第三百三十一話 遅速行軍
「よーし、全軍止まれ! 我らはここで三日間逗留する。各兵は交代で警備に当たれ。くれぐれも乱暴・狼藉はするでないぞ!」
指揮官の命令に、兵士たちは粛々と、ある者は軍装を解き、ある者は警備の配置に向かう。その様子を町の高台から眺めているのは、タナ王国国王のヴィルだった。彼はその様子を満足そうな表情を浮かべながら、頷いている。そして、チラリと側に控えている家来たちに視線を向ける。
「お前たちも休むがいい。我も湯に入ってゆるりと休息しようぞ」
その言葉に、全員が首を垂れた。
「……一体どうなっているのだ」
吐き捨てるように呟いているのは、サンダンジ国の国王であるニケだった。彼の前には頭を擦りつけるようにして平伏している家来がいた。
「……油断せず、引き続き見張るのだ」
「ハッ……」
少々怒気を含んだ王の声に、家来はそそくさと部屋を後にしていった。彼は居並ぶ幕僚たちを見廻しながら、誰に言うともなく呟く。
「一体、タナ軍は何を考えているのか……。奴らが王都であるコガを出たのが三日前だ。コガから国境であるカコナ川まで三日……。しかし、今の段階で奴らはまだキューエとは……。コガからキューエは一日あれば十分に着く距離だ。それを三日もかけてとは……まるでナメクジが這うようにノロノロと進んでいるのは、何か策があってのことか? 一体、奴らは何を考えているのか……」
「父上……恐れながら」
「何だ、シン」
「タナ軍は我らに恐れをなしているのではありませんか。奴らはクリミアーナ教国からの命を受けて出兵しているに過ぎません。併呑したサルファーテを立て直すのにそれどころではないでしょう。と、なれば、奴らは積極的に戦いたくはないはずです。父上、ここは是非、タナ側に和議の使者を送られてはいかがでしょうか。クリミアーナ教国に怪しまれずに、互いの被害が最小限となるよう話し合いをしたいと打診してみるのです」
ニケは険しい表情のまま、王太子であるシンの顔を眺めている。彼は、しばらくして大きなため息をつくと、ゆっくりと、噛んで含めるようにして、息子に語りかけた。
「そなたは……よい子じゃな。なぜに、もう少し、悪い息子に生まれてくれなんだぞ」
その言葉にシンは、よくわからないといった表情を浮かべる。ニケは息子の顔をじっと見つめる。我が息子ながら、端正な顔立ちだと思う。まだ16歳だが、王としての風格は十分に備えているだろう。しかし、息子は優しすぎる。その優しさは、平和な世の中であれば有効に働くが、今は血で血を洗う戦乱の時代だ。息子の優しさは王として非常に危険だ。この優しさは時として、多くの家来や民の命を失うことにつながることをニケは知っていた。
ニケはそんなことを考えながら、息子を下がらせる。そして、居並ぶ幕僚を前に、大きなため息をつきながら、小さな声で呟く。
「我が死んだら……この国は……滅ぶな」
「国王様……」
「冗談だ」
ニケは苦笑いを浮かべながら、小刻みに首を振る。
「だが、シンの鷹揚さはこの国では貴重だ。いずれの日にか、あの性格が必要となる日が来るであろう。そのためには……よき伴侶がおらねばな。年上の、しっかりした……そう、メイ殿のような女性が……」
「国王様!」
「フッフッフ。国の存亡をかけた戦の最中に、そんなことを考えている余裕はないと言いたいのであろう? だが、もうすぐ、そのようなことを考えている暇などなくなるだろう。しばらくは、我の戯言に付き合え」
「はっ……」
ニケは目を閉じて、腕組みをしながら物思いにふけっている。居並ぶ幕僚たちは、その様子をただ静かに見守っている。
「……よもや、我らの策に気が付いた、ということはあるまいな?」
誰に言うともなく呟いたニケの言葉に、家来たちは一斉に彼に視線を向ける。
「そのときのことも、考えておかねばなるまい……」
彼はゆっくりと目を上げて、視線を背後に向ける。そこには、緑色の小さなドラゴン――フェアリードラゴンが、退屈そうな表情を浮かべながら控えていた。
「そなたにも、忙しくなるときが来よう。今は、休んでいるといい」
そう言って彼は立ち上がった。
実際、サンダンジ国は鉄壁の防御態勢を敷いていた。多くの砦が築かれ、国中がまるでハリネズミのような状態を作り上げていたのだ。ニケには、国内で戦うのであれば絶対に勝つ自信があった。いかに魔法を無効化するタナ軍であっても、国内におびき寄せて戦えば、何十万の大軍とはいえ、戦線は伸び切る。そうした状態にしておいて本隊を突けば、軍勢の数は問題でなくなる。リノスからは、何かあったときの緊急用の連絡手段として、一羽のドラゴンが送られているが、これを使うときは即ち、サンダンジ国が大勝利を収めるか大敗北を喫するかのどちらかであろうとニケは考えていた。彼は自室に戻ると一人、瞑想にふけるのだった。
