第三百九十二話 早くも万策尽く……?
「……」
俺の目の前で天を仰いでいるのは、リコだった。子供たちが寝静まった夜、俺はリコ、メイ、シディーの三人の妻とゴンをダイニングに集めた。そして、妻たちにおひいさまからの要請と、エルフの姫であるミークの状況について説明したのだ。
妻たちは絶句していた。そんなことが現実に起こりうるのか……くらいのレベルで驚いている。
「グレフレアの薬を……使いますか?」
不意にシディーが口を開く。その声に、天を仰いでいたリコがゆっくりと視線を彼女に向ける。だが、その隣でメイがゆっくりと首を振っている。
「いえ、私は……反対です。回復するまでに時間がかかります。それに、エルフへの投与は例がありませんから、どんな副作用があるのかがわかりません」
「メイちゃん、私の直感だけれど、副作用はないと思うわよ」
「……シディーちゃんがそう言うのなら、副作用はないかもしれませんね。ただ、薬師としては、いきなり人体実験のようなことになりますので、賛成はできません」
落ち着いた、凛としたメイの声が響き渡る。この様子に、さすがのシディーも無言のままだ。
「メイ……」
「はい、リコ様」
「そのグレフレアの薬というのは、どういうものですか?」
「わかりやすく言えば、思考能力を低下させる効果のある薬です。今のご主人様のお話では、ミークさんは快楽におぼれている状態であると考えられます。そこで、思考能力を低下させる薬を投与しつつ、眠るための薬を投与しながら心を落ち着けていくというものです」
「眠るための薬……」
そう呟きながらリコは俺に視線を向ける。
「ミークさんの様子は、そんなにひどいものだったのですか?」
「ああ。もはや獣のようだった。男と見れば誰でも襲いかかるように見えた。実際、おひいさまの屋敷では、そこで仕えているサンディーユという老狐にまでも迫ったそうだ」
「そうですの……」
「あくまで俺の考えだが、ミークは男と交わることに快楽を感じている。これを元に戻すのは至難の業だが、男と交わること以外で快楽を感じるものがあれば、もしかしたら……という可能性はあると思うんだ。快楽というのは語弊があるな。そう、今のミークにとっては、男と交わることが一番楽しいことになっているんだろう。それ以外で、彼女が楽しいと感じられるものがあればいいんだが……」
「そうですわね。彼女の中で、そうした変化があればいいのですわね」
リコはそう言って、再び目を閉じる。そして、しばらくの間沈黙が流れ、やがて、再び目を開いた彼女は、ゆっくりと息を吐き出しながら、小さな声で呟いた。
「おひいさまの申し出ですから、お断りするのは難しいですわね。ただ、お受けするとしても、場所の問題がありますわ。この屋敷では子供たちもいますから……。アガルタの迎賓館の一室にお迎えするのがいいでしょうか。あの、メインティア王がお使いになっていた部屋など、いいと思いますわ。そこにミークさんをお迎えして、私たちで手を尽くしてみましょう。リノス……」
「何だい?」
「あなたは、この問題にかかわらないでくださいませ」
「何故だ、リコ?」
「あなたが顔を出せば、おそらくミークさんはあなたに迫ることでしょう。ですから……控えて欲しいのですわ」
「俺の結界があるだろう。姿を隠すこともできるが……。いや、単に心配なだけだ。もしミークが暴れて、リコやメイやシディーを傷つけでもしたらと思うと、俺は心配でならないんだ」
「あれ? リノス様の結界は、私たちにも張られているのではないのですか?」
「へ? あ……うん、そうだったな。そうでした。忘れていました」
俺はシディーに向かってペコリと頭を下げる。
「ただ……よく考えてみると、リノスもおひいさまに色々と説明しなければならないことがありますわよね? それならば、姿と気配を消して傍にいてもらうのが、いいかもしれませんわね」
リコのその声に、妻たちが頷く。その後、まずはミークの様子を見ながら、全員で相談して今後の対策を検討していくことになった。
