色の、動きやすそうな戦闘服に身を包んでいる。これは、どこかで見た記憶がある……。
「お久しぶりでございます、アガルタ王様。ご指示により、我ら新クリミアーナ軍四万、ただいま参じました」
「ヴィエイユ、よく来てくれたな。まさか、あんな巨大な船をこれだけ多く建造していたとは思わなかった。なかなかやるな、お前も」
「ホホホ。お褒めに預かり、光栄でございます。これも全て、兵士たちのためを思ってのことですわ」
「ほう、どういうことだ?」
「ただでさえ窮屈な海の旅……。せめて、休息するときくらいは、広い部屋を与えたい。そう思ったのです」
「で、あんなバカでかい船を建造したと。やるな」
俺の言葉に、ヴィエイユはニコニコと機嫌の良さそうな表情を浮かべる。聞けば彼女はポーセハイの転移を使わずに、この陣まで来たのだという。海から小舟を使って浜に上陸し、あの砦の間近を通ってここまでやって来たのだそうだ。どうやら、彼女が身に着けている青い服はマジックアイテムのようであり、気配や魔力を隠す効果があるようだ。この俺でさえ、ちょっと妄想していたとはいえ、目の前に現れるまで彼女の気配を感じることができなかったのだ。相当のアイテムを身に着けていると考えていい。さすがは、世界最大規模の教団の総帥と言ったところか。
「道中、砦を見て参りましたが、かなり堅牢であると感じました。これから、どのように戦いを進めていかれるのでしょう? よろしければ、ご教授くださいませ」
「そうだな。俺たちは明日、あの砦に向かって突撃する予定だ」
「は? 突撃……ですか?」
「そうだ」
「我々は、何を致せばよろしいでしょうか? 海から攻撃を……?」
「そうだな。明日の早朝、船をあの砦のギリギリまで寄せてもらいたい。攻撃は、追って指示を出す」
「畏まりました」
「ところでヴィエイユ。お前はどうやって自分の船に帰るんだ?」
「馬に乗って帰りますわ」
「一人……で来たのか?」
「はい。一人で参りました」
「相変わらず、向こう見ずだな、お前は」
「一人の方が気楽ですし、それに目立ちませんわ」
そう言って彼女はケラケラと笑う。俺は大きなため息をつきながら口を開く。
「では、お前の船まで送ろう。帰りに襲われでもしたら、色んな意味で面倒くさいことになる」
「まあ、送っていただけるのですか?」
ヴィエイユの表情が見たこともないくらいに、明るくなる。
「お前の船は?」
「白い屋根の船でございます」
「わかった」
俺は兵士を呼んで、指示を与える。彼は一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、やがてハッと畏まると、足早にその場を後にした。
「もしかして、あのペガサスで送っていただけるのでしょうか? アガルタ王様と二人っきりで空の旅とは、この上ない喜びですわ」
嬉々とした様子を見せるヴィエイユ。そのとき、先程の兵士が戻ってきて俺の前で片膝をついて、拳ほどの大きさの石を差し出す。
「ご苦労様、ありがとうね。……サダキチ」
すぐにフェアリードラゴンが現れる。同時に、俺の手が光る。俺は石をサダキチに渡すと、その直後に彼は姿を消した。ヴィエイユはポカンとした表情で眺めている。
「ほらよ」
俺は彼女に懐から、小さな石ころを出して、渡した。
「これ……は?」
「転移結界石だ。これに魔力を通せば、船まで戻れる」
「……感謝、申し上げます」
何とも言えぬ表情を浮かべるヴィエイユに、俺はさらに言葉を続ける。
「ところでヴィエイユ。お前のその服は、どこかで売っているものなのか?」
「いいえ。特別に誂えさせたものですわ」
「だとしたら、すぐに変えた方がいい」
「……? どういうことでしょうか?」
「それ、ナウ〇カだろ? あちらのファンは厳しいからな。凄まじい批判にさらされる前に、デザインを変えた方がいい。それに、権利関係もややこしいぞ?」
「……恐れ入ります。お言葉の意味がわかりかねます」
「……そりゃ、そうだな」
そう言って俺は、乾いた笑い声をあげる。そのとき、俺の許に兵士がやって来て、来客を告げた。それは、ワーロフ帝国軍の、三人の司令官だった……。