第三百五話 マトカルと子狐
「……マトカル様!」
鎧を装備した男たちが声を上げる。その視線の先には、ゆっくりと森の奥から馬を操りながらこちらに向かって来るマトカルの姿があった。
「大丈夫だ、心配するな」
「一体、どうされたのです?」
「いや、このホークが、何かを感じたのだろうな。突然歩き出したのだ。今までこのようなことはなかったから、少々私も驚いてしまった。だが、ホークはさすがに賢い馬だ」
「それが……その、肩の……」
兵士たちが驚くのは無理もない。マトカルの肩に、黄色い子狐が巻き付くようにして乗っていたからだ。だが、彼女はそんな兵士たちを見て、にこやかに笑みを讃える。
「いや、突然木の上から落ちて来たのだ。どうやら怪我をしているらしい。おそらくホークはこのことを感じたのだろう。だとすれば、見捨てていくのも……な」
マトカルは肩に乗せている子狐にチラリと視線を向けると、再び微笑む。そして、いつもの表情に戻り、口を開く。
「それで、アンデッドたちは?」
「すべて討伐しました」
「そうか。ご苦労だった。念のため、死体は全て焼却せよ。再び復活することも、ないとは言えないからな」
「はっ」
兵士の返答に頷きながら、マトカルは馬を走らせた。
マトは意外に早く迎賓館に帰ってきた。アンデッドは問題なく討伐され、兵士たちの被害もゼロだったようだ。普段はいの一番に直接俺に報告に来るマトなのだが、今回は珍しく伝令を使って報告してきた。一体どうしたことだと尋ねたところ、何と子狐を拾ったのだという。そして、マトは帰ってくるなりその子狐を手当てし、ミルクを与えるなどして介抱しているのだという。
「ふぅ~ん。マトが……か。何だか珍しいな。だが、子狐というのが気になるな。もしかするとおひいさまの眷属かな? よし、一度見に行ってみるか」
そう言って俺は、伝令の兵士にマトがいる部屋まで案内してもらったのだった。
「リノス様!」
部屋に入ってきた俺に、マトは驚いていた。だが、すぐにいつもの冷静な顔に戻り、テーブルの上の子狐に目をやった。子狐はミルクを飲みながら、与えられたパンを食べている。どうやらかなりお腹がすいていたようだ。
「この子狐か……」
「いや、ホークがいきなり森に向かって歩き出したのだ。一体何事かと思っていたが、突然木の前で止まったかと思うと、この子狐が落ちてきたのだ。あの馬は頭のいい馬だ。きっと何かを感じたのだろうと思ってな。それで連れてきたのだ」
「そうか、もしかするとおひいさまの眷属じゃないかと思っていたんだが、毛の色が黄色だから、それも違うようだな」
「いや、むしろ、人間が狐の姿にされているのかもしれないな」
「え? それじゃまさに美女と野獣みたいだな」
「美女と野獣?」
「あ、知らないよな? うん、確かに知らない話だな。あるとき、美しい王子がいたんだが、傲慢でわがままだったんだ。で、その王子に老婆が尋ねてくるんだが、その老婆を邪険に扱ったら、老婆が魔女でな。醜い獣の姿に変えられてしまったんだ。で、真実の愛を見つけるまでその呪いは解けない……。そんなお話だ」
「醜い獣……。獣に真実の愛など、どうやって見つけるのだ?」
「あ、いや、そういうことじゃなくて……。その……何て言うのかな? 獣の姿をしているが、人間の心をもっているというか……な。まあ、結局、真実の愛を見つけて、姿が人間に戻って、めでたしめでたしになったと記憶しているんだが、この子狐も、そんな感じなのかな?」
俺はそんなことを言いながら、子狐に向けて鑑定スキルを発動させる。
「なっ! うわっ!?」
「どうしたのだ、リノス様!?」
俺が思わず飛びのくようにして傍を離れたので、マトカルが驚いている。俺は眉間に皺を寄せながら、彼女に向けて口を開く。
「この子狐、タダ者じゃないぞ」
「え? ……どういうことだ?」
「何だか、この子狐には、何重もの魔法がかけられているようだ」
「なぜ、そう言い切れるのだ?」
「色んな魔法を感じるんだよ」
