第三百三十五話 これも作戦
「死ぬ……って言いました?」
「ああ、そうさ」
メインティア王はニコニコと機嫌のよさそうな表情を浮かべている。俺は「何言うとるんじゃ!」と頭を叩きたい衝動に駆られるが、それを必死の思いで抑え込み、努めて冷静を装いながら彼に話しかける。
「スーサイドってことですか?」
「すーさいど? どういう意味だい?」
「その……自ら命を……」
「絶つわけはないだろう!? 何を言っているんだ、君は? 私には愛する女たちがいて、子供たちもいる。まだまだ絵も描き足りていないし、美味な食材ももっともっと探求していきたいのだ。だが、今のこの王という身分は堅苦しすぎる。それをどうにかしたいと考えていたのだけれど、ようやくその打開策を見つけることができたんだ」
「それが……死ぬってこと?」
「そうだ。重ねて言うが、本当に死ぬわけじゃない。死んだように見せるということだ」
「ええと……もう少し、わかるように説明していただけますか?」
彼はクックックと楽しそうに笑いながら、キラキラと目を輝かせながら俺に口を開いた。俺は思わず顔をしかめる。この人が目を輝かせているときは、ロクな話をしないのだ。
「私は死んだとクリミアーナに報告をするのだ。クリミアーナには私は病に侵されていると言っている。彼らが医師団を派遣してくると、仮病であることがバレてしまうからね」
「あの……何でそんなややこしいことを……」
「彼らは私をバカだと思っているだろう。だから、本当にバカであると信じさせたかったのだ。そうすれば、彼らの矛先は外れてくれる……そう考えたのだ」
「……大丈夫か?」
「それに、これはオンサールのためでもあるし、君のためでもある」
「オンサールと俺のため?」
「そうだ。私亡きあとのフラディメ国の国王は、オンサールとするのだ」
「はあ!? アンタ一体何をやっているんだ? オンサールって二歳……だよね?」
「そうだ」
「フラディメ国は……?」
「父の大上王が後見に立つ。それに宰相のアウッサイはまだまだ健在だし、その彼の許にはパターソンを付けることにした。今の宰相が倒れても問題ない体制は整えるよ」
「はぁぁぁ……」
「既に父の許可は取っていてね。父自身も、私という王がいながら政務を執っていることに違和感があったようでね。とはいえ、私は政治のことなどに興味はないから、仕方なく今の体制になっていたんだ。ここで私の存在が消え、オンサールに王位が渡れば、父は幼い孫の後見ということで遠慮なく政治ができる。しかも、自分の持てるもの全てを息子に伝えるだろう。それが、父にとっても、私にとっても、そして、息子にとっても、最終的にはフラディメの民衆にとってもよいのだよ」
「でも、他のお子さんたちは……」
「全く問題はない。父が生きている今、王位を継ぐなどとんでもない話だと子供たち……よりもむしろ、その母親たちが反対するだろう。しかも今はクリミアーナに睨まれているややこしい時期だ。そんな時期に王位を継ごうなんて誰も思わないよ」
「そんなものですか!? まあ、フラディメ国のことなので俺はあまり口出しはしませんが……。それに、俺のためと言っていましたが、それは一体……?」
そこまで言うと、メインティア王はその顔から笑みを消し、真面目な顔つきになった。
「オンサールが王位に即位すれば、ピアトリス殿との婚儀も、しやすくなるだろう?」
その言葉を聞いて俺は、目を閉じたまま天井を仰いだ……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
クリミアーナ教国の首都、アフロディーテ。その中心に建てられた教皇神殿の一室で、一人の少年が机に噛り付くようにして座っている。よく見れば彼には左腕がなく、残った右手で器用に手紙を読んでいた。これは言うまでもなく、カッセルだ。彼は手紙を読み終わると、深くため息をつきながら、吐き捨てるようにして呟く。
「一体、何なんだ、この王は? 狂っているな……」
