第三百三十話 変態の思考回路
これまでのにこやかな笑みとは打って変わって、ヴィエイユは一切の情を感じさせない、無表情に変わっていた。その様子に俺は、背中にゾクッとしたものを感じながら、努めて冷静を装う。
「お前の爺さん……いや、教皇をこの世から葬るとは、穏やかじゃないな。一体何があった?」
「これは、以前から決めていたことでございます。なかなか実行に移せませんでしたが、この度、ようやくその機会がきた……それだけでございます」
「ほう、詳しく聞いてもいいかな?」
彼女はフッと声を漏らしたかと思うと、再び笑顔になった。先ほどとは違い、人懐っこい笑みだ。気を抜いていたら、心を許しそうになるほどの愛嬌だ。そんな俺をまるで見透かしたかのように、彼女は優しい声で俺に語り掛けてきた。
「我が祖父、ジュヴァンセル・セインは、己が意に沿わぬ人々を追い出し、あるいは殺してきました。現在のクリミアーナ教国、ひいてはクリミアーナ教は、祖父の独断と偏見によって支配されていると言って過言ではありません。祖父は高齢ですが、その肉体は強靭で、まださらに生き続けることでしょう。と、なれば、彼のために不幸になる人々はさらに増えるかと存じます。しかし今、クリミアーナ教国は全世界に向けて、天道に反する国々を討伐する教皇命令を発令しました。この機会に私は兵を挙げ、祖父、ジュヴァンセル・セインを討つことにしたのでございます」
「ちょっと待て。教皇命令? そんな命令が出されたのはいつのことだ?」
「二日前でございます」
「二日ぁ? えらく情報が早いじゃないか?」
「ええ。表向きは、私は教国に忠実であるように振舞ってまいりました。そのため、教皇命令は発令される前に、既に私の耳には入っておりました。もっとも……教国に見せていたのは姿勢だけで、実際は、多くの命令をのらりくらりと躱しながら、今日まで過ごしているのですが」
そこまで言うと彼女は、右手を口に当てて、ホホホと可愛らしく笑う。
「教皇の命令は、『天道に反する国々を討て』とあるはずです。天道に反する国とはすなわち、先だってフラディメ国で行われた学会に参加した国々を指します。その中で、最優先に討伐するべき国と考えられるのが……」
「俺たちアガルタというわけか?」
「左様です」
彼女は懐から小さく折りたたまれたハンカチのような布を取り出した。そしてそれを床に広げていく。意外にもそれはかなり大きなものであり、そこにはこのアガルタを中心とした世界地図が書かれていた。
「討伐軍の中心となるのは、タナ王国です。国王であるヴィル様は、軍神の称号を与えられた程の戦上手。加えて、ご自身も無類の戦好きです。そのお方が、おそらく全兵力をもって南進してくるでしょう」
「ニケさんのいる、サンダンジ国を攻めるというわけか」
「ご明察です。さらには、隣国のフラディメ国を併呑し、その勢いを駆ってアガルタに攻めてくるでしょう。おそらくそこには、教国側の国々からの兵士も合流しているでしょうから、総勢は数十万に膨れ上がるかと存じます」
「……それで?」
「おそらく、ヴィル様は、真っ先にアガルタのガルビーを目指されることでしょう。ここが堕ちれば、ラマロン皇国が堕ち、さらにはアガルタとヒーデータ帝国、この両国の喉元に刃を突き付けることにもなります。ここを陥落させて後、軍を二手に分け、一軍はヒーデータへの抑えとし、ヴィル様率いる本軍はイルベジ川を上ってアガルタに攻めこむという作戦かと存じます」
「……なるほど。で、ヴィエイユ、お前はどうするのだ?」
「私は、この戦いはガルビーが堕ちるかどうかが重要な点であると考えます。そこで、私はクレファライス国および、我が信徒4万をもって、アガルタの西側、すなわち、ヒムキス海を下り、ガルビーに向かうタナ軍の背後を突きます。アガルタ王様におかれましては、我々がヒムキス海を航行する際に、誤って攻撃いただかないこと、合わせて、周辺国へのその旨の通知、そして、願わくば、ニザ公国のラワンの港に停泊することをお許しいただき、そこで、水や食料の支援をいただきたいのです」
そこまで言い切るとヴィエイユは、フゥと息を吐き、スッと俺に視線を向けた。その表情は自信に満ち溢れており、己の予測に一切の問題はないと言いたげな様子だった。その彼女を見つめながら俺は、ゆっくりと口を開く。