実際、この子狐を鑑定しようとすると、頭の中に砂嵐のようなイメージが爆音とともに浮かび上がったのだ。言うなれば、昔のブラウン管テレビで、受信できないチャンネルを合わせたときに出ていた、あの映像と音だ。……平成生まれには、わからないかもしれない。近くの昭和生まれの人たちに聞いてみるといい。何とも言えぬイヤな音だったのだ。
それでも、この子狐からは断片的ではあるが、情報を得ることはできた。どうやらこの子はまだ幼い少女のようだ。色々な色のついた球体が、この少女を包んでいる場面が見えた。おそらくこれは、魔法が何重にもかけられていることを表しているのだろう。念のために、魔力探知を発動してみたところ、確かに、この子狐からはかなり強力な魔力を感じる。
「これを解くためには……相当大変そうだな」
俺はそんなことを呟きながら子狐を見つめる。彼女は、その視線を怖いと思ったのか、トコトコとマトカルの所に歩いていき、キュイキュイと可愛らしい鳴き声を上げた。マトカルはその子狐を愛おしそうに抱き上げる。
「早く、元の姿に戻れるといいな」
そう言ってマトは子狐に微笑みかけた。その後彼女は、子狐を肩の上に乗せ、再び俺に向き直った。
「リノス様、一つお願いがあるのだ」
「どうした?」
「リコ様を呼んで欲しいのだ」
「リコを? 何故だ?」
「ちょっと、緊急に相談したいことがあってな」
「何? どうした藪から棒に?」
訝る俺に、マトはじっと視線を合わせたまま黙っている。
「すまん、女同士でないと、いけない話なのだ」
マトカルのその表情は真剣そのものだ。俺はいつもとは違うその雰囲気に押されてしまう。マトが抱えている悩みならば、いくつか心当りがあるが、そのことだろうか。いずれにせよ、男たる俺には話しにくい内容であることは間違いない。それならば、子供たちがいる屋敷では相談はしにくいだろう。それに、この迎賓館で仕事中のリコは基本的に忙しい。マトが行けば相談に乗ってくれるだろうが、彼女の仕事の手を止めるのも憚られるだろう。となれば、リコのスケジュールを知っている俺に頼むのは自然なことだ。俺は自分の察しの悪さを恥じながら、申し訳なさそうに口を開く。
「ああ、気づかずにすまなかったな。リコだったら、今の時間であれば出て来られるだろう。でも、そんなに時間はないと思うぞ? 夕方4時くらいになるとまた、書類のチェックが始まるだろうから、30分くらいしか相談に乗れないと思うが、大丈夫か?」
「問題ない。お手数をおかけして、申し訳ない」
マトはスッと一礼をした。俺は気を使う必要はないと言いながら人を呼び、リコにマトカルの部屋まで来るように伝えてくれと命じたのだった。
リコがやって来るまでには時間がある。俺はマトに改めてアンデットが何故、このアガルタで発生したのか、そして、今後の対策をどうするべきなのかを話し合った。
マト曰く、亡くなった人を埋葬するときに、土葬してしまうと、稀にその死体がアンデットとして復活することがあるらしい。特に古の時代に大規模な戦闘があった場所などでは、そうしたことが起こりやすいのだと言う。今回、アンデッドが出現した箇所は、その昔、ジュカ王国軍とヒーデータ帝国軍が激突し、多くの犠牲者を出した、言わば古戦場であったらしい。ジュカ国内深くにおびき寄せられた帝国軍が、待ち構えていたカルギ元帥が率いるジュカ軍に徹底的に壊滅させられた場所であったそうで、あの場所では相当数の兵士が死んだらしい。
「かなり激しい戦闘だったので、両軍ともに死傷者が多く、死体を荼毘にふせるだけの余裕がなく、穴を掘って死体を埋めたのだろう。割合凶暴で、戦闘力の高いアンデッドが出現するのも、頷ける気がするな」
そんなマトカルの話を聴いていると、部屋の扉がノックされる。どうやらリコが来たようだ。俺が入室を促すと、リコが部屋に入ってきた。だがその直後、俺は驚愕の光景を目にして、絶句してしまった。
……何と、リコの後ろから、もう一人のマトカルが部屋に入ってきたのだ。




