第三百七十八話 お見舞い
アガルタの王都の北に位置するルノアの森。その深い森の中に、三人の親子連れが佇んでいる。この森は多くの魔物が生息しているために、余程腕に自信のある冒険者でなければ帰還することは難しい。そんな場所に親子連れがいることは、とても珍しい光景だ。
「さあ、着いたぞ」
「……」
笑顔で話しかけているのは、アガルタ王のリノスだった。彼は、自分の足にまとわりつくようにして抱きついている娘のアリリアを愛おしそうに眺めている。だが、アリリアは不安そうな表情を崩さず、じっと森の奥を見つめている。そんな彼女の様子を、優しい眼差しで眺めているのは、母親であるメイだった。メイはアリリアとリノスに交互に視線を向けながら、森の奥深くをじっと見据える。
「……来た」
リノスが誰に言うともなく呟くと、森の木々がまるで何かの生き物であるかのような動きを見せたかと思うと、その間から村の入り口が現れた。
「さ、行こう」
「本当にマミーはこんなところにいるの?」
アリリアにしてみれば、あの華やかなソレイユが、こんな草深い森の奥にいるとは想像だにできなかったのだ。
マミーこと、ソレイユがサイリュースの里に帰って約二ヶ月。毎晩のように彼女の子守歌を聞いていたアリリアの寂しさは、早くも限界を迎えていた。ある夜、眠りながらソレイユの名を呼び、号泣するアリリアを見たリノスは、すぐさまサイリュースの里に行くことを決めた。そして、族長であり、ソレイユの母親でもあるヴィヴァルに手紙を出し、一度、妻を見舞いたいと伝えた。返信はすぐにあり、サイリュースは一族を挙げて歓迎する旨の内容が記されていたのだった。
アリリアの母親であるメイは、リノスのその行動を甘いと思いながらも、娘のために即座に動いてくれたことを嬉しく感じていた。それに、身籠ると精霊の加護が受けられず、抵抗力が極端に落ちると言っていた、ソレイユの体調も心配だった。サイリュースには腕のいい薬師がいるが、それでも、メイとしてはソレイユの体調が心配だった。リノスのアリリアと二人でソレイユの許に見舞いに行くというその話に、メイは自分も一緒に行くと言ってここまで来たのだ。そこには、抵抗力の弱っているソレイユに、この二人が行くことで何かの病気に感染することを危惧したこともその理由の一つだった。メイは忙しいスケジュールをやりくりして一日の休みを取り、二人に同行することに決めたのだった。
慣れた様子で、懐かしそうな表情を浮かべながらリノスは、アリリアの手を引いて村に入っていく。そのとき、空から何かが降ってきた。驚いたアリリアはすぐに父の後ろに隠れる。
「お待ちしておりました」
美しい三人のサイリュースが、笑顔で話しかけてきた。リノスは突然押しかけてきた非礼を詫び、迎えに来てくれたことに丁寧に礼を言う。そして、サイリュースたちの案内で、彼らは村の中に入った。
「お久しぶりでございます」
族長のヴィヴァルは、自身が住むテントのような建物の中で三人を笑顔で出迎えた。いつもと変わらぬ美貌で、メイは思わずリノスに視線を向ける。だが、彼はいつもと変わらぬ表情で、淡々とヴィヴァルと話をしている。
「ソレイユの様子はいかがですか?」
「ええ。至って元気です。どうぞ、顔を見てやってください」
そう言うと彼女は立ち上がり、リノスたちを外に案内し、目の前に生えている巨木に視線を向けた。そして、何か歌のようなリズムを口ずさむと、その巨木がみるみる人の形に変化していく。
「マミー!」
アリリアが両手を挙げて走り出す。巨木はソレイユの形に変化していた。彼女は優しい微笑みを湛えながら、アリリアを受け止める。
「マミー! マミー! 会いたかった……」
ソレイユの胸に顔をうずめながら、アリリアは涙を流している。その頭を、ソレイユはやさしく撫でた。
「調子はどうですか?」
「ありがとうございます、メイ様。おかげさまで、とても順調です」
そう言って彼女はやさしくお腹を撫でた。よく見るとお腹がポッコリと膨らんでいる。そこにメイが手を添える。そして、リノスもゆっくりとソレイユのお腹に手を添えた。
