第三百六話 本物と偽物
「え? ……な!?」
俺は思わず呆然となる。本当にマトが二人いるのだ。いったいこれは、どういうわけだ?
「リノス様、離れてくれ! そいつは偽物だ!」
リコの後ろに控えていたマトカルが声を荒げる。いつもの、マトのいい声が部屋の中に響き渡る。
「リコ様、離れてくれ! そいつこそ偽物だ!」
今度は俺の後ろに控えているマトが声を荒げる。俺は絶対音感は持ち合わせていないが、全く同じ声に聞こえる。そんな中、二人のマトカルは剣を抜き、互いが剣を構えている。
「リコ!」
俺は思わずリコの手を取り、二人から離れる。
「リノス、どちらかが、偽物であることは間違いありませんわ」
そういうリコは、俺の腕を痛いくらいに掴んでくる。顔は平静を装っているが、内心はかなり動揺しているようだ。
「この偽物めぇ!」
「うりゃあ!」
一瞬の間をおいてマトカル同士の斬り合いが始まった。マトの剣術スキルはかなり高く、そこいらの者に負けることはない。だが、二人は互角の戦いを繰り広げていて、どちらかが手を抜いているようには見えない。完全に、ガチで二人のマトカルが戦っている。
「待て! やめろ!」
俺の一声で、二人はその動きを止めた。まさに一足一刀の間合いであり、どちらかが動けば必死の斬撃を叩き込める距離で、両者は肩で息をしながら睨み合っている。
「まず、二人とも、離れろ!」
俺の一言で、二人は剣を構えて睨み合ったまま、ゆっくりと後退していく。そして両者はお互いが壁に背中を付けるようにして、その動きを止めた。
「二人とも、剣を置け」
俺の声がむなしく響き渡る。二人は俺の声が聞こえなかったかのように、微動だにしない。
「剣を置け。置かないと、偽物と見なす」
俺は無限収納からホーリーソードを取り出し、鞘から剣を抜いた。その様子をチラリと見た二人は、一切警戒を解く気配を見せぬまま、ゆっくりと床に剣を置いた。
「二人とも、こちらに歩いて来い」
二人は睨み合ったまま、ゆっくりと俺たちの所に歩いてくる。何か不穏な動きがあればすぐに対処できるようにと考えているのだろう。二人の歩みが尋常でないくらいに遅い。
「止まれ!」
俺の数メートル前で二人は止まる。ここはまさに俺の一足一刀の間合いだ。俺がその気になれば、致命傷を叩き込める距離だった。
「よし、お前たち二人を調べる。まずは鎧を脱げ。身に寸鉄を帯びず、丸腰となるんだ。おかしな動きをしたら、その瞬間に、斬る」
俺のその言葉に、まずは左側のマトカルが反応した。彼女はさっと横に移動したかと思うと、すぐに鎧を脱ぎ始めた。その様子を見た右側にいたマトカルが、これまた無表情のまま淡々と鎧を脱ぎ始めた。
「あのっ……いや……そこまでせんでも……」
俺はただ、鎧を脱げと言ったのだが、二人のマトカルは一糸まとわぬ全裸になっていた。予想外の展開に、俺は少し戸惑ってしまう。
「私の体は、リノス様が一番よく知っているはずだ。どうぞ心ゆくまで調べてくれ」
右側のマトカルが毅然とした態度で口を開く。俺はその姿を横目で見ながら、左側のマトカルを見る。彼女も俺を見据えたまま、無言で力強く頷く。どちらも、マトならばそうするだろうと言う振る舞いだ。
俺はリコに耳打ちをして、まず右側のマトカルに向かって歩いていく。リコも左側のマトカルに警戒しながら俺の後ろについて来る。そして俺は、リコと同様、左側のマトカルに注意を払いながら、目の前のマトカルを調べる。髪の毛、顔、首、肩、胸、お腹……。手触りはいつものマトと変わりがなかった。ホクロの位置も、体に刻まれた傷跡も、俺の記憶にあるマトカルだった。彼女は全く無表情のまま、毅然とその場に立ち尽くしていた。
俺はリコを連れて数歩後に下がり、今度は左側のマトカルに向かっていく。そして、右側と同様、髪の毛からお腹まで手で触りながら調べていく。こちらも、手触りといい、ホクロの位置といい、傷跡の位置といい、いつものマトと変わりがなかった。そして俺は、彼女の背中に手を廻して、ゆっくりと腰に向かって下げていく。
「はっ」
思わずマトカルから声が漏れた。その瞬間、俺は目を見開きながら体を離し、呟くようにして口を開く。
「やはり、お前が偽物だ!」
目の前のマトカルがギョッとした表情を浮かべる。その瞬間に、俺はホーリーソードを振るっていた。
「ガハッ!」
不意を突かれたかのような表情を浮かべながら、もう一方のマトカルから声が上がる。俺の剣は、右側の、最初に調べたマトカルの胸を深々と貫いていた。
「な……なぜ……」
「上手く化けられるんだな。完璧だ。だが、俺の目はごまかせん。相手が悪かったな」
そう言って俺は、このマトカルから剣を抜き、そのまま袈裟懸けで斬りつけた。致死傷を負いながらもそいつは必死で体を躱して真っ二つにされるのを防いだが、剣はその左肩を切り裂き、彼女の左腕は床にボトリと落ちた。
「うぐあぁぁぁぁぁ!!」
肩から血を噴き出しながら、そいつは子狐の所に向かっていく。そしてその瞬間、子狐の体からまばゆい光が発せられた。
「ヘイズぅ!」
光の中、幼い少女がそいつを後ろから抱きしめ、そしてその唇を奪っている光景が見えた。ヤツの体がみるみる男の体に変化し、同時に斬られた左腕が再生されている。
