第三百二十四話 悲壮の覚悟
「……何だこりゃ?」
俺は呆れた顔を隠そうともせず、敢えて声を張り気味にして口を開いた。その手には、クリミアーナ教国から送られてきた書状が握られている。
「一体何の資格があって学会を差し止めるなどと……何を食えば、こんな気色の悪い考えになるんだ?」
俺は、首を振りながら執務室の天井を睨んだ。
結局、俺は、クリミアーナの要請を無視してフラディメ国での学会に参加することを即決した。もう既に準備が整おうとしていたところに、今さら辞めますなどと言えるはずもなかった。一応、メイにはクリミアーナの話を伝えたところ、彼女は、ご主人様にお任せしますと言っていたが、俺が即答で参加しようと言うと、ホッとしたような、嬉しそうな顔をした。俺にとって学会は、優先順位からすると下から数えた方が早い事柄だ。まあ、他の国が来ないなら来ないで、あっさり、サクッと終わらせればいいじゃないかと気軽な気持ちだったのだ。
だが、蓋を開けて見ると、フラディメ国で開催された学会は、大盛況だった。参加した国々の研究者はメイの発表を聞こうと会場に押しかけ、慌てたフラディメ側では、メイの発表を三回も実施することにしたのだった。メイやローニたちが発表する内容は、俺にはほとんど理解できなかったが、折に触れてどよめきがあがり、拍手が起こっていた。どうやら、学者たちも目からウロコの大発見があったようだ。メイが一度、詳しく説明してくれたのだが、何分ベッドの上でのことだったので、正直あまり覚えていない。メイの可愛らしい顔と、あんなことや、こんなことをしたこと……くらいしか覚えていないのだ。これは俺の名誉のために言っておくが、決して理解力がないのではない。メイの、あの、おっぱいを目にしては、理性が飛んでしまうのだ。結婚して何年も経つが、ドワーフの血が入っているせいか、メイは全く年を取る気配がない。それどころか、アリリアを産んでから美しさと色気に年々磨きがかかっているように思える。かわいくて、美しくて、やさしくて、賢くて、エロい妻なのだ。そんな彼女を抱きしめていては、難しい話は頭には入ってこない。
そんなメイは、連日、研究者たちとの会合に呼ばれ、大忙しだ。まあ、彼女の傍にはローニがピタリと寄り添っているので心配事はないのだが……やはり心配してしまうことはあるものだ。サンダンジ国のニケ王だ。
彼はメイとローニの発表には必ず参加し、二人から全く視線を外そうとはしない。ガン見だ。これは気になる。今日も彼は、王族のために用意された特別席に座りながら、二人が参加しているシンポジウムの様子を微動だにせずに凝視し続けていた。さすがに気になった俺は、彼の席の隣に座ることにした。
「ずいぶんご熱心なのですね」
「……すばらしい」
「何が……でしょうか?」
「……全てにおいて、だ。アガルタ王、貴殿が、羨ましい」
一切俺を見ずに彼は呟く。ちょっと失礼な態度だ。そんな俺の感情を察したのか、彼はゆっくりとメイたちから視線を外し、俺に向き直った。
「余はこの美しさを、忘れまい。知性溢れた美女は、余の心を癒してくれる」
俺は返す言葉が見つからずに固まる。そんな俺に彼はニヤリと笑みを漏らしながら口を開く。
「実は今日は、アガルタ王。貴殿を呼びに来たのだ。ちょっと私に付き合ってはくれまいか?」
「何です?」
「ちょっとした、食事だ」
「わかりました。いいですよ」
俺はニケ王についてアリスン城の廊下を進んでいく。彼はまるで自分の城のように迷路のような廊下をスイスイと歩いていく。そして、彼は何の変哲もない部屋の扉を無造作に開け、中に入っていく。俺も訝りながら、彼の後について部屋に入る。
……そこには、豪華な衣装に身を包んだ数人の男たちが集まっていた。彼らは俺たちを見ると立ち上がり、鷹揚に頭を下げた。
「皆さま、アガルタ王をお連れした」
ニケ王が笑みを浮かべながら椅子に座る。それが合図であったかのように、男たちも席に着く。俺は一つだけ空いているニケ王の隣の椅子に腰を下ろす。すると、それを待っていたかのように、男の一人が口を開く。
