第四百三十二話 琥珀の月
「……!?」
最近、何かおかしい。そんなことを考えながら首をひねっているのは、ローニだった。彼女の心の中は、その長い耳に現れる。今、その耳は見事に「!?」という形になっていた。
そんなことを感じるのには訳がある。ドーキが一切自分に話しかけてこなくなったからだ。
会うといつも真っ先に自分の傍に寄ってくるドーキ。それがうざったいと思ったことは数え切れず、何とかして離れてくれないものかと常々考えていたのだが、今の彼は、彼女の思いを叶えるかのように、何も言ってこない。挨拶もしなければ、話しかけても来ない。あまりにもギャップがありすぎて、彼女自身、戸惑いを覚えていたのだ。
「どうですか、最近の仕事は?」
思わず、ドーキに話しかけてしまった。いつもなら、目を輝かせてマシンガントークが始まるのだが……。この日の彼の対応は、あまりにも素っ気ないものだった。
「ああ、まあ」
……それだけですか? いつものドーキはどこへ行ったのです? そんなことを心の中で呟きながら、ローニは彼を見つめる。だが彼は、スッと彼女から視線を外し、目の前にいるターマと話をし始めた。
二人は盛り上がっている。クスクスと笑い声を上げながら、何やら会話を楽しんでいる。そんな様子を見ながら、ローニは何とも言えない感情を心の中で押し殺した。
……まあ、いいでしょう。ドーキもうまくやっているようですし。これで私も、頭を悩ませることが一つ減ったのです。よしとしましょう。
そう思ってはみたものの、彼女の心の中には、釈然としない感情が残り続けた。
それ以降も、ドーキはローニに対して、徹底的に素っ気ない態度であり続けた。これはリコの作戦だったのだが、それを実行しているドーキ自身も、かなり精神的負担が大きい作業だった。リコの言った一週間という期限を明日に控えたその日、彼はリノスの屋敷を尋ねた。
「明日で最後です。あとは、何をすればいいのでしょう?」
目の下にクマを作り、明らかに憔悴しているドーキ。そんな彼をリノスは、心配そうな表情で眺めている。
「ご苦労様でした。よく頑張ったと思いますわ。辛かったですわね」
リコが優しく彼に言葉をかける。
「いいえ。これまで全く話しかけてくれなかったローニが、話しかけてくれるようになったのです。それだけでも、十分です」
「とはいえ、好きな女性ともっと話をしたかったでしょうに……辛い役割をさせましたわね」
「いいえ、十分です。そのお陰で、ターマさんが僕に何かと気遣いをしてくれるようになりましたから……」
「てゆうかドーキ。ローニがダメなら、そのターマという人でいいんじゃないのか? 確か、皇后さまに仕えているポーセハイだろ?」
「いいえ、リノス様。彼女には既に、心に決めた人がいます。僕が彼女を好きになることなど、あり得ません」
「え? そうなんだ……。やっぱり同じポーセハイか?」
「……違います」
「え? それじゃ、誰なんだ?」
「ええと……その……」
「まあ、言いたくなければ言わなくていいが」
「まあ、そのうち明らかになることなので……遅かれ早かれだと思います。その……イッカクさんです」
「はあ!? イッカク? あの、オワラ衆のイッカク?」
「はい。すでに、将来を約束しているようです」
「マジか……。相当年が離れているんじゃないのか?」
「確か……ターマさんより15か16くらい離れていると思います」
「はああ……」
「元々、ターマさんには恋人がいたのですが、それをイッカクさんが振り向かせたのです」
「マジで?? あの、何にも喋らないあの男が……どうやって口説いたんだ? しかも彼氏持ちの女性を……」
「まあ、愛というものは得てしてそういうものですわ。二人は運命の赤い糸で結ばれていたから、引きあったのですわ。そんなことよりも、ドーキのことですわ。では、最後の作戦をお伝えしますわ」
「よ……よろしくお願いいたします」
