第三百十五話 結末
ヘイズの左腕が首に食い込んでいる状態のリコが、余裕しゃくしゃくの表情を浮かべている。その様子を見て俺は、ニヤリと笑みを漏らす。すると、それが合図であったかのように、リコの体が徐々に大きくなっていく。その大きさに比例するように、ヘイズの目も徐々に見開かれていく。
「おっ……おっ……おっ……」
「ヘイズ、久しぶりじゃな」
そこに現れたのは、何と、おひいさまだった。
彼女の周囲に狐火が一つ、また一つと現れていく。そして、六つの狐火を纏ったとき、おひいさまがゆっくりと口を開く。
「あのときよりも、さらにスキルを上げたのじゃな。そなたのスキルを奪うのに骨が折れたわぇ。しかも、称号が二つも増えておった。これ以上スキルを上げられると、妾でも奪い取るのができなくなっておった。まさに、ギリギリの機会じゃったな」
「がっ……ガッ……ぐあぁぁぁっ」
ヘイズは必死で体を動かそうとする。だが、その体はピクリとも動かない。そして、顔には不気味な筋熊が浮かび上がっている。
「無駄じゃ。全てのスキルを奪われたお主は、もはや何も出来ぬ。覚悟を決めるのじゃ」
「女神……僕の女神……」
「この期に及んでまだ女子か! あさましいのう……。そなたはそのような者ではなかったに……」
「あ……諦められるか! あの女は僕のモノになる運命にある! あの唇を、乳を、尻を……何としても! 何としても!」
「ぬぇい!」
気合いとも叫び声とつかぬ絶叫が響き渡る。気が付けば、俺の足元にヘイズの首が転がっていた。
おひいさまが目をカッと見開きながら、右手を振り切ったようなポーズを取っている。その彼女の大きな肩がゆっくりと上下している。
「おひいさま……」
俺の言葉に、彼女は表情を変えることなく、目だけをこちらに向けた。ものすごい迫力だ。
「大儀じゃった……」
彼女の言葉に、俺は恭しく一礼をする。
「リノス殿! すまぬ! こちらも何とかしてくれい!」
叫び声のする方向に視線を向けると、そこには、少女に馬乗りになっているサンディーユの姿があった。俺はそこに向かおうとして、ふとサツキに視線を向けた。彼女は首のないヘイズの死体を呆然とした表情で見つめていた。そのすぐ隣には、玉ノ井がいた。彼女は俺と目が合うと、サツキのことは心配するなと言わんばかりに、ゆっくりと頷いた。俺はすぐにサンディーユの許に向かう。
そこには、大の字に寝転がったオージンの姿があった。半目のまま口をポカンと開けている。その視線は焦点を定めず、虚ろな表情のままピクリとも動かない。
「一体、これは……」
「自爆しようとしておったのだ」
「自爆!?」
「体が真っ赤に染まっておった。察するところ、コア・スープの術を使おうとしていたのじゃろう」
「コア・スープ?」
「我ら狐族に伝わる秘術じゃ。全てのHPとMPを凝縮して爆発させる術でな。ヘイズめ……このような幼子に、まさかこのような術を仕込むとは」
サンディーユは眉間に深い皺を刻みながら、ワナワナと震えている。そんな中でもオージンは一切の反応を示さない。
「今は、どういう状態ですか?」
「おそらく自爆用の熱を発したことで、脳が焼き切れたのやもしれぬ。某の回復魔法では全く役に立たぬようじゃ。リノス殿は確か、LV5の回復魔法が使えるはず。それを試してやってくれぬか」
俺はすぐさまLV5の回復魔法をオージンにかけた。……彼女の様子は全く変わらない。立て続けに数度魔法をかけてみるが、やはり結果は同じだった。
「……ダメか。脳が、溶けておるのかもしれぬ……哀れな。命は、助かりはしたが、この幼子は、これから魂が抜けた状態で、生涯を送らねばならぬ。某がもっと早く止めに入っておれば」
「サンディーユさん」
俺は彼の肩に手を置く。老狐は目を伏せたまま、ゆっくりと立ち上がった。
俺はサツキの様子を見に行こうと、再び彼女に向かって歩き出す。その途中、おひいさまに刎ねられたヘイズの首が目に入った。
「あれ? 人化が解けていませんね?」
そうなのだ。妖狐・ヘイズとあるからは、彼はゴンと同じ狐のはずなのだ。死んでいるのならば、その人化が解けていなければおかしい。だが、目の前に転がる首は、確かに顔に筋隈が現れているが、人間のままなのだ。これは一体どういうことだろうか?