「……そうか、わかった」
俺の言葉を聞いて、サダキチはスッと姿を消した。俺は窓を閉め、よっこらせと執務室の椅子に座る。
「サダキチに確認したが、今のところ動きはないようだ」
「う~ん」
目の前で唸っているのは、ラファイエンスだった。その後ろにはマトカルとクノゲン、そしてルファナ王女が控えていた。
「稀に見る遅速行軍ですな」
ヤレヤレといった表情を浮かべているのはクノゲンだ。その様子をチラリと見ながら顔を強張らせているのは、ルファナ王女だ。彼女は実際にタナ軍と戦った経験があるために、現在では俺たちのアドバイザーとしての役割を担ってもらっているのだ。
「解せません。てっきり、サンダンジの国境を急襲するものと思っていましたが……。なぜ今になって機動力を封印するのか……。彼らの動きがわかりかねます。軍をまとめて転移させる機会を窺っているのでしょうか?」
「うーん、もしかしたら、サンダンジ側の作戦に気が付いたのかもしれませんね」
「何を言われるのですか、クノゲン殿。作戦に気が付いたのであれば、力で罠を食い破るか、別のルートを取るのかのどちらかです。いたずらに時間をかければ兵も疲れる、兵站も尽きる。タナ側にとって良いことはひとつもありません。なぜこのような愚策を取るのか……」
「……ルファナ様には、参りましたな」
「いやむしろ、こうは考えられないだろうか?」
そう言いながらマトカルは俺の机の前に進み出る。そこには、ヴィエイユから贈られた世界地図が広げられていた。
「タナ軍は背後を警戒しているのではないだろうか」
「背後……と仰いますと?」
「ここだ」
マトカルをとり囲むようにして、全員で彼女が指さす場所を見つめる。
「ここは……ミーダイ国ではありませんか」
「そうだ。このミーダイ国は現在、リノス様の結界によって守られている。我々アガルタ軍がここを通ってタナ側に出るとすれば、タナの王都は指呼の間。タナ側は全兵力をもって出陣している。王都を守る兵をほとんど残していない状態だ。我々が攻めると、ほぼ無血開城に近い状態で占領できる」
「なるほど……それで……常に背後を意識しているために、このような遅速行軍になっていると……さすがはマトカル様、このルファナ・ジン・サルファーテ、感服しました」
彼女はスッとマトカルに頭を下げる。その様子をチラリと見たマトカルは、すぐに俺に視線を移して、じっと俺の目を見つめた。
「……違うと思うな」
俺の言葉に、ラファイエンスとクノゲンが頷く。
「ミーダイ国を通って敵の王都を攻める……聞こえはいいが、占領した後のことはどうするんだ?」
「それは……」
「その王都にはどのくらいの人が住んでいるんだ? 何十万人単位じゃないのかな。その人々を抑えなきゃならないし、その上、タナ軍10万は無傷のまま残っているんだ。逆に占領した王都を攻められてみろ、守り切れないぞ。それはそうだ、相手は勝手知ったる場所で、王都の裏も表も知り尽くしている。たとえ城門を閉じても易々と侵入してくるだろう。そうなれば俺たちは袋のネズミにならないか?」
「くっ……」
マトカルは悔しそうな表情をする。その様子を見守っていたラファイエンスが口を開く。
「それにしても解せんな。ルファナ殿が言われたように、このままではタナ軍は単に物見遊山をしているに過ぎない。それが奴らの狙いとは思えないが……」
「もしかして、待っているのかな?」
「リノス殿、どういうことだ?」
「いや、サンダンジの兵士が国境に出てくるのを待っているのかもしれませんね。さらに理想を言えば、俺たちアガルタも出てきて欲しいと思っているかもしれません。どうせなら、一回の戦闘でケリをつけたいでしょうから、敵さんは」
ラファイエンスは目を丸くして驚いている。そのとき、執務室の扉がノックされ、スタッフの一人が部屋に入ってきた。
「申し上げます。ただいま、メイリアス様とコンシディー様から言伝がございまして、早急にお目にかかりたいとのことでございます」
「メイとシディーが? ……わかった。では将軍たちは引き続きタナ軍の動向を見守って下さい。動きがあればすぐに知らせてください。では!」
そう言って俺は部屋を後にした。
「……リノス殿がいる限り、我らに負けはないな」
空席となったリノスの椅子を眺めながら、ラファイエンスは笑みを湛えながら呟く。そして、目の前の三人に視線を向けながら、呆れたような表情を浮かべた。
「まさに、あのお方こそ、軍神だ」




