第四百三十一話 勝負の行方
その数日後、ドーキの姿は、アガルタ大学医学部の門の前にあった。彼は大きく息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出す。気合を十分に入れて、キャンパスの中に入っていった。
彼の足取りは、全く迷いを感じさせない。一直線に、目指す目標の許に向かって進んでいった。
「失礼します」
声をかけて扉を開ける。するとそこには、机に突っ伏すようにして作業をしているポーセハイの姿があった。言うまでもなくローニだ。
彼女の魔力は十分に感じ取ることはできた。やり方によっては、彼女のすぐそばに転移することだってできたのだ。だがそれは一度、怒られている。同じ轍は踏むべきではない。
彼女はこの大学で研究の傍ら、チワンの助手として働いていたのだった。この日も、研究のレポートを仕上げるために不休不眠の作業の最中だった。
だが、そんなことはドーキにはわからない。彼は再び息を大きく吸うと、部屋中に響き渡る大きな声で彼女を呼び掛けた。
「ローニ!」
「……!?」
突然大声を出されて驚くローニ。やがて彼女は持っていたペンを置き、座ったままドーキにゆっくりと話しかける。
「何の用ですか?」
「僕と結婚してくれないか」
「……」
「子供の頃から、ずっと君をお嫁さんにしたいと思っていたんだ」
「……」
「だからローニ、結婚してくれ。僕たちで、家庭を作ろう」
「帰って下さい」
「え?」
「その件は、お断りしたはずです。私は忙しいのです。帰って下さい」
「ロ……ローニ」
ドーキの呼びかけも空しく、彼女は黙ってペンを取り、再びカリカリと文字を書き始めたのだった。
◆ ◆ ◆
「あれ?」
大学の構内に、フラフラとまるで酒に酔っているかのように歩く男がいた。それを最初に見つけたのは、学長であるメイだった。彼女をして、その男がドーキであるとは全くわからなかった。それほど彼は茫然自失の状態となっていたのだった。
「……そうですか。それは、大変でしたね」
ドーキを何とか説得して、学長室に連れて来たはいいものの、話の内容を聞いてメイはかける言葉が見つからなかった。今のローニは忙しい。彼女の研究の成果が世に出ようとしているところなのだ。正直、その仕事を応援してやりたい気持ちが、メイの中ではいっぱいだったのだ。
「ローニさんは今、忙しいのです。なかなか結婚を考える余裕はないかもしれません。どうでしょう? 今の仕事が落ち着いてから、改めてお話をしてみるというのは?」
「はい……。僕もわかっています。わかっていますけれども……。ううっ……ううう……」
「ドーキさん……」
「申し訳ありません、メイ様。少し……少しだけ……泣きます。本当に、ごめんなさい……」
そう言って彼は、体を震わせ、声を殺して泣き始めた。
◆ ◆ ◆
「う~ん。それだけ期待させられた結果がこれじゃ、そりゃショックだよな」
そう言って、腕を組んでいるのは、リノスだった。ドーキは、メイの前で号泣したあと、彼女の住む帝都の屋敷に連れて来られていた。そして、彼女から事情を聴いたリノスとリコが彼の前に座り、これまでの経緯を聞いたのだった。
「それにしても、あのショゲツのオバハン。一体何を根拠にそんなことを言ったのか……。男心を弄ぶようで、何だか許せないな」
「いいえリノス。ショゲツ様はさておいて、ドーキも悪いですわ」
そう言って窘めるのはリコだ。彼女は聡明な眼差しをドーキに向けながら、ゆっくりと頷いている。
「そうです。冷静に考えれば、僕が悪かったのです。忙しいローニのことも考えずに……」
「好きという気持ちはよくわかりますけれど、やはり、ローニのことも考えてあげないといけませんわ。夫婦になろうとするのならば、猶更ですわ。人は一人では生きていけないのです。誰かに助けられて生きているのです。夫婦となれば、互いが支え合わなければすぐにダメになってしまいますわ。今回はいい勉強になりましたわね。これで、ローニを気遣うことを勉強できたのですから」
「だけどリコ、今後、ドーキにチャンスはあるのか? 完全に嫌われちゃったみたいだけど」
「う~ん。愛の告げ方も不味かったですわね……。ローニも女性です。どうせ愛を告げられるのであれば、いいムードで告げられたかったと思いますわ」
「え? そこ?」