「……肉体を、入れ替えたのじゃろうな」
不意におひいさまが口を開いた。肉体を入れ替える? どういうことだ?
「憑依というスキルじゃ。自分の意識を他人に乗り移らせることができるのじゃが、極めれば、己のスキルを移すことができる。言うなれば、肉体を乗っ取ることができるのじゃ。ヘイズの憑依スキルはLV5に達しておった。おそらく、人間であったこの者にヘイズが憑依したのじゃろう。妾が討伐した折、ヘイズの狐としての肉体はもはや使い物にはならぬほど傷ついておった。おそらくヤツは何らかの手段を使って、スキルごとこの人間に乗り移ったのじゃろう」
「え? それではもしかするとヘイズはまた……」
「その心配はない。既にヤツは首を刎ねられておる。誰かに憑依することは不可能じゃ」
おひいさまはそこまで言うと、ふぅと息を吐いた。
「とはいえ、ヘイズのことじゃ、どのような策を弄しておるのか分かったものではない。そなた、ご苦労じゃが、ヘイズの死体を焼いてもらえぬじゃろうか? そなたの火魔法であれば、一瞬で灰にできよう」
「……わかりました」
そのとき、俺の視界に、今までヘイズの死体を眺め続けていたサツキが、スッと体を起こすのが見えた。そして、その右手にキラリと光るものが見えた。
「バカ、やめ……」
一瞬のことだった。サツキが持っていた短刀で自分の胸を貫いた。ものすごい血がその体から溢れだし、見る間に床を染めていった。俺は慌ててサツキの許に駆け寄る。
「オク……タ……様……。私も……まい……り……」
俺が抱き留める前に、彼女はゆっくりとヘイズの体の上に倒れていった。……見事だった。本当に心臓を一突きにしていたのだ。俺の回復魔法でも治癒することはできなかった。
その後、俺はヘイズの死体を結界に閉じ込めて、一瞬のうちにその体を灰にした。そしてそれは、おひいさまたちが屋敷に持って帰ると言い、骨壺のような入れ物に丁重に入れて、サンディーユたちを伴って転移していった。
俺はメイとローニを呼び、サツキとオージンを診察させた。わかっていたことだが、サツキは完全にこと切れていた。一方のオージンは、一旦メイの研究所で調べることになった。脳が溶けたのであれば、呼吸ができなくなるので確実に死んでしまうのだが、彼女の場合は呼吸が出来ている。おそらく、脳は無事なのではないかというのがメイとローニの一致する意見だったのだ。俺はくれぐれもよろしく頼むと二人に言って、転移するのを見送った。
しばらくして、俺はソレイユと共にサルファーテ女王を引見した。彼女はルファナ王女に手を取られ、ヨロヨロと覚束ない足取りで俺の許に現れた。そして、タナ王国に蹂躙された時の恐怖を語り、見苦しいほどにアガルタに命を守って欲しいと懇願したのだった。
その女王の様子に、ルファナ王女も、その二人の姉たちも、じっと目を伏せたままピクリとも動こうとはしなかった。よく見れば、二人の姉の手は小刻みに震えていたのだ。その様子に俺は、先程のことを話そうかどうかを迷ったが、意を決して女王たちに口を開いた。
……女王たちは絶句していた。とりわけ女王は、おそらく最も信頼していた家来だったのだろう。それが妖狐・ヘイズであったと知って、呆然自失の状態になった。そんな様子を見ながら二人の姉たちは、レアルが裏切り者だったのであれば、これまでのことが全て説明が付くと納得し、挙句には俺に対して丁寧に礼を言う始末だった。
女王一行は、俺の、気のすむまで迎賓館に居てもいいという話と、迎賓館に居る限りは、アガルタ軍が万難を排して警護するという話を聞いて、涙を流しながら礼を言い、ゆっくりと部屋を後にしていった。
「何とも、後味の悪い結末ですね……」
誰も居なくなった部屋で、無言で空を見上げたまま微動だにしない俺の隣で、ソレイユがポソリと呟く。俺はゆっくりと彼女に視線を向け、大きなため息を一つつきながら、ゆっくりと立ち上がった。
「屋敷に帰ろうか。今日はありがとうな、ソレイユ」
ソレイユはゆっくりと頭を下げて立ち上がり、リノスにピタリと体を寄せた。彼女から伝わるほのかな温もりにちょっとホッとした感覚を感じながら、二人は帝都の屋敷に転移したのだった。