ドーキはスッと姿勢を正す。その姿を見ながらリコは、明日の作戦を丁寧に語り始めた……。
◆ ◆ ◆
その日は満月の夜だった。いつも以上に月が大きく見える。そんな月あかりの中を一人、歩く男がいた。言うまでもなく、ドーキだ。彼は手に包みをぶら下げていて、それが彼の歩調に合わせて、ゆっくりと揺れている。
その足取りは、とある部屋の前で止まった。彼は扉をノックして、ゆっくりと開く。
「あれ? ドーキ?」
驚いた表情を見せているのは、ローニだった。彼女は帰り支度を整え、今まさに大学の部屋を出ようとしていたところだった。
「ローニ、外に出てみない?」
「?」
ドーキは無言で部屋の外に設えられたバルコニーに出ていく。彼女も怪訝そうな表情を浮かべながら、彼の後に付いていく。
「ローニ。お腹がすいていないかい? よかったら、お弁当を食べないかい?」
「……」
確かにお腹はすいている。ドーキは手に持っていた包みをテーブルの上に置き、それを開けていく。中には、美味しそうな料理が詰め込まれていた。彼女が大好きなから揚げも入っていた。
「少し、いただきましょうか」
そう言って彼女はお弁当に手を伸ばす。から揚げを一つつまんで、口の中に放り込むと、何とも言えない旨味が口の中いっぱいに広がる。……美味しい。リノス様のお屋敷でごちそうになるから揚げも美味しいが、このから揚げも美味しい。うん、気に入った。
そんなことを考えながら彼女は、次々と料理をつまんでいく。そんな様子を愛おしそうな表情で眺めていたドーキは、突然、口を開く。
「ごめん、ローニ。君に謝らなきゃいけないことがあるんだ」
突然のことで、ローニは目を見開きながら、コクコクと頷く。何と言葉を返していいのかがわからないのだ。
「この一週間、君のことを忘れようと頑張ったけれども……やっぱりできなかったんだ。申し訳ないけれど、僕の、お嫁さんになってくれないか?」
「ううう……」
「そのお弁当は、全部僕が作ったんだ。毎日、君にお弁当を作るから……。僕のお嫁さんになってくれないか? ……大好きなんだ」
「あ、う、お、え……」
ローニはしばらく戸惑いの様子を見せていたが、やがて、目を左右に動かしながら、コクリと頷いた。その瞬間、ドーキは膝から崩れ落ちるようにして、その場に突っ伏した。
「よ、よかった~」
「一体、何なのですか、これは? 理解ができません」
ローニが呆れた表情を浮かべながら、話しかける。ドーキは申し訳なさそうに、口を開く。
「怒らないで聞いて欲しいんだけれど……実は、リコ様に相談したんだ」
「リコ様に!?」
「ローニに振られた後、リコ様に相談したら、一週間、ローニに素っ気なくしろと言われたんだ。そうすればローニは、自分の断り方が悪かったんじゃないかと思うだろう。そう思ったときに、もう一度結婚を申し込めって……」
「……何と言う。で、このお弁当というわけですか?」
「いや、このお弁当は、僕が考えたんだ。リコ様は、ロマンチックな場所でもう一度言えと仰ったんだけれど……」
「それがこの、バルコニーですか!?」
「見てごらんよ、ローニ。空を」
見上げた空には、まるで吸い込まれそうな程に大きく、美しい琥珀色の満月があった。そのあまりの美しさに、ローニはしばし我を忘れた。
「満月は、望みを叶えてくれるって言うから……。もう一度言うね、ローニ。君を幸せにしたいんだ。だから、僕の、お嫁さんになって、下さい」
彼女はチラリとドーキに視線を向けたが、やがてすぐに空の満月に視線を向けた。そして、しばらくの沈黙の後、ゆっくりと頷きながら口を開いた。
「月が、綺麗ですね……」
ドーキがローニを伴って、リノスの許に訪れたのは、それから数日後のことだった……。
次回もう一話、間話を挟みます。新章は6/11からスタートする予定です!
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