第四百十一話 天下一品
扉が開かれると、そこにはシンプルな部屋が現れた。机、椅子……。ちょっとした小ぎれいな部屋。生活するのに最低限のものが揃った部屋だ。そこは何とない居心地の良さを感じさせる。
その部屋の一番奥にエルフ王は座っていた。エ〇ニエル夫人のような、何かで編んだような椅子にゆったりと腰かけ、俺たちを眺めていた。
扉が閉まると同時に、王が立ち上がってこちらに向かって来る。そして、ゆっくりと俺たちに向けて口を開く。
「よくぞ、来た」
「はい……」
彼はフッと笑みを漏らすと、スッと手を挙げて俺たちを案内する。通された部屋は、会議室のようなつくりになっていて、木で作られた長い机と椅子が備えられていた。
「娘を、助けて、くれた。感謝する」
顔の表情は変わらないが、彼の感謝の思いは何となく伝わる。そして彼は、ミークに視線を向け、優しい表情を浮かべる。どうやら、親子水入らずの会話がなされているらしい。
「うっ……うっ……ううううう」
突然ミークが泣き出した。
「よかったな、ミーク。父上に会えてな」
「何を言うのじゃ! 聞いておらんかったのか!」
ミークが目を真っ赤に泣きはらして俺を睨みつけてくる。あまりの予想外の展開に、俺は絶句してしまう。
「父上は、この城から出ろと言っておいでじゃ。もう戻ってきてはならぬと」
「ええっ? あの……それは、もしかして後継者争いのことで?」
俺の言葉に、王は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに元の表情に戻り、コクリと小さく頷く。
「許せ……。ここに呼んではならぬ。だが……。二度までも我の手から奪われたそなた……。不憫なことをした。どうしても、どうしても、会いたかった……」
そう言って王は涙をこぼした。
エルフ王との話は、かなり時間をかけたものとなった。彼は言葉を必死で操りながら、俺たちにこれまでの顛末を説明してくれた。
サンディーユが言っていた通り、エルフ王にはもう一人の娘がいる。現在はその娘が次期王となることにほぼ、決まっているのだそうだ。王自身も、姫がヘイズに攫われ、その行方が全くわからなかったことで、後継者を次女に定めたのだそうだ。だが、俺がヘイズを倒し、ミーク姫の生存が明らかになると、生母を始めとする彼女の関係者たちは、姫が生きているのだから、彼女を後継者に据えるべきだと言って譲らなかった。このエルフの里はミーク派と次女派に分かれ、双方が激しく争うようになっているのだそうだ。
「そなたには礼を言う。娘を連れて、戻られよ」
「エルフ王様」
突然シディーが口を開く。彼女はスッと俺たちの前に進み出て、エルフ王と対峙する。
「今のこの状況を、解決したいと思っていますね? それに……この山に来たことを、後悔していますね?」
「……」
「これは私の直感ですが……。エルフ族がこの山に来たことは、間違いであったと思います。それに、ここに居たのでは、問題は解決しないと思います」
「なぜ、そう言い切れる」
「そっ……それは……」
さすがのシディーも、明確には答えられないようだ。そんな彼女を王は無表情で眺めているが、気配が変わっている。怒りとも焦りともつかない、何とも言えない雰囲気を纏っている。
「エルフ王様、妻は洞察力に優れております。そのために、直感で話をすることがよくあるのです。お気に障られたのでしたら、お詫びします」
俺の言葉に、彼はゆっくりと息を吐いた。
「父上は妾に、もう二度とこの里には戻ってくるなと言っておいでじゃ。妾がここに居ては諍いが収まらぬ。それゆえに、妾には二度と里には近づかぬように言われておる」
「でも、ミーク、お前はどうするんだ? まさか一人で生きて行けと?」
「狐神に頼むと仰せじゃ」
「おひいさま?」
「妾の世話をする者も付けるそうじゃ。その礼に、ロスサの水を以前の通り授けると言っておいでじゃ」
そこまで言うと彼女は、エルフ王に向き直る。彼女は再び目から涙をこぼしながら、小さく頷いている。それを見て、エルフ王も目を潤ませている。どうやら父娘が今生の別れをしているらしい。
「さ、娘を連れて、里を出られよ」