「では、最初は私が見させてください」
堂々とシディーが口を開く。リコとメイは顔を見合わせていたが、やがて、彼女に一任してみようということになり、ミークをおひいさまの許から引き取る日程も決められた。諸々の準備も必要であるために、ミークを引き取るのは三日後と決め、その日の会議は終了した。
明日はソレイユとマトカルが屋敷に帰ってくる日だ。そんな時期にミークを引き取ることになるとは、何ともタイミングが悪いな……そんなことを思いながら、俺は風呂場に向かう。
ゆっくりと風呂に浸かっていると、シディーが入ってきた。彼女の恥ずかしがり屋は、結婚当初から変わらないままだ。さすがに、ピアトリスと一緒に入るときは、そうも言っていられず、時として、いたずら盛りの彼女に振り回されるようになりながら、世話をすることもある。だが、俺と二人っきりのときは、自分の体を見られることを極端に嫌がるのだ。
「なあ、シディー」
「ふえ?」
特製のシャンプーで頭を洗っている彼女の背後から声をかけてしまったので、ちょっと間抜けな返事になっている。そんな彼女を可愛いと思いながら、俺は頭が洗い終わるのを待つ。
「何でしょうか?」
「その……ミークのこと、大丈夫か?」
「う~ん」
彼女は人差し指を顎の下に当て、いつもの推理するスタイルで天を仰ぐ。
「一応、心当りはあるのですが……。ただ、絶対の自信はないです。やってみて、その結果を見ながら対策を考えていくつもりです」
「シディーの頭脳をもってしても、然とした対策は導き出せないんだな。ということは、あのミークはかなり厄介だな……」
「ただでも、そのミークさんが回復するという点については、根拠はありませんが、自信があるのです」
「何?」
「きっと、リノス様をはじめ、リコ様、メイ様、そして……私が一緒になって問題に当たれば、きっと解決すると思います。だから、大丈夫です」
そう言ってシディーは力強く頷く。
「ところでシディー」
「はい?」
「その……寒くないか? それに……俺のところからじゃ、シディーの裸が丸見えなんだが」
「えっ!? うわっ!」
突然彼女は両手で胸を押さえて、しゃがみ込んでしまった。そして、そのままの姿勢で、まるで這うようにして、湯舟までやって来た。
「はっ……はずかしい……」
「シディーは恥ずかしがり屋さんだな。でも、久しぶりに明るいところでシディーの裸が見られたから、俺にとっては嬉しいひと時だった」
ちょっと意地悪を言う俺に、シディーは首までスッポリと浸かりながら、俺を睨んでいる。
「怒ったシディーの顔もまた、かわいいな。子供を一人生んでいるとは思えない程の、初々しさだ」
そう言って俺は、彼女を抱きしめた。
「さあ、そろそろ上がろうか。今夜は、長い夜になるかもしれないな」
シディーの顔が、みるみる真っ赤になっていった。
◆ ◆ ◆
それから二週間後、俺たちは再びダイニングに集まっていた。リコ、メイ、シディーの三人は無表情で椅子に座り、その様子を、赤ん坊を抱えたソレイユとマトカルが心配そうな表情で眺めている。
結局、この二週間で、リコ、メイ、シディーはそれぞれ2回ずつミークに対して面談を行ったが、その全てが空振りに終わっていた。ミークは男を求めて暴れまわり、ゴンや俺に押さえつけられるということを繰り返していた。そのために、彼女らの話を聞こうとすらしなかったのだ。
俺としても精神魔法を操り、何とか回復を試みてはみたものの、まったく効果がなかったのだ。ソレイユにも色々と相談してみたが、さすがの彼女も、ここまでになると最早、廃人になるしかないと結論付けたのだ。サイリュースの中には、男を誘惑する中で、相手を故意に狂わせる場面も多々あり、そんな光景を彼女もよく見てきた。そんな彼女がそう結論付けたのだ。早くも万策尽くの状況であるかのような雰囲気に、俺の心の中は沈んでいた。
そんな中、ただ一人だけ、この状況を冷静に分析する者がいた。
「もしかするとだな……」
声を発したのは、マトカルだった。そこに居た全員の視線が、彼女に注がれた……。




