第三百九十一話 ようこそ、見苦しきあばら家へ
次の日の朝、俺は政務を休んで裏庭にあるおひいさまの屋敷に通じる祠の前に立っていた。
この日は朝から本当にバタバタだった。まず、俺とおひいさまが全力でぶつかり合う可能性があったために、最悪の状況を考えて俺は家族を避難させた。まず、アガルタの迎賓館にはリコとイデアを避難させ、医療研究所には、メイと共にエリルとアリリアを避難させた。そしてシディーはピアトリスを連れてニザ公国に里帰りさせた。フェリスとルアラはいつもの如くアガルタに出勤したし、フェアリはイデアのお守のためにリコと共に転移させた。この屋敷に残っているのは、ジェネハたちハーピーとイリモだけだ。
俺はゴンと共に、ちょっと緊張しながら、おひいさまの到着を待っている。ゴンから聞いた話では、大体11時頃にこちらに来る予定とのことだったが、すでに11時も30分になろうとしているが、未だにおひいさまの姿が見えない。少々不安が募ってきている。
「あっ、お見えになられるでありますー」
ゴンの声で我に返る。祠をじっと見つめていると、その前に桃色の光が現れた。漂ってくる妖気が半端ではない。
「……大儀じゃ」
目の前に現れたのは、何ともかわいらしい女の子だった。しかも、振袖? のような衣装を纏っている。一体誰だ、この子は!?
「これはこれは見苦しきあばら家へ……ようこそお越しくだされました。……おひいさま」
「はあ!? おひいさま!?」
どう見ても小学生くらいにしか見えない少女だ。確かにかわいい。萌えの本道をいっている。だが、いつも見る彼女の刺々しいまでの雰囲気は微塵も感じない。て、ゆうか、何で人化しているんだ?
「あの……本当に、おひいさまで?」
「左様じゃ」
「本当に本当に?」
「しつこいの! 本当じゃと申しておろうに!」
「あの……なぜ、人化しているので?」
俺が質問した瞬間、彼女の周囲に狐火がぐるりと現れる。それに恐れをなしたのか、ゴンはひたすら平伏している。
「……元の姿では、差しさわりがあるのじゃ」
「ま……まあ、まずは怒りを鎮められて……どうぞ、屋敷の中へ……」
◆ ◆ ◆
「……」
ダイニングのテーブルに腰を掛けたおひいさまが、じっと俺たちを睨んでいる。睨んではいるが、姿が萌え系の少女姿であるために、むしろ可愛さを感じる。これは是非、萌え道を極めようとしている猛者たちに見てもらいたいものだ。きっと彼らも、「お、ポイントしっかり押さえてるじゃん」と言ってくれるはずだ。だが、周囲の狐火は全く消えることがない。どうやら未だに怒っているらしい。
「あの……せっかくお越しいただきながら、気の利いたこともできませんが、よろしければスイーツなど召し上がりませんか?」
そう言って俺は、昨日の晩に準備したおはぎやケーキなどが乗った大皿を二枚、彼女の目の前に差し出す。
「……大儀じゃ」
彼女は一切表情を変えずに、手を伸ばし、次から次へとスイーツを口元に運んでいく。結局彼女は、おはぎを20個、ケーキを2ホールを淡々と平らげた。そしてようやく、周囲に漂っていた狐火が消えた。
「……落ち着かれましたか?」
「満足じゃ。特に……色がたくさん付いていたものが、美味じゃった。今後は、あれもお供えをしてたも」
「承知しました」
おひいさまが気に入ったのは、色んなフルーツを載せたケーキだ。色がたくさんという表現は、言い得て妙だ。そんなことを思いながら、俺は姿勢を正して改めて話しかける。
「ところで、今日はどうされましたか……。それに、そのお姿は……」
俺の問いかけに、おひいさまはフウとため息をついた。
「他でもない。あの、エルフの姫のことなのじゃ」
「ああ、ミークといいましたか。おひいさまにお預けしたあの少女のことですね」
「うむ。あの娘じゃがな。妾はエルフ王の許に返そうと思っておるのじゃ」
「ああ、それはいいことだと思います。あの子も、両親に会いたいでしょう」
「妾もそう思っておった。じゃがの……。そうもいかんのじゃ」
「と、言われますと?」
「妾の口から説明するのは、何とも憚られるのじゃ。……この屋敷には、奥方らは?」
