第四百十七話 マジで!?
またか……。いい加減にしてもらいたいものだ。
うんざりとした気持ちのまま静かに廊下を歩いているのは、エルフ王の警備を担当しているカクインだ。彼は大きなため息をつきながら、隊長であるオルトーの部屋に向かう。
自分はオルトー隊長のように心の広い人間ではない。できれば、人族とは関わり合いになりたくはないのだ。命令によって仕方なく警備の任に就いているが、本来ならば、このような任務は金輪際お断りしたいというのが本音だった。
彼の王に対する忠誠心は、誰にも負けない自信があった。王が死ねと言われれば、即座に命を差し出すだろう。そのために、王の警備を任されているのだ。だが、あの人族たちのためには死ねない。断じて死ぬわけにはいかないのだ。
ただ、今回はミーク姫の依頼のため、断ることができなかった。それをすればおそらく、王が悲しむ。王を悲しませることは、彼の本意ではない。
そんな葛藤を抱えながら彼は、隊長のいる部屋の扉を開ける。
「……何? 犯人の目星がついただと?」
オルトーは目を丸くして驚いた。だが、すぐに元の表情に戻り、呆れたような笑みを浮かべた。
「一体、何を根拠にそのようなことを」
「わかりません。ただ、ミーク姫様はそう言われるのみで、まずは隊長を呼べとの一点張りでした」
「そうか。姫がそう言われるのならば仕方がない。伺おう」
そう言って彼は椅子から立ち上がった。
オルトーの後ろを歩きながらカクインは、心の中で呟いていた。隊長も、そこまでなさることはないだろうに、と。そして、彼の心中を察すると、本来はやりたくもない仕事であるにもかかわらず、不満を一切見せずに職務を全うしようとするその姿勢に、敬服するのだった。
◆ ◆ ◆
「犯人の目星がついたと伺いましたが……」
オルトーはにこやかな笑みを浮かべながら、シディーに視線を向けている。顔は笑っているが、彼の体からは、これ以上何も言ってくれるなという雰囲気がにじみ出ている。俺はシディーに目配せをするが、彼女は俺とは目を合わせずに、涼しい顔をしている。
「そうじゃ。レイラを殺したのは、左利きのエルフじゃ。この王族用の敷地内にいる、左利きのエルフ。しかも男じゃ。それを探すのじゃ」
「…………」
「言葉にせよ。二人にわからんではないか。余計な誤解を生むかもしれぬぞよ」
「……承知いたしました。姫様、恐れ入りますが、その理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「レイラは左の腹を刺されていたのじゃろう? であれば、左利きの者じゃ」
「恐れ入ります。しかし、それだけでは犯人が左利きと考えるのは早計であろうかと考えます」
「何故じゃ?」
「わき腹を刺されたとはいえ、前から刺されたのか後ろから刺されたのかで状況は変わって参ります。姫様がそうしたご心配をいただくことは無用でございます」
「妾とて心配じゃ。早く犯人を捕まえたいのじゃ」
「承知いたしました。ただいま全力で犯人を捕らえるべく奔走しております。姫様のその思い、十分でございます」
そう言って彼は恭しく頭を下げる。そのとき、ミークとシディーが目を見合わせた。
「オルトーさん、私からも質問してよろしいでしょうか」
「何なりと」
彼はシディーに向き直り、じっとその顔を見つめる。
「殺されたレイラさんの遺体はどちらにあるのでしょうか?」
「……なぜ、そのようなことを?」
「いえ、エルフの方々は、亡くなった方をどのように埋葬されるのかが気になりまして……」
「ハッハッハ。変わった御方ですね。……いや、失礼。我らエルフは亡くなりますと、そのまま里の外に葬られます」
「里の外に? 荼毘に付さないのですか?」
「ええ。我らは亡くなった状態のまま、里の外の雪の中に埋められます。確かに、地上で暮らしていた時代には土に葬ることもありましたが、この山に来てから以降、雪の中に埋めることに決まっております」
「あの……アンデッド化することは……」
「この寒さです。それはあり得ません。従って、遺体が腐敗することもありません。そのために、死んだ者に会いたければ、我々はいつでも会うことができるのです」
