第四百四十八話 解釈
結局、ヴィエイユはシンに一言の言葉もかけることなく、アガルタ大学を後にした。彼女は、彼の振る舞いを見るにつけ、その心を奪うことは簡単だと確信した。彼の心はすでに奪っている。もう一度、自分が甘い声で愛を囁けば、彼はすぐに全てを投げ出すだろう。だが、今はそのときではない。それは、一番タイミングのいいときにすればいいことだ。
それよりも、先にやるべきことがある。まずは、それをいかに早くやり遂げるかが肝要だ。
そんなことを考えながら彼女は、自身の城に戻っていった。
◆ ◆ ◆
「……? 何を言っているのだ?」
「ですから、新しい砦が築かれております!」
怪訝な表情を浮かべているのは、ヒーデータ帝国北方方面軍団司令官である、ライッセン元帥だ。彼は食事の最中であったためか、スプーンを持ったまま、固まっている。そんな彼に伝令は、冷たい視線を向けながら言葉を続ける。
「ドルガの北西に突然、砦が築かれているのです!」
「……」
元帥はまだ、言葉の意味がわからないといった表情を浮かべながら、隣の幕僚に視線を向ける。
「どの辺りだ?」
「はっ、失礼します」
幕僚の声に、伝令の男は立ち上がり、机の上に広げられた地図を覗き込む。
「この辺りになります」
「どちらかと言えば、ドルガ……というよりも、バーリアル本国を防衛するための砦……か?」
「規模としては大きくはありませんが、堀で囲まれていますので、かなり厄介であるかと思います」
「昨日までは、なかったのだな?」
「左様です」
「わずか一日で……」
幕僚は驚いた表情を元帥に向ける。彼は黙々と食事を摂っていた。
「閣下、いかがなさいます?」
「ううん? ドルガの後方に位置する砦であろうが。放っておけ」
「しかし……ここに砦を築かれると、西からドルガを攻撃することが困難になります」
「それで?」
「ドルガを落すことが難しくなります」
「それは、我らには関係のないことだ」
「何と言われます?」
「我々はあくまで援軍に来ておるのだ。ドルガをどう落とすのかを考えるのは、ワーロフ側だ」
「お言葉ですが閣下、我らも援軍に来ている以上、ある程度は作戦に関与しませんと、ワーロフ側に我らはいいように扱われる恐れがあります」
「拒否すればよい」
「は?」
「我らが気に入らぬ作戦であれば、拒否すればよいのだ」
そう言いながら彼は、傍らにあったグラスを手に取り、グイっと一気に飲み干した。そんな彼を、幕僚と伝令は茫然とした表情で眺め続けた。
◆ ◆ ◆
「どうだ。我ながら見事な出来栄えだ」
そう言って笑うのは、黒龍であるロイスだった。その隣には妹のシャリオが控えている。
「中の兄さま……。あまり派手にやりすぎると、龍王に……」
「お前は気が小さいのだな」
ロイスはそう言ってカラカラと笑う。龍王に気付かれぬように最小限の力でやっているのだ。この自分が、そんなドジを踏むことはない。そんなことを考えながら、彼は眼下に広がる砦に視線を向ける。
我ながら、なかなかの出来栄えだ。海水を曳いて堀に水を溜めたことで、この砦も難攻不落となった。ドルガとこの砦……。この二つの要塞があれば、ワーロフ帝国が陥落するのは時間の問題と言えた。
「しかし、骨のない奴らだな。てっきり、死に物狂いでこの砦を奪いに来るかと思ったが、敵に動く気配は全くない。この砦の意味がわからんのか、それとも何か策があるのか……。きっと前者だろうな」
そう言って彼は再びカラカラと乾いた笑い声をあげる。
「だが、これは見る者が見れば、必ず惹かれるはずだ。シャリオ……お前が目を付けた男は、どうだろうな?」
「必ず気付く」
「ほう、やけに言い切るな」
「必ず、気付く」
大きく頷く妹を横目で見ながら、ロイスは目の前に広がる広大な大地に視線を泳がせた。
◆ ◆ ◆
「砦……か」