カッセルが呆れ返るのも無理はない。この手紙の差出人は、フラディメ国のメインティア王だ。彼は二日ないし三日ごとに、教皇宛に手紙を送ってきていた。当初はアフロディーテへの訪問を延期させて欲しいという要請の手紙と思っていたカッセルだが、その内容を読んで彼は言葉を失った。そこには、こんな内容が書かれていたのだ。
「このところ病状が進行し、側室たちとの閨ができなくなっております。既に、空閨が二十日になっており、我慢ができなくなっております。そのため、早く薬をいただきたくお願いいたします。私としましては、これまで以上に側室たちを愛したいと思っております。それに、先日、我がアリスン城に新しい侍女が数名参っており、その中の三人と閨を共にしたいと思っております。この三人には特に目をかけたく思っており、多種多様な経験を積ませるつもりです。そのためには、閨の回数をこれまで以上に増やさねばなりません。何卒、この心苦しさをご理解いただきまして、ご配慮のほどをお願い申します」
恥も外聞もなく、開けっぴろげにこのようなことを書いて寄こしてくるとは、さすがのカッセルも予想していなかった。彼は、これまで届けられたメインティア王の書簡を机の上に並べ、それらを一つ一つ、到着順に目を通していった――。
「背中に腫れ物ができてしまい、色々と薬を試しましたが、全く効き目がありません。是非、教国がお持ちの薬を送っていただけないでしょうか。ちなみに、背中の腫れ物は、肩甲骨の右下にこぶし大程の大きさで、少々熱を持っています。どうしてよいのかがわかりませんので、ご指導のほど、お願いいたします」
まず、メインティア王から初めて届いた書状が、こんな内容だった。確か、このときは仮病であると考えて、一笑に付したのだ。
そして、その三日後に届いた書状には、こんなことが書かれてあったのだ。
「背中の腫れは一向に引く気配を見せません。食事が悪かったのでしょうか? もし、治癒するために食した方がよいものがあれば、教えていただきたくお願いいたします。指示通りのものを食べることに致します」
この段階でも彼は、メインティア王の仮病を疑わなかった。だが一方で、この王を少しからかってみたくなった。そこでカッセルは適当な雑草の名前を数種類と、珍味とされる食材数種類をリストアップして返信したのだった。もちろんそこには、アフロディーテへの出頭日を定めることも忘れなかった。
だがその手紙を送ってからしばらくして、毎日のようにフラディメ国から手紙が届くようになった。その内容は、カッセルが指定した食材を食べたという報告であり、この日は炒めて食べただの、煮て食べただのと、実にどうでもいい内容が真面目に書かれて送られてくるのだった。
カッセルは予想外の展開に驚き、そしてあきれ果てていた。大抵の国王は、クリミアーナ教国からの出頭命令が下ると、平身低頭し、多くの貢物をもって我先にアフロディーテへやってくるものなのだ。クリミア―ナ教国から討伐対象と認識されると、ほぼ確実にその国は滅ぼされてきた。そのため、教国の恐ろしさは全世界の国に浸透しているものと思っていた。
例外的にアガルタだけは、教国の指示は完全に無視されてきたし、今ではこの国を服従させるのは、軍事的に侵攻して徹底的に壊滅させる以外ないと考えている。だがそれは新興国で、しかも、王自身が奴隷という身分であり、要は「知らない」ために教国を無視できているのであって、元々、敬虔さの程度のこそあれ、長年にわたりクリミアーナ教を信仰してきたフラディメ国が、教国の恐ろしさを知らぬはずはなかった。にもかかわらず、別段教国に対して詫びを言うこともなく、ノホホンとこうした手紙を送りつけてきて、挙句の果てに、このような破廉恥極まりない手紙を送りつけてくるメインティアという王を、カッセルは正直、その人間性を測りかねていた。
「スークレイの書にある以上の、本物のバカなのかもしれないな」
だが、フラディメ国にはリボーン大上王という傑物がいる。大上王は息子の振る舞いを知らないのだろうか。そんなことは考えられない。これまで政務を見てきたのは大上王であり、その彼がこんな破廉恥な手紙を教国に送りつけるのを見過ごすとは思えなかった。
「一旦、フラディメ国に医師団を送ってみるか……?」
彼は天を仰ぎながら、誰に言うともなく呟いた。




