第四百五十一話 秘密の作戦会議
リノスは、森の中で一人、何かを物色していた。マトカルはその後姿を怪訝な表情で眺める。
「リノス様」
「おっ、何だ、マトか」
少し驚いたような表情を浮かべるリノス。彼はフッと笑みを浮かべると、手招きをして彼女を呼んだ。
「何をしているのだ?」
「いや、いい感じのものがないかなと思ってな」
「いい感じのもの?」
不思議そうな表情を浮かべるマトカルに、リノスはクスリと笑みを漏らす。
「で、今、見つけたんだ」
そう言って彼はあらぬ方向を指さす。
「これは……切り株?」
「そうだ。マトの体ならちょうどよさそうだ。入ってみるといい。結界を張ってやるから、鎧を脱ぎな」
「こっ……ここでするのか?」
「バカ野郎。そうじゃない。こうするんだ」
リノスは苦笑いを浮かべながら、中が空洞になっている切り株に手をかざす。すると、彼の手から勢いよく湯が飛び出してきた。
中にみるみる湯が溜まっていく。彼はそれを満足そうな表情で眺めながら、マトカルに視線を移した。
「さあマト、入ってみろ」
彼女は無表情のまま彼を見つめていたが、やがてゆっくりと鎧を脱いで、一糸まとわぬ裸になった。
「……」
「どうだ?」
「……悪くは、ない」
「そうだろう?」
リノスはニコニコと笑みを浮かべながら、彼女を見ている。マトカルは恥ずかしそうに身をよじりつつも、体の底から湧き上がる心地よさに、大きなため息をついた。
「よくこんなことを思いついたな……」
「以前、やったことがあってな。好評だったんだ」
「以前? 誰に……だ?」
「エリルお嬢様さ」
「エリル……お嬢様……」
「ああ。俺が奴隷時代に世話になった方だ。世話になった……というより、俺がかなり世話をした記憶しかないが……まあ、世話になったんだ。そんなお嬢様が、このルノアの森で中が空洞になった切り株を見つけてな。湯を張って中に入ったらえらく気に入ったんだ。血が全身を駆け巡る……なんて言っていたな」
彼は遠い目をしながら、懐かしそうに口を開いている。そんな様子を見ながらマトカルは、ゆっくりと彼から視線を外し、周囲を眺める。
とても静かな時間が流れる。ボーっと森の木々を眺めていると、心の底から癒されていくのを感じる。こんな感覚は初めてのことだ。
「もう少し、お湯を熱くしようか?」
リノスの言葉に、マトカルは我に返る。もしかして、弛緩した表情を見られてしまったか……。少し頬を赤らめながら、彼女は無言で頷く。
ジワジワと体の周りの温度が上がっていく。それに比例して、体中のコリや疲れが解けていくような感覚を覚える。マトカルは再び大きく息を吐き出した。
「仕事に子育てにマトは頑張っているからな。たまにはこういう休憩も必要だと思ったんだ」
リノスのその言葉に、マトカルは顔を赤らめながら口元まで湯に浸かる。
……どのくらいの時間が経っただろうか。刻々と彩を変える森の木々や鳥たちの鳴き声に存分に癒されたマトカルは、ゆっくりと立ち上がった。
「もう十分だ。ありがとう」
マトカルの声に、リノスは再び笑顔を返した。
「……リノス様は入らないのか?」
鎧を身に着けながら、彼女は夫に話しかける。彼はゆっくりと首を振っている。
「さすがに俺の体じゃ小さすぎるよ」
「そうか……私ばかり、すまない」
「いや、いいんだ。それに、この鎧だからな」
そう言いながら彼は鎧をコンコンと叩いた。確かに、この鎧はメイとシディーの二人でしか着せられないほどの複雑な仕様になっている。おいそれと脱ぐわけにはいかないのだ。
「ところで、リノス様はどうして北に進路を取っているのだ?」
「何だマト。藪から棒に」
「少し理解ができないのだ。ワーロフに向かうのであれば、南から行けばよいではないのか。ガルビーに行き、そこからヒーデータの帝都に向かい、そこからワーロフへ……」