「まず、お前がいま語った作戦は、この際、当を得たものと言えるだろう。だが、果たして敵はそう思い通りに事を進めてくれるかな?」
俺の言葉が意外だったのか、彼女はキョトンとした表情を浮かべる。
「どういう、意味、でしょうか?」
「お前の作戦は、言ってみれば、色も匂いもない。タナ王国の国王は戦闘狂と見た。そんなド変態であれば、もっとオリジナリティーを出してくるはずだ」
「おりじなりてぃー?」
「人が考えもつかない作戦をやりたがる、ということだ。……ヴィエイユ、お前の話はよくわかった。できるだけ、その望みはかなえよう。だが、今話した作戦を実行するのはちょっと待て。タナ軍がニケさんのいるサンダンジを攻めることは間違いないだろうが、果たしてどう攻めるか……その出方を見る必要があるな。それによっては、お前の願いは叶えられないかもしれないな」
「おそらく、私が今、申し上げた通りに事が運ぶと考えますが……」
「ああ、そうなれば、重畳だ」
俺の言葉が癪に障ったのか、彼女は冷淡な笑みを浮かべ、俺を挑発するかのように口を開いた。
「では、私と賭けを致しませんか?」
「賭け?」
「私は、自分の作戦予想に絶対の自信を持っております。私の予想通りに事が進みました暁には、私が建てます国に、向こう十年間、無償での食糧支援をお願い申し上げます」
「ほう、では、お前の予想が外れたら、どうするんだ?」
「……私の操を差し上げます。どのように扱っていただいても、結構でございます。憚りながら私は、女としての価値は相当にあると自負しております」
その言葉を聞いた俺は思わず爆笑する。
「ハッハッハ! お前、俺が断るのを見越して話をしているだろう? いや、言わなくても分かる。恐ろしい女になったものだな。俺が5人の妻と暮らしていることを知り、それ以上の妻を求めていないことを知って言っているのだろう? まあ、その予想は当たらずとも遠からずだ。生娘とはいえ、今のところ俺はお前に興味はない。てゆうかお前、俺と夜を共にすると、とんでもないことになるぞ? この間からドえらいエロブーストがかかってしまってな。お前に言っても分かるまいが、朝までノンストップでできるようになったんだ。体が壊れちまうぞ? 嘘だと思うなら、ソレイユに聞いてみるといい」
「リノス」
「冗談だ、リコ。でも、本当のことだっただろう? まあ、それはそれとして、なるほど、ヴィエイユ。お前の狙いがよくわかったよ。お前の真の狙いは、この世界を巻き込んだ戦いを利用して、自分の国を作ることだったんだな? そのために、俺を利用しようとしている……そんなところか?」
「恐れ入ります。アガルタ、ヒーデータ、ニザは、今や世界に名だたる大穀倉地帯をお持ちです。アガルタ王様と繋がることができれば、食糧の心配はなくなり、さらには、作物の収穫を飛躍的に伸ばせる技術や最先端と言われる医療技術も手に入ります。こう申しては何ですが、私の予想が当たりましても、アガルタ王様から求められますれば、私はいつでもこの操を捧げる覚悟でございます。また、それだけの価値が、この国にはございます」
どうやら彼女は真実を語っているらしい。これまでとは雰囲気がガラリと変わっている。俺は笑みを絶やさないまま彼女の話を聞いていたが、やがてそれを遮るようにして、右手をスッと上げる。
「残念だが、その予想は外れるだろう。タナ国王が俺と同じ変態だとすれば、そんな正攻法は取らないだろう。人をアッと驚く作戦を立てるはずだ。そうだな、さしずめ俺ならば……」
「リノス、リノス」
隣でリコが小さな声で俺に話しかけている。
「何だい、リコ?」
「悪そうな顔に、なっていますわよ」
ちょっと眉をひそめながら注意されてしまった。俺は思わず苦笑いを浮かべる。
「相変わらず、お仲がよろしくて、羨ましい限りでございます」
ヴィエイユが微笑みを湛えながら口を開いている。リコはちょっと顔を赤らめながら俺から視線を外し、再び彼女に視線を向けた。その様子を見て、俺も彼女に視線を向ける。
「ヴィエイユ……まずはよく来てくれた。今後、お前にも助けてもらわねばならないことも多くあるだろう。よろしく頼む」
「畏まりました」
再び、ヴィエイユは笑みを浮かべながら、恭しく俺に頭を下げた。