「元気な子を産んでくれよな、ソレイユ。そして、早く屋敷に戻って来てくれな。アリリアが寂しがっているんだ」
「はい。頑張ります。アリリア、寂しくなったら、いつでもマミーのところに来てもいいのよ。お屋敷からこの村の入り口まで転移結界が張ってあるから、それに乗って来るといいのよ」
「うん。でも……」
アリリアは一瞬、嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに寂しそうな表情に変わる。
「マミーは病気になりやすいから、行っちゃダメだって……」
そう言いながらアリリアはメイの顔を見る。メイは少し厳しい表情を浮かべながら、小さく首を振る。
「メイ様、よければ、週に一度でいいですから、アリリアを村にお連れ下さい」
「でも……」
「ここは母が契約している森の精霊がおります。神龍様ほどではありませんが、森の精霊の中でも最高ランクの精霊が守って下さっています。ですから……」
「お母さん。ちゃんと手を洗います。歯磨きもします。だから、マミーのところに行かせてください」
そう言ってアリリアはペコリと頭を下げる。その姿に、リノスの胸は震えた。何と可愛い姿なのだろう……。ある種の感動を覚えながら、彼は隣にいるメイの顔を見た。その視線に気づいた彼女はスッとしゃがみ込み、アリリアの肩をやさしく抱いた。
「じゃあ、一週間に一度だけ、ここにお邪魔させてもらおうね。マミーを病気にしてはいけないから、必ずお母さんの言いつけは守ること。いいかな?」
その言葉に、アリリアは真剣な表情を浮かべて、コクリと頷いた。それを見たメイは、ソレイユに視線を向けて小さく一礼をし、そして、傍に控えているヴィヴァルにも、一礼をした。
「我らサイリュースは、いつでも皆さまを歓迎いたします。ただ、アリリアちゃんはまだ小さいですから、少し心配ですね。誰か、迎えをやった方がいいですね」
「いえ、そこまでしていただかなくても……」
「族長様、その役目、あたしにお任せ下さい!」
突然、女性の声が聞こえる。驚いて声のする方向を見ると、そこには、目の大きい美少女が腕組みをして立っていた。
「リノス様、メイ様、お久しぶりです!」
突然、名前を呼ばれたために、リノスもメイも驚いた表情を浮かべる。そんな彼らに少女は、満面の笑みで話しかける。
「へ~え~。こんなにかわいい女の子がいたんだね! メイ様そっくりで、賢そうだ。この子は私がお迎えに行くよ。安心しな。せっかく久しぶりに会ったんだ。これまでのことを聞かせておくれよ!」
「あの……ごめん、誰?」
「え? 私だよ私。覚えていないの? ……メイ様?」
「ええと……ごめんなさい。どなたでしたっけ?」
「そんな……ひどい」
少女の目に、みるみる涙が溜まってくる。その様子を眺めながらヴィヴァルは、クスクスと笑っている。
「二人がわからないのは無理もありませんわ。その者はイリサルです」
「イリサルぅ!?」
リノスとメイが顔を見合わせて驚く。そして、二人はイリサルと呼ばれた少女の顔をまじまじと眺める。
「お前……。ひきこもりのイリサルか?」
「失礼だね! ひきこもっていたんじゃないよ! ただ、部屋の中で悩んでいただけだよ!」
「はあ……。確かにあれから何年も経っているからな……まさか、こんなに美しくなるとは思わなかったな」
「お世辞が上手になったね、リノス様」
「いいや、お世辞じゃない。本当に名前を言わないとわからなかったよ」
「そうですね、私もわかりませんでした。本当に美しくなりましたね……。懐かしいです」
そんなこと言いながら、リノスもメイも、イリサルたちも笑い合う。だがその頃、帝都のリノスの屋敷では、とんでもないことが起きようとしていた。
「……」
帝都の屋敷の外れに備えられた転移結界が張られている部屋。そこに、一人の少女が立ち尽くしていた。彼女はキョロキョロと周囲を伺っていたが、やがて意を決した表情を浮かべて、目の前の転移結界に視線を向けた。
その少女は、リノス家の長女である、エリルだった……。