敵が新たに砦を築いたという報告は、ワーロフ側にも伝わっていた。腕を組みながら天を仰いでいるのは、ゲシカナ将軍だった。彼自身も、敵が何ゆえにこのような位置に砦を築いたのかがわかりかねていた。
「まあ、一日でこれだけのものを拵えるのですから、それなりに重要な意味があるのでしょう」
そう発言するのは、副総司令官であるシーワだった。彼女は違和感を覚えていた。ドルガの北西……しかも、バーリアルに近い位置に砦を作っている。一見すると、本国を守るために作られたように見えるが、きっとそれだけではない。何かがあるはずだ……。だが、考えても答えは出ない。彼女は喉に魚の骨が刺さったような、何とも言えない感覚を覚えながら、居並ぶ幕僚たちに視線を向ける。
「ところで、ヒーデータからの増援の状況は?」
……彼女の質問に答えるものは誰も居ない。
「すぐに確認してください」
彼女の言葉に、幕僚の一人が恭しく頭を下げ、足早に部屋を後にしていった。その後、シーワは次々と指示を出していく。やがて、部屋にはゲシカナ将軍とシーワ副司令官、その妹のギギ、チャン司令官、ワーカ司令官、トーイッツ司令官の六人が残った。
「この砦……やり方によっては、我らを挟み撃ちにすることができないか?」
チャンが突然声を上げる。彼はじっと地図に視線を向けていたが、やがて立ち上がって、地図を指さす。
ドルガとこの砦に兵を二分する。そして、ドルガ側から船で南に下れば、我らの背後に回ることができる。そうしておいて、この砦から残りの一隊で我らを突けば、挟み撃ちとすることができる」
「その可能性は?」
「何?」
シーワ副総司令官が不機嫌そうな声で質問している。その刺々しい物言いに、チャン司令官も思わず不愉快そうな声を上げる。
「可能性はどのくらいですか? 絶対と言い切れますか?」
「絶対など……言い切れるわけがなかろう」
「私たちは兵士の命を預かっているのですよ? そんな不確かな作戦を実行することはできないでしょう?」
「何も俺の作戦を実行しろなどとは言っていない。あくまでその可能性があるのではないかと言っているのだ」
「チャンさんは司令官です。司令官の言葉は重いのですよ? あなたは単に提案しただけだと言われましたが、先程の物言いは完全に言い切っていました。まるで、自分の作戦が正しいかのように言っておいででした。気を付けてください? 私が副総司令官だからこうして注意ができますが、それ以外の方ですと、その意見は採用される恐れがありますよ? 言葉の使い方には細心の注意を払ってくださいと、前々からお伝えしていますよね?」
シーワの声に、チャンは眉間に皺を寄せながら彼女を睨みつけている。その隣に控えているワーカ司令官は、目を閉じながら小刻みに首を左右に振っている。
「チャン、お前は歴戦の戦士だが、今は司令官という重い立場だ。昔とは違うのだ。立場の違いを意識するのだ」
ゲシカナ将軍の言葉に、チャン司令官はゆっくりと頭を下げた。
しばらくして、司令官たちが戻ってきた。全員が揃ったのを確認したシーワ副総司令官は立ち上がり、よく通る声で全員に語りかけた。
「先ほどの砦の話ですが、このままでは我々は挟み撃ちにされる可能性があります。ドルガの部隊が海を南に下れば、我々の背後を突くことができます。そのとき、砦の部隊が我々を襲うと、我々は前後に敵を受けることになります。そうならないように、一刻も早くヒーデータの援軍が必要になります。キーグさん、ヒーデータ側は何と言っていましたか?」
「ハッ、まだ、本国より増援の一報は来ていないとのことでした」
「急がせてください」
「はい、すでにそのように申し伝えました」
「わかりました」
満足そうな表情を浮かべるシーワ。その彼女をチャンは鋭い目で睨みつけ、隣に控えるワーカは、苦笑いを浮かべるのだった……。




