第三百七十七話 お古いお話、再び
「ううう……あの……その……」
「何を勿体ぶっているんだい? ほら、以前話していたように、聞いた話でも構わないよ。ね、兄上?」
メインティア王が目をキラキラさせながら、そんなことを宣う。その隣で、ポセイドン王も鷹揚に頷いている。完全に逃げ道をふさがれてしまった。ここはもう、何かを話すしかない。俺はバカ殿をぶん殴りたい衝動を抑えながら、必死で記憶を辿る。
「では……昔、昔の話ですが……」
うろ覚えだが、確か学校の授業で習った……。そう、国語の井本先生だったか、森尾先生だったか……。いや、まてよ、大学の授業でやったのか……。そんなことを思いつつ、記憶を辿りながら、ゆっくりと話を始める。
「昔、とある色男がおりました」
「ほう、まるで、私や兄上みたいだな。その色男が恋に破れるのかい? それは楽しみだ」
「いえ、その男の話ではなく、その男に仕えていた侍女の話です」
「ほう、女性の失恋話かい? それは興味深いね」
「その侍女にある日、ラブレターが届きました」
「ほうほう、それで?」
「ですが、女性はまだ若く、恋愛をしたことがありませんでした」
「ほう、いいね。それでそれで?」
「やはり、エチケットとして、ラブレターをもらった以上、返事を返さなければいけません。ですが、何しろ初めてのことであったために、女性はなかなか返事を返すことができませんでした」
「うむ、その通りだ。興味のない男なら興味がないと言えばいいし、興味があれば舞踏会などで会うなどすればいい。まったく……周囲の者は何をしていたのだ?」
「当然、その女性の同僚のお姉さまたちは、早くお返事をしないといけないのよと言って諭したのですが、彼女は戸惑ってしまって、なかなか返事ができなかったのです。何しろ、会うにせよ、断るにせよ、きちんとした返信をしなければ、彼女自身が軽薄な女性と見られてしまいます。それが原因で、変な噂が立てば、今後の彼女の人生にも差しさわりが出てきますので、慎重になるのは仕方のないことだったのです」
「なるほど! それは一理ある。うむむ。そこまで考えているその女性は、きっと頭のいい方に違いない。是非一度、会って語ってみたいものだ」
「いや、メインティア王。あくまで物語の話ですから。別に特定の人がいるわけではありません」
「何を言うのだ! その割には、ずいぶんと現実的じゃないか! ……なるほど、奥方にバレたくはないのだな? うん、わかる。私も大上王にバレたときの鬱陶しさは身に染みている。アガルタ王の気持ちはわかる。わかるぞ」
「いや、違いますって。あくまで物語の……」
「つまらん話はいい。続きを」
ドスの効いた声が、俺の腹に響き渡る。見るとポセイドン王が真面目な顔をして俺を睨んでいる。その迫力に俺の体が震える。怖ぇ……。
「……オホン、それでは続きをお話します。……ええと、その侍女の返信があまりにも遅いために、主人である色男が、代筆したのです」
「ほう、なるほど、そうきたか。で、どんな内容を返したのだ?」
「内容までは習った記憶がない……のではなくて、ちょっと覚えていないのですが、確か、色男が返事のお手本を書いてやって、それを元に、返事を書いたのだと記憶しています。それを見た男は、何て素晴らしい返事なのだと言って、喜んだと……記憶しています」
「ほう、その内容が気になるね。何と言って返したのだい? もったいぶらずに教えておくれよ」
「ええと、確か、送られてきたラブレターが、『あなたが好きで好きで、涙が流れて川のようになって服を濡らしています。あなたに会う手立てのないのが辛い』というような内容だったので、それを受けて、『服が濡れるとありましたが、私への思いはその程度なのでしょうか? 思いが深くて涙が溢れて溢れて、自分の体まで流されてしまいそうと言ってくれれば、あなたに興味を持ちますのに』と書いて送ったと記憶しています」
「ほう、なかなかいい返事じゃないか。しかし、なぜ、そんなに回りくどいことをするのだ!? 男と女なのだ、好きか嫌いかしかないだろう! 好きならばベッドに引きずり込む、嫌いならば、好きになるまで口説き、受け入れられなければ、ベッドに引きずり込んで、自分を好きになるまで愛し抜く……それしかないだろうに!」
……どっちにしてもベッドに引きずり込むんかい。どこまで野獣なんだ、このバカ殿は?