「来い! リコレット!」
光の中から男の声が聞こえる。その瞬間、俺の後ろでガラスが砕けるような音が響き渡った。
俺はそれに目もくれず、光に向かって結界を張る。
「ぬあぁぁぁぁ!!」
男の断末魔にも似た絶叫と共に、その光は徐々に消えていき、やがて姿を消した。
「……逃げやがったか。やはり、ヘイズだったか」
俺は誰に言うともなく呟く。だが、俺の結界から逃げるのだ、肉体にはかなりのダメージがあるはずだ。そんなことを思っていると、マトカルの声が響き渡る。
「リノス様! リコ様が! リコ様が!」
俺の後ろにいるはずのリコが消えている。マトカルは眉間に皺を刻みながら、必死で俺に訴えかけている。
「落ち着け、マト!」
俺はチラリと部屋の片隅に目をやる。するとそこに、リコの姿が現れた。
「リ……リコ様……」
はぁぁぁと腰が抜けたような格好になるマトカル。そんな彼女にリコはゆっくりと近づき、彼女をギュッと抱きしめた。
「マト……よかった……」
俺もマトの傍に行き、片膝をつきながら、彼女に声をかける。
「お帰り、マト」
その言葉に安心したのか、彼女は目からポロポロと涙をこぼし、声を殺して泣き出した。
マトカルが落ち着くのを待って、俺はこれまでの経緯を彼女から聞いた。
森の中で体に衝撃を感じた後、気が付くと木を背にして倒れていた。愛馬のホークの姿はなく、森から外に出てみると、率いていた軍勢も見当たらない。その瞬間、彼女は何かがあったと察知し、リコに念話を飛ばした。彼女曰く、直感的にリコが狙われていると思ったのだと言う。それでリコの状況を確認するために念話を飛ばしたのだ。リコはそれを受けてすぐさまローニを呼び、彼女の転移を使ってマトカルをアガルタの自分の部屋に移動させた。彼女が転移して来るまでの間に、タイミングよく偽マトカルが帰還し、俺が呼んでいるとリコの部屋に伝令が来たのだと言う。それでリコはマトを伴って、やってきたのだそうだ。
「それにしても、リコ様が無事でよかった。一体いつの間に転移していたのだ?」
マトが安心したように口を開く。俺は笑みを湛えながら言葉を返す。
「マトが裸になった後、俺がリコに耳打ちしただろう? あのときに、リコに姿が見えなくなる結界を張って、同時に、リコの姿を映し出す結界を張ったんだ」
「あのときリノスが、部屋の隅に行けと言ったのですわ。私はその言葉に従って、ただ移動しただけに過ぎませんわ」
「そんなことが……。しかし、どうしてリノス様は、あれが偽物だとわかったのだ? 私自身も、あそこまで似せられるとは思わなかった。剣の癖、歩き方、話し方……。そして体の傷まで……」
「そうだな。確かに見た目は全く一緒だったし、何がすごいかって、マトのスキルまで一緒だったんだ。鑑定スキルを発動させてみたんだが、全く一緒のスキルが表示されていた」
「では……私の過去を、覗いたのか?」
「いや、それには時間がかかるから、敢えてしなかった。そんなことをすれば逃げられると思ったからな」
「一体、リノス様はいつ、偽物を見破ったんだ?」
「二人が剣を床に置いて睨み合っているときだ」
「え? そんなときによく……見破れたな……」
「簡単なことさ。片一方のマトには結界が張られていて、もう一方には結界が張られていなかった。さすがはヘイズだとほめてやりたいが、俺の神結界まではマネできなかったようだな」
俺はニヤリと笑みを浮かべながら、クックックと笑い声を漏らす。そんな俺にマトカルは呆れたような声を上げる。
「リノス様も、人が悪い。それならば、あのようなことを言わずとも……」
「ああ、身に寸鉄を帯びずにってやつか? あれは本当に武装解除をさせようと思ったんだ。ここまでマトに似せられる相手は妖狐・ヘイズの可能性が高い。体の中にどんなマジックアイテムを持っているのかわからなかったからな。でも、マトが裸になってくれたおかげで助かった。お蔭で、ヘイズの体に触れることができた。マト、お手柄だぞ」
俺の言葉がまだよく理解できないと言う表情を浮かべながら、マトカルは俺を見つめている。そして、ちょっと俯き加減になり、小さな声で俺に口を開いた。
「でっ……では、どうして、私だけ背中と、尻を触ったのだ?」
「ああ、あれか。いや、本物のマトだと確信したかったんだ。ほら、マトは、お尻が……な?」
その言葉を聞いた瞬間、マトカルの顔が真っ赤になった。それを見てリコが俺を睨んでいる。ごめんなさい、調子に乗りすぎました。
俺は照れ隠しもあって、オホンと咳ばらいを一つして、リコとマトを交互に見つめながら、ゆっくりと口を開く。
「妖狐・ヘイズには罠を仕掛けることができた。これが吉と出るか凶と出るか……。いずれにせよ、ダメなら次の手を考えるまでだ。だが、あの妖狐……マジで侮れないな。それに、あの狐に化けた少女も……な。正直、致命傷を叩き込めたと確信していたんだが、あの少女はとんでもない速さでその傷を治癒していたようだからな。リコ、マト、これからのアガルタの体制を、考え直さなきゃいけないぞ」
俺の言葉に二人は大きく頷く。その後、マトカルは服を身に付け、リコと共に仕事に戻っていった。その夜、マトは昼間のことが余程恥ずかしかったのか、悔しかったのか、俺を朝まで寝かせてくれなかった……。