「ええ。皆出かけておりまして、ここに居るのは、俺とゴンだけです」
「左様か。ならば、実際に見てもらうのが一番じゃな」
そう言っておひいさまは、ポンポンと手を叩いた。すると、音もなく勝手口の扉が開き、おひいさま付きの女官である千枝と左枝が、一人の少女を抱えるようにして入ってきた。
「何じゃあ! 離せ! 離すのじゃあ!」
まるで獣のように首を振っているのは、ミークだった。顔が歪み切っている。そんな彼女を二人の女官は、まるで放り投げるようにして床に寝かせた。
「何をするのじゃ! ……うん? 男? 男ではないか! 男じゃあ!」
俺の姿を認めた彼女は、いきなり服を脱ごうとした。それを千枝と左枝が、まるで羽交い絞めをするようにして止めている。その様子は凄まじいの一言に尽きた。
「一体、何事です!?」
驚く俺に、おひいさまは大きなため息をついた。
「妾の許に来てからというもの、万事がこの調子なのじゃ」
「え?」
「常に男を求めての。幸い、妾の屋敷には女しかおらぬ。じゃが、それでもこの娘は朝から晩まで男を求め続けて、挙句にはサンディーユにまで手を出そうとしたのじゃ」
「はあ? あのおじいさんを? それはいくら何でも……」
「じゃが、ヤツもまんざらでもない顔をしておるのじゃ。全く……」
そう言うと、おひいさまの周りに再び狐火が現れ始める。
「妾も八方手を尽くしてみたが、この娘の欲情を抑えることはできぬのじゃ。それ故、そなたにこの者を何とか出来ぬものかと相談に来た次第じゃ」
「……」
あまりのことに俺は絶句してしまう。おひいさまの力をもってしても、この少女を抑えることができないとは……。俺は戸惑いを隠せない。
「男ぉ……男ぉ……。早くそなたの逸物で、妾を突いてくれぃ。突いて突いて突きまくって欲しいのじゃ。体が疼くのじゃ。乱暴に、激しく、妾の体が壊れるくらいに突いて欲しいのじゃあ! 早く、早くぅ」
「不埒なっ! 妾はそうした淫乱な女子が一番嫌いじゃわぇ! 目ざわり、耳障りじゃ! 静まれ! 静まれと申すに!」
おひいさまの狐火が大きくなっている。俺は黙って立ち上がり、女官たちに押さえつけられながらもなお、暴れ続けているミークの頭にそっと手を載せる。
「男ぉ……おと……こぉ……」
彼女の目がトロンとなり、やがて、今までの様子が嘘であったかのように大人しくなった。
「精神魔法で、彼女を眠らせました。千枝さん、左枝さん、大丈夫ですか?」
「ほおおお。助かりましたわぇ。毎日この調子である故、我らも生傷が絶えぬのじゃ。リノス殿、感謝しますぞえ」
二人は俺に恭しく頭を下げる。俺は再びおひいさまの前に座り、ゆっくりと口を開く。
「まさかこんなことになっているとは思いませんでした。ただ……。今の様子を見る限りでは、この娘については、精神魔法で常に快楽を与え続けるしか手はないかもしれませんね」
「いや、そうもいかぬのじゃ」
「どういうことです?」
「この娘の父親であるエルフ王が、娘を返せと言って来ておるのじゃ。じゃが、この状態で返せば、エルフ王の怒りに触れることは目に見えておる。そうなれば、我ら狐族は未来永劫、エルフ族との交わりは断たれることになる。妾としては、何としてもそれは避けたい。これは我らだけではない、人族にも関わることじゃ」
「人族にも……ですか?」
「うむ。『ロスサの水』のことは知っておろう?」
「確か、サンディーユさんから教えていただきました」
「うむ。それがあれば、多くの人の命を救うことができる。何せそれは、振り撒けばかなりの殺菌効果があるからの。人族、とりわけ、幼い子供の命は今より格段に救うことができる」
「……なるほど」
「今回がエルフと再び交わることのできる最後の機会じゃ。失敗は許されぬ。そんな中で、姫がこの有様では……。察してくれい」
俺は大きなため息をつく。そんな俺を見つめながら、おひいさまは口を開いた。
「すまぬがそなた、あの姫を、何とか元の通りに戻してくれぬか。頼む」
そう言っておひいさまは頭を下げた。どうやらまた、俺の許に、厄介ごとが降りかかってきたようだ……。