「女性にとっては、大事なことですわ」
「そうなんだ……」
リノスは、勉強になりますといった表情を浮かべながら、リコの話に深く頷いている。
「ただ……。これから二人の関係を修復しようとすると……難しいですわね」
「いえ、いいんです。僕、諦めます。元々、縁がなかったのです」
「そうは言ってもドーキ、諦められるか? 難しいと思うぞ? いや、完全にローニと離れることができるのであれば、それは可能かもしれないけれど、お前たちポーセハイは、寄ると触ると集まりを持つだろう? そんなときにローニに会わないということはできないだろう」
「でも……でも……仕方がありません」
「そうは言ってもだな……。真面目で繊細なお前のことだ。きっと夜も眠れなくなるんじゃないのか? 一生に一度の恋って決めた恋だろう? 回復までには時間がかかるぞ?」
「仕方が……ありません」
「う~ん。リコ、何とかならないか?」
「そうですわね……」
リコは、目を閉じて天を仰ぎながら、何かを考えている。その表情はとても美しいものだった。その様子をじっと見ていたメイが、遠慮深げに口を開く。
「ローニさんはとても優しい方です。とても強く見えますけれど、とても気遣いのできる方です。ドーキさんが誠心誠意思いを伝えれば、きっとわかってくれます。今回はたまたまタイミングが悪かっただけです。私の方からも、フォローを入れておきます。ですから……」
「いいえ、メイ。それは無用ですわ」
突然リコの声がする。驚いて視線を向けてきたメイをじっと見つめたリコは、静かに口を開いた。
「ドーキのフォローを入れるのは無用です。むしろ、ローニのことは諦めたと言った方がよろしいですわ」
「リコ様……そんな……」
「ドーキ、あなたもできるだけローニには素っ気ない態度で接してくださいな」
「わかり……ました」
「ただし、それは一週間だけです。一週間なら、できますでしょ?」
「え……? どういうことでしょうか?」
「私に作戦がありますの」
「作戦?」
「上手くいくかどうかはわかりませんが……。やってみる価値はあると思うのですわ」
「は……はあ……。僕にできるかな?」
「ダメで元々ですわ。今の段階では確実にローニにフラれてしまいますわ。そうならないように……」
リコはドーキにこれから実施するべき作戦を、丁寧に伝えていく。
「……たったこれだけのことですわ。できますでしょ?」
「ま、まあ、それは、僕にとっては願ったり叶ったりですが……」
「やってみてくださいな。次の作戦は、一週間後にお伝えしますわ」
「わ……わかりました」
まるで狐につままれたかのような表情を浮かべながら、ドーキは屋敷から転移していった。その様子をリコは、少し笑みを浮かべながら見送っていた。
その夜、リノスはリコに、作戦の詳細を尋ねた。
「なあ、あんなことで、本当に上手くいくのか?」
「わかりませんが……。ローニの良心に賭けてみるしか手はありませんわ」
「そうかもしれんけど……」
「ところでリノス」
「何だい?」
「先ほど、ドーキに一生に一度の恋が破れたときの話をしていましたけれど、あなたの場合は、どんな恋だったのです? 聞かせていただけまして?」
「え? 何の話でしょう?」
「とぼけないでくださいませ。いや別に怒っているわけではありませんわ。リノスが破れた一生に一度の恋……聞きたいと思ったのですわ。いつのことです? どのようなお方?」
……それは前世の話で、しかも高校生の時の話だ。好きだった女子に思いを伝えることもできずに終わった恋だった。そんなことが言えるはずもなく、彼はオロオロとしながら、必死で言葉を絞り出す。
「聞いた話だよ。ホラ、将軍が……な。ラファイエンスが言っていたんだよ。あのジイさん、本当に色々な色恋を経験していてな……」
「本当に?」
「ほ、本当です。俺の初恋はリコだったんだ。これは本当に嘘じゃない。本当に、リコが初めて好きになった女性だったんだ。あ、初恋って言うのは基本的に叶わないと言われているけれど、俺の場合は叶ったな。ツイてるな、俺は。初めて好きになった女性と結婚できたんだから」
「……それは、私もですわ」
「あの……今でも、本当に愛しています。大好きです」
「私もですわ」
「リコ……」
そう言って、二人は抱き合った。部屋の明かりが落ちたのは、その直後のことだった……。