「ということは、レイラさんの遺体も……? いえ、ミーク姫が仰るのです。我らエルフは、腹を刺されたくらいでは死なぬと」
シディーはスッとミークに視線を向ける。それを受けて彼女もゆっくりと頷く。
「大変に憚られることですが……。レイラは左脇腹を一突きされた状態で絶命しておりました。それ以上のことは、私にはわかりかねます」
「ありがとうございます。いえ、ミーク姫の懸念を払しょくしたいと思っただけなのです。一応、私は薬師としての教育を受けておりますので、遺体を見れば大体、何が致命傷となったのか程度のことはわかります。差支えなければ、レイラさんの遺体を見せていただくわけには参りませんでしょうか?」
「お安い御用です……と言いたいところですが、生憎レイラの遺体は、この城にはありません」
「もう埋葬されたのですか?」
「いいえ。荼毘に付しました」
「え?」
「レイラは血を流しました。血を流して死んだエルフにつきましては、荼毘に付すのが決まりなのです」
「そ……そうなのですね」
オロオロとした様子で、シディーはミークに視線を向ける。彼女はコクリと頷いて、オルトーに向き直る。
「遺体を見れば、どやつが犯人であるのかが、さらにわかったものを」
「姫様もご存じの通り、我らエルフ族において、血はもっとも忌むべきもの。その血を自ら拭うことができない者は、どのようなことをされようとも、文句が言えません。こう申しては何ですが、レイラは血でこの城を汚したのです。ですが、その汚れを最小限に抑えることができた……。それだけでも、彼女の生涯は大いに価値のあるものだったはずです」
……言っていることが無茶苦茶だ。コイツは本当に、どんな頭の中をしているのだ。俺は吐きそうになりながら、必死に耐えていた。確かに、レイラというエルフはイヤな女だった。だが、彼女は殺されたのだ。理由は知らないが、命を奪われたのだ。オルトーの話では、イヤな部分もありながら、仕事のできる女性であったという。言ってみれば、職場の同僚じゃないか。仲間じゃないか。その仲間が殺されているのに、その言い方はないだろう。悲しくはないのか?彼女にも家族があったんじゃないのか。ちゃんと家族には伝えたのだろうか。悲しんでいる人はいっぱいいるんじゃないだろうか?
……考えすぎて頭が痛くなってきた。いかん、ちょっと落ち着こうか。
俺は深呼吸をしながら息を整える。その間もオルトーとミークの会話は続けられている。そして、シディーはその様子をじっと眺め続けている。この状況下で冷静さを保っているシディーは凄いと思う反面、怒りを覚えないのだろうかという気持ちも湧き上がってくる。さっきまでの可愛らしい笑顔とは打って変わって、冷静な、どちらかというと冷たい表情をしている。ある意味、これがシディーの別の顔なのだろうか。俺の知らない一面を彼女は持っているのだろうか。
「……王が食事を振舞おうと言っておいでです。準備が整いましたら、迎えに上がります」
オルトーはそう言って部屋を後にしていった。
彼を見送ると、ミークは大きなため息をつき、シディーに視線を向けた。彼女は少し頷いただけで、右手の人差し指を顎の下に当てて何かを考えている。
「シディー……」
俺が話しかけると、彼女は右手を開いて、まるで俺にこれ以上話しかけてくるなと言わんばかりだ。
「お気持ちはわかります」
「いや、あのだな」
「リノス様。あなたは今、とても怒っていらっしゃいますね? そのお気持ちはよくわかります。ですが、怒りという感情は表に出さないでください。全ての判断を狂わせる原因となります。今は、冷静に、あくまで冷静に……氷のような意識で見るのです」
そこまで言うと、彼女ははあああと息をゆっくり吐いた。
「でも、嬉しいです。リノス様がお怒りになってくれて……。実は私も、ムカムカしていたのです。あのオルトーという人は、ふざけています」
「シディー……」
「でも、そのお陰で、この事件における犯人がわかりました。あとは……どうやってあぶりだそうかしら……」
彼女は少し視線を宙に泳がせたが、やがて俺の方向に向き直った。
「これからリノス様にも動いていただかなくてはなりません。頼りにしてます」
そう言って彼女はにっこりと笑った。その笑顔はとても、かわいいものだった。