第三百四十四話 お行儀
「来るぞ! 総員、槍、構えっ!」
ラファイエンスの声が戦場に響き渡る。その号令を受けて兵士たちは一糸乱れぬ動きで槍を構えた。
「私が命令を下すまで、攻め込むことはならん。持ち場にて敵を迎撃せよ! かかれっ!」
その直後、アガルタ軍の先鋒が、カコナ川を渡ろうとしているタナ軍に襲いかかった。
「焦らんでいい。焦らずにやってくれ」
ラファイエンスは前線の様子を見ながら、後方の兵士に声をかける。そこでは、先程タナ軍から放たれた矢を迅速に回収している兵士たちの姿があった。彼らはそれぞれ持ちきれない程の夥しい矢を抱えるようにして持ち、それを川に流していった。その様子を見ながら老将軍は、小さな声で呟く。
「兵たちに異常は見られぬ……。これも、メイ殿が持たせてくれた石のお蔭か? 石だけに、医師の役割も果たしてくれたのかな?」
そう言って彼はフフフと笑う。そのとき、隣に控えている騎士が、目を見開いて固まっている姿が目に入った。
「オイ、これは、ナイショにしておけよ」
彼はウインクをして、再び戦場に視線を向けた。
その頃、戦場で目を見開いて固まっている者がもう一人いた。ヴィエイユだ。彼女は驚いた表情を崩すことなく、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「……どうした?」
「……アガルタ王様、いつ、馬を替えられたのですか?」
俺はその言葉の意味がよく分からず首を傾げた。そのときふと思い当たり、思わず苦笑いする。
「ま、その……なんだ。……そういうことだ」
俺の視線の先には、イリモの姿があった。先ほどの爆発で、どうやらイリモにかけていた結界が消えてしまい、彼女の額の角が見えてしまったのだろう。そんな俺の様子をヴィエイユは表情を崩さずに眺めていたが、やがてふっと柔和な顔で、俺に話しかけてくる。
「アガルタ王様の……結界でしたか。結界が消えてしまって、その馬は大丈夫なのですか?」
「大丈夫か、イリモ?」
『大丈夫です』
彼女は嘶いただけだが、それだけで彼女の言わんとしていることが伝わってくる。俺は、頼むぞと言いながら彼女の首をやさしく撫でてやる。
「さて、アガルタ王様、一つお願いがございます」
突然ヴィエイユの声がする。彼女に目をやると、人懐っこい笑みを浮かべながらチラリと戦場に視線を移し、すぐに俺に視線を戻してきた。
「タナ軍が我が陣営にも攻撃を加えています。アガルタ軍に攻撃を集中させるかと思っていたのですが……。こうなりましては、私が指揮を執らねばなりません。恐れ入りますが、私を自陣まで転移させていただけないでしょうか?」
お前にはポーセハイがいるだろうという言葉を、すんでのところで飲みこむ。彼女の後ろに控えている若いポーセハイが済まないといった表情で控えているのが目に入ったからだ。確か彼も魔力が使えない状態になっているはずだ。俺は天を仰ぎながら、ふっと息を吐く。ヴィエイユに転移結界を知られてもいい物だろうか。そんな迷いが頭の中に去来していたが、ヴィエイユの一言がその迷いを消し去る。
「アガルタ王様の結界には、転移効果もあるはずです」
「……何?」
彼女は俺のすぐ近くまで近づいて来て、小さな声で呟いた。このヴィエイユのことだ。そのくらいのことは知っているだろうとは思っていたが、本人の口から聞くと、やはりちょっとショックだ。この二人、付き合っているなと薄々感じていたところに、俺たち、付き合っているんだよね、と堂々と交際宣言されたときの衝撃と似た感じだ。
そんな俺の様子を見ながらヴィエイユは笑顔のまま、さらに言葉を続ける。
「アガルタ王様のことは、何でも知っているつもりでございます。なにしろ私はあなた様に一度、抱かれておりますもの」
