第四百十五話 追及
「私はリノス様のことが大好きですし、これからもお側を離れるつもりはありません」
シディーは俺の目を見ながら、はっきりとそう言い切った。耳まで真っ赤にして、とてもかわいらしい。その言葉を信じることにして、取りあえずこの件については今後、触れないことにする。
「じゃあシディー。これからのことだけれども……」
「私に考えがあります。ちょっとお耳を」
彼女はそう言いながら俺に顔を近づけてきた。その様子をミークは、意地悪そうな表情で眺めていた。
◆ ◆ ◆
「あの……すみません」
ジャニス姫がおいでになる部屋の警備を命じられていたカクインは、不意に声をかけられたために、少し体を震わせた。だが彼は、その様子を悟られぬようにしながら、ゆっくりと声のする方向に視線を向けた。
そこには幼い少女が、扉から顔だけを出してこちらを見ていた。この女性は確か、ジャニス姫を連れてきた人族の妻だ。
『何か用でしょうか?』
彼は女性にメッセージを送ってみるが、彼女は全く反応せず、小首をかしげながら眺めているだけだ。彼は心の中で舌打ちをしながら、思考を巡らせる。
……まったく、何と言う面倒のかかる種族なのだ。
本来ならば、このような種族とは金輪際関わり合いになりたくはない。だが、相手は女性だ。女性は敬わねばならないというのは、エルフ族の掟にも近い仕来りだった。女性は子孫を産むことができる。男である自分がどう頑張ったところで、子供を産むことはできない。次の命を産むことのできる存在は、どの種族であれ、敬わねばならないのだ。
「何か?」
彼は知っている言葉の中で最も適当と思われる言葉を口にする。それを受けて女性は少し笑みを浮かべながら、さらに言葉を返してきた。
「恐れ入りますが、オルトー様にお取次ぎを願えませんか」
彼はその言葉に、ゆっくりと頷く。
……やはり、言葉というものは、不愉快だ。
そんなことを考えながら、カクインは城の廊下を歩く。言葉を発すれば、自ずと息が相手にかかる。そんなことは失礼以外の何物でもない。他の種族はそこに思いを馳せられないのか……。彼は怒りにも似た不愉快さを感じながらも、オルトーが控える部屋に向かう。
『報告します。人族の女性が、隊長に面会を求めています』
『そうか、わかった。少し待たせすぎた。すまないが、すぐに行くと伝えてくれ。ちなみにだが、あのお方は人族ではない。ドワーフだ。くれぐれも粗相のないようにな』
オルトーの言葉を受けて彼は、恭しく一礼した。
……エルフは、ああでなければならない。
再び廊下を歩きながら彼は、上司であるオルトーの振る舞いに感心していた。隊長としても、人族の男に関わりたくはないことは、よくわかる。だが、そんなことを一切出さずに、その警備を行っている。それはジャニス姫がおいでになるから……というのが本当のところだろうが、とはいえ、エルフたちがこぞって嫌がる人族の警備を、イヤな顔一つせずに引き受けている彼の振る舞いは、実に見事だった。自分もそうした隊長の下で働いているのだ。ここで、自身の不満を露わにするわけにはいかない。
だが、そう考えながらも彼は、あの人族の男をどうしても好きになれなかった。カクインはエルフ王の警備を担当する男であり、エルフの中でも戦闘力は高い方だ。彼は戦いに関してはそれなりの自信があった。だが、広間で見たあの男の剣さばきは、その彼をして驚愕せしめるものだった。彼らを捕えに行った者たちは、自分よりもはるかに戦闘力の高い者たちだった。それを見事にあしらったのだ。しかも、その男は全力を出して戦っていないことは、彼の目からもよくわかった。一体あの男は何者であるのか。エルフが他の種族に負けることなどあってはならないし、考えたくもない事柄だった。そんな葛藤を胸に秘めながら彼は、再びジャニス姫がいる部屋の前に戻ってきた。
