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結界師への転生  作者: 片岡直太郎
第十一章 釣り狐編
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第三百十七話  眠りからの目ざめ

「……ぅ……ズぅ~……イズぅ~……ヘイズぅ……あっ!」


椅子に座ったままベッドを見つめているのは、エルフ王の娘であるミークだ。その彼女の目の前には、滾々と眠る一人の男がいる。そして、その男の目が、今ようやく開かれていた。


「この間から随分と眠るのじゃな。人間というのは、数年に一度はそんな風になるのか?」


ミークの問いに男は答えない。その瞳は焦点を定めず、虚ろなままだ。


「……何日経った?」


男は気だるそうに口を開く。その様子に、ミークはうんざりした表情を浮かべている。


「5日間じゃ。声をかけても、体をゆすっても起きぬ。退屈で退屈で仕方なかったぞよ」


ミークのその声に、男はゆっくりと息を吐き出す。これが妖狐・ヘイズと知れば、そのあまりの衰弱ぶりに、彼を知る者は驚くに違いない。彼にとっては、リノスとの闘いは、それほどのダメージを負うものだったのだ。


彼はゆっくりと体を起こし、フラフラと部屋の隅に歩いていく。そして、コップのようなものに手をかざす。


「……くっ、水すらも出せないとは」


ヘイズはクルリと振り返り、退屈そうにあくびをしているミークに向かって声をかける。


「すまないが、水を出してくれないか?」


「水ぅ? そんなもの、どうするのじゃ?」


「決まっている。飲むんだよ」


ミークは不思議そうな表情を浮かべながらヘイズに向かって手をかざす。しばらくすると、彼女の小さな掌から勢いよく水が湧き出した。彼はミークの掌に顔を近づけ、流れ出る水を無我夢中で飲んでいく。


「うふふ、あはは、面白いのう、ヘイズ」


床が濡れるのも構わず、ミークはケラケラと笑いながら水を出し続ける。そのとき、ヘイズが彼女の手首を掴む。予想外の行動でミークは思わず体をビクッと震わせる。それと同時に、水の流れが止まる。


「……生き返ったよ。ありがとう」


彼は大きなため息をつきながら、再び寝ていたベッドに戻り、体を横たえる。そして、再びゆっくりと目を閉じる。


一筋縄ではいかないとは思っていたが、まさかここまでとは正直、思わなかった。ミークをエルフの里から奪ったあのときなど、問題にはならない程の難易度だ。


「敵の能力を、低く見積もりすぎていたな……」


誰に言うともなく、ヘイズは小さな声で呟く。おひいさまとその眷属が出てくることは想定の範囲内だった。彼が最も予想外であったのは、リノスの結界能力とソレイユの精霊を扱う能力だった。


まさかおひいさまが女神《リコレット》に化けているとは思わなかった。あの女の妖気には細心の注意を払っていたのだ。にもかかわらず、自分の探知能力に全く引っかからなかった。あの女に、自分の妖気を完全に消し去ることなど出来るはずもない。と考えれば、あれはアガルタ王・リノスの結界であることは明らかだ。


「……とすれば、やはり、神結界のさらに上を行く結界を編み出したか?」


先日のマトカルのことといい、今回のことといい、プリルの石と魔吸石を装備していたにもかかわらず、その結界は破ることができず、また、その効力を失わせることができなかった。とすれば、石の能力を超えた魔力を有しているか、さもなくば、何かの仕掛けをしたのかのどちらかだ。だが、リノスは人間だ。プリルの石や魔吸石を超えたMPがあるとはどうしても信じられなかった。


「だが、アガルタ王のあの能力……。人間では、ない……か?」


そこまで考えたヘイズはゆっくりと目を開ける。リノスの能力は確かに異常だ。ミーダイ国の結界といい、リコレットを守った結界、そして、おひいさまを化けさせたあの結界……。どれをとっても、ヘイズの予想をはるかに超えた規模とクオリティーだったのだ。まず、普通の人間では不可能だ。


「……まさか、数年前の大魔王、か?」


大魔王が降臨し、一つの国を壊滅させたことはヘイズも知っていた。そして、その禍々しい妖気を感じることもできていた。彼は一瞬、その妖気を発する者に興味を持ち、その様子を見に行こうかとも考えた。だが、用心深い彼はそれを思いとどまった。タナ王国からジュカ王国まではかなりの距離がある。その距離を超えてなお、易々と感じられる妖気を発するというのは、尋常ではない。となれば、おひいさまが動くことは十分にありうる。その動向を見極めて後、動こうと彼は考えて、そのときは動かなかったのだ。だが、その禍々しい妖気はすぐに消えてしまい、その後、ラマロン皇国で大魔王は討たれたと報告されている。