「バカ野郎。お姫様抱っこをしただけじゃないか。さも、俺とお前が男と女の関係にあるような言い方をするんじゃねぇ」
「失礼しました。このような話、リコレット様がお聞きになれば、大変なことになりますものね」
ウフフと彼女は含み笑いする。俺は毒気を抜かれて、ヤレヤレとため息をつきながらイリモから降りた。
「ただ、転移できるかどうかはわからんぞ。お前の陣地に張った転移結界が壊れている可能性があるからな」
「やはり、転移結界をお持ちだったのですね?」
「何?」
ヴィエイユはしてやったりといった表情を浮かべる。しまった、喋らされてしまった。俺の様子を満足そうな顔で眺めていたヴィエイユは、俺のすぐ近くまで顔を寄せ、甘ったるい声で呟いた。
「アガルタ王様に転移結界があるとわかったからには、私が帰陣するのは、自陣深くまで攻め込まれたときで構いません。恐れながら、今しばらく、ここに居させてくださいませ」
俺は眉間に皺を寄せる。それを察知したヴィエイユは、さらに言葉を続けた。
「アガルタ王様、転移結界の秘密を守る方法が一つございます。私を手籠めになさいませ。そして、私をあなた様なしでは生きていけぬ体になさいませ。さすれば、私はこの秘密を墓場まで持って行くでしょう」
俺は思わずフッと笑みを漏らし、そのまま踵を返して再びイリモの上に跨る。
「お行儀が悪い子だな、お前は」
俺の言葉に、ヴィエイユはキョトンとした表情を浮かべる。
「お前のこれまでの人生には同情するが、そうかといって、やっていいことと悪いことがある。お前はこの戦いが終わったら一度、リコとメイの許に弟子入りしろ。女性としての生き方を、学べ。勿体ないぞ、ヴィエイユ?」
俺の言葉に、彼女は再び笑みを浮かべた。だが、その表情には寂しさが浮かんでいた。
一方、ヴィエイユが率いていたクリミアーナ軍は苦戦していた。タナ軍の突撃に晒されて、防戦一方になっていたのだ。
「突けぇ! 突けぇ! 突き崩せぇ!」
馬上から大声でタナ軍を指揮しているのは司令官のジーギスだった。彼は陣形を山形に組み、ヴィエイユの陣に突撃していた。一見するとすぐに破れそうに見えたクリミアーナ軍だが、彼らは盾を巧みに使ってジーギスの突撃を受け止め、その攻撃を防御し続けていた。進めば進むほどに守りが固くなるクリミアーナ軍に、ジーギスはそのいら立ちを隠すことができなくなっていた。
「敵を倒しながら、ヴィエイユを探せ! 決して傷つけるではないぞ! あの女は、私が捕らえる!」
彼は敵を切り倒しながら興奮の絶頂にあった。人を殺す楽しみと、若くて美しい女の敵司令官を捕らえ、その体を蹂躙したいという期待感が入り混じったこの感覚は、彼の体をいつも以上に活性化させていた。いつになく体が動くことを自覚しつつ彼は、さらに敵陣奥深くに向かって馬を走らせた。
ふと、目の前に黒い影が見えた。その瞬間、体に凄まじい重さを感じる。
「ぐっ……なっ……」
彼の体に三人の男が抱きついていると気が付いたときには、すでに周囲の兵士がそれを引きはがそうと刃を向けていた。彼自身も辛うじて動く右腕を使って、自分にまとわりついている男の一人の脇腹を突き刺した。そのとき、男のうめき声と共に、聞きなれない音が彼の耳に聞こえてきた。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ……。
この音は何だと思ったそのとき、周囲を固めていたクリミアーナの兵士たちが、自分たちから大きく距離を取っていることに気が付いた。彼の記憶はその瞬間に途切れた。
ヴィエイユの陣から轟音と共に火柱が上がったのは、その直後のことだった。