「我は、バセファシリ王国のミウムと言う。アガルタ王、お目にかかれて光栄に思いますぞ!」
「シャナリーゼ国の国王、ゾビアークと申す。以後、よしなに」
「デアルダージ帝国皇帝ブッセと申しまする」
この部屋にいる男たちは全員、何らかの国の国王だった。俺はあまりのことに驚いてしまい、口をポカンと開けて固まる。
「済まぬな、アガルタ王。こうせねば貴殿は我らの会合に来てくれぬと思ったのだ。許してくれ」
「一体、何なのですか?」
驚く俺に、ニケはこれまでのこととこれからの展望を語り始めた。聞けば、現在、サンダンジ国とその隣国であるタナ王国は、表向きは良好な関係であるものの、タナ側は、確実にサンダンジに侵攻して来るのだという。ニケは当然迎え撃つ気でいるのだが、この学会が始まる直前に届いたクリミアーナからの手紙が、事態をややこしくしているのだという。当然、あの手紙は教皇の名前で出されており、手紙=教皇の命令となるのだ。従って、この学会に参加した国々は自動的に教皇に背いたことになり、最悪の場合、クリミアーナ教国から討伐される危険性があるのだという。
俺の目の前に座る王たちは皆、クリミアーナ教国から干渉を受け、国政を牛耳られようとしている者たちばかりで、何とかそこから脱したいと切望している国王たちだったのだ。ニケは、そうした王たちと秘密裏に関係を結び、クリミアーナの弱体化を画策していた。
「この学会はまさしく、反クリミアーナの国々が集まる形になった。アガルタ王、貴殿もお気づきだろうが、この学会には我らの医療研究に参加していない国々も多くやって来ている」
「と、いうことは?」
「表向きは学会の参加だが、本当の理由は、これから起こるであろうクリミアーナの討伐から、いかに自国を守るか、それを国々で議論し、出来れば同盟を結びたいと考えているのだ。そして、その全ての国が、貴殿のアガルタと同盟を結びたいと考えている」
「ははあ、それで俺にはいくつもの食事会が申し込まれていたのですね?」
実は、俺には30を超える食事会の誘いがあったのだ。しかも、フラディメ国に到着した直後から。あまりの多さに俺はその全てを丁重に断ったのだ。だって、いきなり知らない国の人々と会うというのも何だかイヤだったし、何より、全てに参加すること自体が不可能なのだ。では、興味のある国とだけ会えばいいと思われるだろうが、それは断った国の心証を著しく害することになる。だが、今のニケの話を聞くと、断って正解だった気がする。
「クリミアーナが次に狙うは、おそらく我がサンダンジ国であろう。ここ、ルルイエ大陸を統一するのは、タナ王国の昔からの悲願だ。今はその、絶好の機会だ」
「タナ軍に勝てる……ニケさんに勝算はあるのですか?」
「ない」
「え?」
「考えてもみられよ。サルファーテ国を併呑したタナ王国だ。兵数にしておそらく10万は下るまい。おそらくクリミアーナ側の諸国からの援軍も合わせると、総数は20万を超えるであろうな」
「では……どうするので?」
「ここにお集まりの諸王は皆、クリミアーナ側の国々と国境を接している。別に我に援軍を出してほしいのではない。もし、我が国に兵が向けられた際は、国境を封鎖して欲しいのだ」
「クリミアーナの援軍が来ないように……ですか?」
「いや、時間を稼いでもらえればよい。タナの10万の兵であれば、我が国内深くにおびき寄せ、砂漠において戦えば、我が旗下3万の兵士であっても勝機はある。そして、アガルタ王、貴殿には改めて頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」
「我が国をはじめとした、ここに集まる国の研究者を、貴殿のアガルタに避難させて欲しいのだ」
「え? それは、もしかして……?」
「たっての願いだ」
ニケはスッと俺に頭を下げる。そして、それに合わせるような形で、集まっている諸王たちも、頭を下げていた。あまりのことに俺は絶句し、しばらくの間、息を呑んだ。