しかし、その大魔王が自分と同じ憑依のスキルを持つのであれば話は別だ。もしかして、討たれた大魔王は影武者であり、本体は別の所で生息しているのかもしれない。それがリノスであるとすれば、あの人間離れしたスキルの説明がつく。


一方で、リノスが大魔王だとすると、彼からは禍々しい妖気の類は一切感じられない。自身に結界を張って妖気を秘匿しているとも考えられるが、それであれば、アガルタが世界に稀に見る強国でかつ、平和な国となっている状況の説明がつかない。ヘイズが知る、伝説の中の大魔王は、何よりも殺戮を好む人物であるとされている。そんな人物が、ミーダイ国に結界を張り、あの国の人々を救うなどとは考えられない。


「大いなる災厄のための準備……か?」


そこまで呟いて、彼はフッと苦笑する。そして、自分自身に言い聞かせる。想像だけで考えず、現実の証拠を照らし合わせて考えろ……と。そんなことを考えていると、彼の視界にミークの姿が見えた。彼女は一糸まとわぬ、裸になっていた。


「ヘイズぅ~」


彼女は甘えた声で幼い体を擦り寄せてくる。だが彼は、全く体を動かそうとせず、ミークに諭すようにして口を開く。


「今はダメだよ。魔力がカラなんだ。今の僕は普通の人間と変わらないんだ」


ミークはキョトンとした表情を浮かべながら、首をカクンと傾ける。


「ならば、ポーションを飲めばいいではないか」


「いや、それはダメだ」


「何故じゃ?」


「魔力が回復しても、精神が回復するわけではない。今の僕は全てのMPを使い果たしていると同時に、肉体的にも精神的にもボロボロなのだ」


「ならば、妾の……」


そう言ってミークは唇を近づけてくる。彼は手でその唇を遮りながら、さらに言葉を続ける。


「いや、肉体だけではダメだ。精神的……つまり、気持ちの部分で落ち込んでいると、回復が遅れてしまうのさ。ここ数日はほとんど飲まず食わずでいて、この体にも無理をさせた。そのために、回復能力が著しく落ちている。そこに来て、僕自身も落ち込んでしまっているからね。余計に回復が遅くなっているんだよ」


「ヘイズにしては珍しいのぅ。いつもは、傷を負っても妾と遊んでくれるのに……。この間の大怪我のときにでも、朝まで楽しんだではないか~」


眉毛をハの字に曲げていじけるミークに、ヘイズはため息をつきながら口を開く。


「仕方がないだろう。僕のスキルすべてをあの男に移したんだ。MPが枯渇するのと、肉体的な負担は大きいと説明しただろう? それにしても、勿体ないな。あれだけ僕に似ている男はそうはいない。完全にダマし切れると思っていたんだけれどな。それにしても、あのアガルタ王もさることながら、厄介なのはあの精霊使いの女だ。あの女の操る精霊の力は、一体何だったのだ? プリルの石も魔吸石も全く効かなかった。それどころか、石の影響を完全に消し去って、僕の体の自由を完璧に奪うとは……。なるほど、アガルタ王が僕の正体を見破れたのは、あの女のお蔭もあってのことか……。女神《りこれっと》は奪えなかったが、アガルタ王の戦力を見極められただけでも、成果だ」


「さっきから何を一人でブツブツと言っておるのじゃ~」


「これから、どんな楽しいことをしようかと考えているんだよ。もちろん、君と一緒にね」


「面白いことぉ? また、リコなんとかという女を奪いに行くのか?」


「ああ。サツキが作戦通りに死んでくれたおかげで、ヤツらは僕が死んだと思っているだろう。それでいい。僕も肉体と魔力が完全に回復するまでかなりの時間がかかる。その間に、ゆっくり作戦を立てるとしよう……。ミーク、しばらくは一緒に居られるから。今日のところは我慢してくれないか。明日から、しばらくは毎日君と一緒に居られるよ」


「おおっ! じゃあ、また、丸一日遊んでくれるのじゃな?」


「ああ、サツキが消えたからね。これからは、前と一緒だよ」


「やった! では、今日一日は、辛抱しようぞ!」


その言葉を聞いてヘイズはフッと笑みを漏らす。そしてゆっくりと目を閉じて、再びリコレットを手に入れるための計画を頭の中で思い描くのだった……。

釣り狐編、完了です。次回は間話を1本挟みましてから新章に入ります。

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