トントン
部屋をノックして、扉を開ける。するとそこには、不思議な光景が繰り広げられていた。
「我らエルフに限って、同胞を殺すなどあり得ぬ」
「そうは言いましても……」
ジャニス姫が抑揚のない言葉を発している。その傍で、先程自分に話しかけてきたドワーフが困った表情を浮かべている。そしてさらに、人族の男が、顔を強張らせてその光景を眺めている。
「では、誰がレイラさんを殺したのでしょうか」
「誰かが忍び込んだのじゃろう」
「え?」
「それ以外考えられぬ」
ドワーフの女性はピクリと体を動かしたかと思うと、ゆっくりと首を後ろに廻した。そして、自分の姿に気が付くと、驚いたような表情を見せた。
「ああ、すみません、気が付かなくて。ジャニス姫様との話に夢中になっていました」
女性の言葉に、彼はゆっくりと頷く。
「すみません、ジャニス姫様のお話は、誠なのでしょうか?」
「?」
「あの……我々の他に、何者かがこの里に忍び込んで、レイラさんを殺したというのは」
「……」
「あ、本当はそうであってほしい。そう思いましたね?」
「!?」
「でも、犯人はおそらくエルフの誰かだろう。それは、認めたくはない……。そう思っていらっしゃいますか?」
「恐れ入りますが、もうそのくらいで」
戸惑うカクインの背後で、声がした。そこには、柔和な笑みを浮かべたオルトーが立っていた。
「彼はまだ、言葉を操るのに慣れておりません」
「いや、シディーが言ったことと、この者が思っておったことはほぼ、同じじゃぞよ」
ミークが楽しそうに口を開く。その様子を笑みを浮かべながらオルトーは見ていたが、やがてシディーに視線を戻す。
「御用と伺いましたが」
「お忙しいところ申し訳ございません。ジャニス姫様が……」
そう言ってシディーはチラリとミークを見る。彼女はスッと息を吸い込んだかと思うと、何かを確認するかのように、ゆっくりと口を開いた。
「レイラのこと、エルフの仕業ではあるまい?」
「それは今、調査中でございます」
「恐れ入ります。レイラさんはどうやって殺されたのでしょうか?」
シディーがすかさず口を挟む。オルトーは少し戸惑いながらも返答する。
「それは……」
「よい。妾とて、同胞が殺されたのじゃ。その悔しさと悲しさは同じじゃ。まさか、残忍な殺され方をしたのか?」
「いえ、そのようなことではございません」
「首を絞められ殺されたのでしょうか?」
「……いいえ。腹を突かれて死んでおりました」
「血……が流れたのか?」
「……左様です」
ミークが驚いた表情を見せている。オルトーは申し訳なさそうに頭を下げる。
「血は、我らが最も忌み嫌うもの。それが流れたとなると……エルフの仕業ではあるまい」
「なぜ、そう言い切れるのですか?」
「エルフは血を見るのを何よりも嫌う。従って」
「エルフの仕業ではない、と」
シディーの言葉に、ミークはコクリと頷く。
「なるほど。で、レイラさんは何で殺されたのでしょうか。腹を刺されたとありました。剣かナイフのような鋭利な刃物でしょうか?」
「それを我らも探していますが、全く見つかりません」
「どこかに落ちているか、誰かが持ち去ったか……」
「それを今、調査中です」
オルトーはそこまで言うと、スッと姿勢を正して、直立不動の姿勢を取る。
「従いまして、未だ賊の行方はつかめておりません。我らも全力で探査をつづけますので、ジャニス姫様におかれましては、今しばらく、こちらの部屋でお留まりいただきますよう、お願い申し上げます。我らは全力で警備に当たります」
そう言うと彼は、傍らに控えていたカクインに視線を送り、そのまま二人で部屋を出ていってしまった。
「……」
その様子をシディーはじっと見守っていたが、彼女の右手の人差し指はそのあごの下に当てられていた。シディーの推理が再び、始まろうとしていた……。