メインティア王は、よくわからないと言った表情で首を振っている。ふと、ポセイドン王を見ると、先程の表情のまま、俺に視線を向け続けている。彼は俺と目が合うと、ゆっくりと頷いた。話を聞く気があるようだ。
「こんな回りくどい返事を出すのには、理由がありまして、女性はなかなか家の外に出ることができませんでした。今のように、自由に会うことができれば、見て、話して、相手の力量を図ったうえでお付き合いをするかどうかを決めることができますが、なかなか外に出られず、ましてや、男性と会うことが極端に制限されていては、なかなか相手を知ることはできません。そのために、こんな感じの手紙を送ってやり取りをしつつ、相手の力量を図っているのです」
「アガルタ王!」
突然、メインティア王が真面目な顔をして、俺を睨む。俺は驚きながら、彼に視線を向ける。
「その侍女というのは、まさか、王の後宮に仕える女官ではないのか? いや、隠さなくてもいい。なるほど、後宮の女官ならば、なかなか外部の者と接触することはできないね。しかもその女性は、かなり王と王妃から信頼されているね? ああ、言わなくてもわかる。それだけ優秀な女性なのだ……。しかも、とても心の美しい女性と見た。うん、それならば、注意深くもなるだろう。これで納得がいった」
「いや、それだけではない。その方法であれば、相手の愛情の深さまで図ることができる。うん、考えたね。面白そうだ。それで?」
ポセイドン王が笑顔で話しかけてくるが、目が全然笑っていないので、怖い。俺は咳ばらいをしながら、心と落ち着けつつ、話を続ける。
「で、二人は結局付き合うことになったのです」
「おお! それはよかった。それで?」
「で、二人が付き合ってしばらく経ったとき、男から手紙が届いたのです」
「ほう、それで? どんな内容だい?」
「『雨が降りそうだから、今日はそちらに行こうかどうかを迷っています。もし、雨が降らないのであれば、お伺いしようかと思うのですが』みたいな内容を送ったのです」
「何っ? たかが雨程度で会いに行くのを止めるというのか!? 男の風上にも置けんな」
「ほう、メインティア王、あなたは、たとえ雨が降ろうが、槍が降ろうが、どんな状況でも女性に会うためとあらば、全てをかなぐり捨てていく男だと、そう言うのですか?」
「ああ、そういう気持ちは持っている」
「実際に行ったことは?」
「……ない」
ないんかい! 俺は呆れた様子で彼を眺める。
「雨ならば服も濡れる。濡れた体を温め合う楽しみもあるだろうに……。男はなぜそこに気が付かない。ううむ……惜しいことだ」
「女性は何と言ったのだ」
うおっ、ポセイドン王の目が怖ぇ。俺は姿勢を正して、さらに言葉を続ける。
「ええと、女性の方はですね……。確か、『私のことをどう思っているのか、あなたの本心を聞きかねていましたが、その程度しか思われていないと知った私には、涙の雨がどんどん降ってきました』と書いて送ったのです。それを見た男は、取る物も取りあえず、雨の中、ずぶ濡れになりながら、屋敷を飛び出して行った……。そんな話だったと記憶しています」
ここまで話して、俺はハタと気付く。ヤバイ、これ、失恋話か? これだけでは失恋したかどうかはわからない。オーダーとは違う話をしてしまったか。そんなことを思いながら俺は、恐る恐るポセイドン王に視線を向ける。彼は目を閉じたまま黙っている。
「クックック、フッフッフ、アッハッハッハッハ!」
突然、メインティア王が笑いだした。あまりに意外な振舞いだったために、俺は彼を見ながら固まる。
「ハッハッハ! 涙の雨……ずぶ濡れになって……。ハッハッハッハッハ! 涙の雨ですと! 兄上! 兄上ぇ!」
辺りも憚らず、このバカ殿は腹を抱えて笑っている。ふとポセイドン王を見ると、何故か俯いている。
「フフッ、貴公……笑い……笑いすぎ……フッフッフ、アハハハハッ。フアッハッハッハ!」
「兄上! 兄上ぇ!」
「ハアッハッハッハ!」
何故か二人で肩を叩き合いながら、大爆笑している。一体何が面白かったのだろう? 二人のツボが全くわからない。俺は戸惑いながら、隣のラファイエンスに視線を向ける。彼は二人を見ながら、苦笑いを浮かべている。
「しょ……将軍……」
「まあ、よいではないか、リノス殿」
彼は、ウケたし、結果オーライでいいじゃないかと言わんばかりに、俺に向けてゆっくりと首を振る。そして、俺に顔を近づけて、小さな声で口を開く。
「結局、その男はその後どうなったのだ?」
「わからないですが、おそらく振られたと思います」
「ほう、何故、そう言い切れる?」
「涙だけに、塩分(艶聞)の多いのは、嫌われるでしょう」
「ハハハハハ」
ラファイエンスの乾いた笑い声が、部屋の中に響き渡った。