……エルフ王の表情が、雰囲気が、一刻も早くここから去れと言っている。
「……解決しない」
俺が帰ろうと促そうとすると、シディーが小さな声で呟いている。彼女はガバッと顔を上げて、毅然とした態度で口を開き出した。
「それでは、解決しないと思います」
「シディー……」
「私たちやミーク姫がここを去っても、問題は解決しないです。根拠はありません、私の直感です。ですが、私の直感が、ここで解決をしろと言ってきています。エルフ王様も、夫……。リノス様であれば、今、エルフ族が抱えている問題を解決してくれるのではないかと思ったのではありませんか? だからこそ、ご自身の寝所に呼ばれたのではありませんか?」
エルフ王の目が少し見開かれた。どうやら図星を突いたようだ。
「ここに来るまでに、私は違和感を覚えていました。それがなぜそう感じるのかがわかりませんでしたが、これも全て、エルフ王様、あなたが私たちをお導きになったのではありませんか?」
「どういうことだ、シディー?」
「ここに来るまでの道中、私たちには全くと言っていいほど問題は起こりませんでした。……そうです。襲撃の類は微塵もありませんでした。おかしいと思いませんか? 大事な姫を二度までも奪われ、他の種族が入り込むのを極端に嫌っていたエルフが、ミーク姫を連れているとはいえ、何の確認もしに来ないというのは不自然です」
「そ……そうか?」
「だって、本物のミーク姫かどうかわからないではありませんか。もっと早くに確認しに来るのが自然だと思います。それを易々とフィルコン山脈の麓まで私たちを通し、エルフの里に迎え入れた……。これまでのお話を聞けば、私たちをここまで来させることについて、かなりの反対があったのではありませんか? エルフ王様はその反対意見を押し切って、私たちを呼ばれたことで、かなりの危険を冒されているのではないですか?」
シディーの視線の先にいるエルフ王は、全く表情を変えようとはしない。だが、雰囲気が先ほどまでとは明らかに違っている。
「これも、私の推測で恐れ入りますが、エルフ王様。我が夫、リノスをご覧になって、直感的に、この問題を解決できるとお感じになったのではありませんか? その一方で、夫のスキルに気付かれたのではありませんか? 高いスキルを持つ夫を危険に巻き込まず、このまま無事に帰らせることにした……そうではありませんか?」
「……恐ろしい者じゃ」
エルフ王の顔が歪んでいる。怖い……。何だこの怖さは……。纏っている雰囲気が怖すぎる……。
王はゆっくりと俺に視線を向けてくる。背中に、冷たいものが流れ落ちる。
「そなたの妻は、何故、ここまで、我の心を知りおるぞ」
「つ……妻の頭脳は実に明晰でありまして……。困りことなどを察することに、長けております」
「父上、妾も父上の力になりたいぞよ」
ミークが小さな声で呟いている。俺たちに聞こえるように言っているところをみると、俺たちにも手伝わせたいらしい。
エルフ王は大きく息を吐き、何か物思いにふけるような表情を浮かべた。
「あの……一つお尋ねしてよろしいでしょうか?」
俺の言葉に、エルフ王がコクリと頷く。
「夜伽をせよと言っておいででしたが、あれは、どういう意味で……」
「……人族の世界では、王の寝所に呼ぶことを、夜伽と言うのでは、ないのか」
……誰だよ、教えたのは。半分合ってて半分間違っているよ。どうやら、これまでの話の流れからすると、そっちの意味ではなさそうだ。むしろ、プライベートな空間に呼ぶことで、人払いの役割を持たせていたらしい。ミーク曰く、王の寝所に入ることが許されるのは、エルフの中でも数えるほどしかいないのだそうだ。そこに呼ばれた俺たちは、王から信頼に値すると思われていると考えてよいらしい。
俺はゆっくりと息を吐いて、心を落ち着ける。
そのとき、部屋の扉が突然開いた。驚いて視線を向けると、そこには肩を激しく上下させながら、ものすごい形相で立ち尽くしているエルフの姿があった。その姿を見た王は、一瞬驚いたような表情を見せたが、やがて厳しい表情を浮かべて、スッと立ち上がった。
「……一大事じゃ、レイラが殺されたそうじゃ」
……は? 何だって!?