第四百三十四話 あにいもうと
「何? エルフ共が?」
「ああ。山を降りるそうだ」
「降りてどうする?」
「知らん。あの里を出たい者は出てもよし。出たくない者は出なくてもよいという命令が発せられたのだ。つまりは、エルフたちの好きにしてよい、という触れが出たのだ」
「ホンノワイチはどうするのだ?」
「それもわからん。用心深いヤツのことだ。しばらくはあの山を動きはすまい」
「……エルフも所詮、知能の低い連中だったか」
◆ ◆ ◆
リノスが治めるアガルタ王国から遥か数百キロ南に位置するルワザン島。活発に活動しているレイス火山の影響で、大変温暖な気候である一方で、そこから発せられる有毒ガスのために、生物がほとんどいない死の島と化したこの場所で、二匹のドラゴンが顔を近づけて話し合っていた。
その体は漆黒の鱗で覆われている。彼らはドラゴンの中で最も狡猾と言われる黒龍だった。
基本的に黒龍は、アガルタの北に位置するジュカ山脈に住んでおり、その数は数十匹と言われている。これは過去、フェリスたちクルルカンと縄張り争いを起こした際に、その大半が討伐されてしまったことにより、その数を激減させていた。現在はクルルカンとの間で停戦協定が結ばれているために、攻撃される危険性はないものの、彼らとしては昔の繁栄を取り戻すのは悲願と言えた。
その中で、最も活動的であったのが、ツネだった。彼は常にクルルカンへの対抗心を燃やし、そのために多くの掟――例えば、結婚相手は族長が決める――に縛られることで、自由が全くないジュカ山脈にいることをよしとしなかった。彼は楽園を求めて兄弟を連れて山を去り、はぐれ黒龍となって、絶海の孤島であるこの島に移り住んだのだった。
誰の干渉も受けず、気ままに過ごす日々……。彼らは気心の知れた五人の兄弟と共に、悠々自適の生活を送っていた。海から獲れる魚は無尽蔵であり、飢える心配はなかった。そんな彼らに接触してきたのが、エルフたちだった。彼らはヘイズという化け物に再び襲われることを恐れるあまり、なりふり構わずその対策法を考えていた。平身低頭で教えを乞うエルフに対して、人跡未踏の地に住むことをアドバイスしたのは、他ならぬ彼ら黒龍だった。
彼らの考えを理解し、即座に行動に移したエルフたちを、彼らは好意的に受け入れていた。何かあればまた、知恵を貸してやらぬでもない……。彼らがそんなことを考えたのは、エルフ以外の種族ではあり得なかった。ようやく、自分たち龍族と同等……とまではいかずとも、それに類する存在であると認めていたエルフたちが、フィルコン山脈から出ることを決意した。ツネにはわからなかった。せっかく安全で平和な日々が約束されているにもかかわらず、何故、むざむざ自身を危険に晒すのか。あれだけ我々の考えに共感していたエルフたち……。その彼らが考えを翻すなど、彼には予想もしていないことだった。
彼は、目の前で控えている弟のラアルに、兄弟たちにこのことを知らせるよう命じたのだった。
しばらくすると彼の許に、一匹の黒龍が舞い降りてきた。唯一の雌である妹のシャリオだった。彼女は音もなくツネの前に降り立つと、挨拶もそこそこに早口でまくし立ててきた。
「兄様、エルフが里を出るというのは本当でしょうか?」
「そのようだ」
「この数百年間、頑として里を動かなかったエルフが、どうして突然そのようなことを?」
「わからん。奴らもただの下等な種族であったということかもしれんな。ただ一つわかっているのは、アガルタのリノスという男が関わっていると言うことだ」
「リノス……。また、あの男……」