「そうだな。その方が効率的だ。帝都の屋敷にも帰りやすいしな」
「ではなぜ……」
「秘匿したいんだよ」
「秘匿?」
「俺たちの動きをできるだけ秘匿したい」
「理由を聞いても?」
「そうだな……」
リノスはゆっくりと息を吐き出すと、スッとマトカルを抱き寄せた。彼女は予想していないこともあって、ピクリと体を震わせる。
「ドルガにいるのはおそらく、とんでもない頭脳とスキルを持ったヤツだと俺は睨んでいる。しかも、その相手はどうも戦いを大きくしようとしている節がある。普通は、余程の自信がない限り、戦いを早く終わらせようとするものだ。敵は、自信があるように見えるが……果たしてそうだろうか。何だか、俺の勘があのドルガという街は危険だと言っている気がしてならないんだ」
「リノス様の勘は正しいかもしれないが……危険、だろうか?」
「ああ。地図を見た限りだが、あのドルガという街……欠点が全くない。それこそ、人々が逃げることもできないくらいのな。大体、城にしろ砦にしろ、必ず逃げ道は作るものだ。あの、ジュカ城だって湖が逃げ道だったんだからな」
「なるほど……」
「そんな危険な街を落そうとしているんだ。いかに大軍勢で攻めても、相当の被害が出るだろう。俺なら力攻めはせずに他の方法を考えるが……。どうもワーロフは力攻めで落とそうとしているらしい。最高の指揮官と最高の防御力を備えた街……。余程、注意してかからないと、手痛い反撃にあう。かなり厄介だぞ」
「リノス様が言わんとしていることは理解できる。でも、なぜ、北の進路なのだ?」
「ワーロフ軍はドルガの南に陣を張っているな? ヒーデータ側から行けば、必然的に俺たちは南側に陣を張ることになるだろう。それは避けたいんだ」
「すまない、よくわからない」
「大軍勢の中に紛れてしまえば、俺たちも戦いに巻き込まれる。周囲が突撃しているのに、俺たちだけが突撃しないわけにもいかないだろう。そうならないためにも、アガルタ軍は、少し離れた位置に陣を張ろうと思うんだ。北側……ニザを迂回して東に進めば、必然的にドルガの西側に出られる。そこにはまだ、軍勢はいない。そこで適当なところに陣を張ればいい」
「なるほど」
「それに……ヴィエイユたちも来るからな。そいつらと連携が取りやすい位置に陣を張る必要がある。意外とこの戦い、ヴィエイユがカギを握っている気がするんだ。そうだな……山の上に陣を張るか……。あと、できれば、俺の存在も秘匿しておきたいな。ある程度使えるヤツだと知られれば、色々と面倒ごとを背負わせられる可能性もある。結界を張るくらいなら問題ないが……。どうも俺は、厄介ごとを引き寄せるスキルを持っているようだからな。それだけじゃすまない気がしてならないんだ」
「……」
「ヒーデータ側には、アガルタからは一千の兵を出すとは伝えているが、俺が行くとは伝えていない。だからマト、表向きのこの軍勢の総司令官はお前が務める格好にしてくれ。あとで兵士たちにもそれは伝えよう。……そんな顔をするな。お前にすべてを委ねようとは思っていない。俺もクノゲンもいるんだ。せっかくの機会だ。楽しんでやるといい。まあ、詳しくは現地に着いてからだ。それまでは、ゆっくりと旅を楽しもう。俺は、アガルタ軍の兵士を一人も死なせるつもりはない。もちろん、マト、お前もだ」
そう言って彼はマトカルを強く抱きよせたかと思うと、彼女の頬に優しく手を添える。
「うん? 何だか、肌がスベスベしていないか? 切り株温泉は、美肌の効能もあるのかね?」
不思議がりながら、ゆっくりと頬を撫でるリノス。その一方でマトカルは、顔を真っ赤にしてゆっくりと俯いた。