その男の名前は、ここ数年の間、彼ら兄弟の中で何度も聞く名前だった。特に、彼ら兄弟の興味を引いたのは、黒龍にとって仇敵ともいえる龍王と戦い、命を長らえたという事実だった。過去、彼らは総力を挙げて龍王に挑み、引き分けていた。そのため現在の彼らは、龍王から情報を得ない代わりに、その干渉から逃れることができているのだ。一族の総力を結集して、やっと引き分けに持ち込めた龍王に一人で挑み、死なずに生きているという事実は彼らをして、驚愕せしめるものだった。
彼ら五匹の兄弟が力を合わせれば、龍王を葬り去ることは可能だろう。しかし、個々で戦うとなると明らかに相手の実力が上回る。そんな龍王を、そのリノスという男は一人で戦い、殺されることなく今を生きている。彼らにとってリノスは、数少ない興味の対象であると言ってよかった。
「兄様、私をそのリノスという男の許にお遣わし下さい」
「何? 何をする気だ?」
「一度、会ってみたい」
「会ってどうする?」
「使えそうな男であれば、我らの許に連れて来る」
「待て。リノスという男は、龍王と戦う事が出来る男だ。下手に関わるとその男どころか、龍王まで敵に回すことになる。やめておけ」
「でも、本当にこのままでいいのか、兄様?」
「どういう意味だ」
「そのリノスという男……このまま捨て置いては、何か、我らの禍根になりはせぬだろうか」
「……」
「私を、その者の許にお遣わし下さい。見て参ります」
ツネは妹の顔をじっと見つめる。その瞳はキラキラと輝いていて、一点の邪心も見られない。彼は心の中で嘆息を漏らす。
……全く、困ったものだ。一度興味を持つと、トコトンまで追求する。一体誰に似たのか。
兄弟の中で最も高い能力を持つ可能性のあるこの妹だが、その好奇心の高さはある意味、危険を伴うものであることを、この兄は承知していた。とはいえ、反対すればするほど、妹はアガルタに向かおうとするだろう。この状況を上手く収めるためにはどうすればよいか……。彼は思考する。
「行かせてやればいいではないか」
不意に声が聞こえた。次男のロイスだ。兄弟の中で桁外れに残忍で執念深い性格であり、その双眸にある女性的な怪しい光が、その性格を示していた。ツネは再び心の中で嘆息を漏らす。
「ほら、中の兄様もそう言っておいでだわ。だから、ね? 兄様?」
「行ってくるがいい。そして、その者を連れ来るのだ」
「食べようとしていますね、中の兄様?」
「ああ。スキルの高い者を食せば、俺のスキルが上がる。そうでなくとも、人族を食らうなどいつぶりであろうか……。だから、な?」
「承知しましたわ、中の兄様」
そう言って彼女は空高く飛び上がった。ツネが止めようとするが、彼女は兄の声を無視してドンドンと島から離れていく。
「まあよいではないか、兄者」
「……」
彼は小さくなっていく妹の後姿を眺めながら、胸騒ぎを抑えることができず、弟を睨みつけるのだった。
◆ ◆ ◆
「ラ~ラララ~。ラ~ラララ~。ランランラ~ララ~」
帝都にあるリノスの屋敷。その庭で機嫌よく歌を歌っているのは、娘のアリリアだった。彼女はソレイユからいろいろな歌を教わり、毎日庭に出ては謳うことを日課としていた。今日はまだ、覚えたての曲を練習しているのだ。まだ歌詞は覚えられていないが、その美しい調べは心を和ませるものだった。
「ええっと、この後は何だっけ?」
彼女は頭をポリポリと掻きながら、空を見上げる。抜けるような、雲一つない青空だ。
「う~ん。忘れちゃった。マミーに教えてもらおう」
マミーは弟のセイサムに授乳している最中だ。だが、かなり時間も経った。もう終わっている頃だろうと考えた彼女は、先程のメロディーを口ずさみながら、屋敷に向かって歩き出した。そのとき、彼女の耳に、聞きなれない音が聞こえてきた。
バチッ、バチチチチチ!!
何かがはじけるような音が聞こえる。驚いて振り向いた彼女が見たものは、驚愕の光景だった。
何と、一匹のドラゴンが、空に浮いていたのだった……。




