第二百七十七話 嵐の前の静けさ
「帝様、実は昨日、クワンパック様のご息女のオージン様が、連れ去られそうになったのです」
俺に促されるような形でドーキが口を開く。帝は少し驚いたような顔をしながら、言葉を返す。
「何と、オージンが、か?」
「はい。それで、たまたま居合わせた、こちらのリノス様がその犯人に疑われまして……その……クワンパック様のご家中である、ハーギ様たちに囚われそうになったのです」
その言葉を聞いた帝は、さも申し訳ないと言わんばかりの顔をして俺を見た。そして、ゆっくりと天井を仰ぎ、ふう~っと大きなため息をついた。
「オージンに目を付けた、か……。かどわかしが流行っておると聞いていたが、まさかオージンを攫うとは思わなんだわぇ。……今朝、カチンを持ってきたときには、そのような話は聞かなんだな?」
「申し訳ありません」
「いや、ドーキのことじゃ。マロに心配をかけぬようにと配慮してくれたのであろう? よい、感謝するぞよ」
「そんな、勿体ない……」
「で、オージンらは今、どうしておる?」
「私の店においでになります。その……」
ドーキが言いにくそうにしているので、俺が代わって話をすることにする。
「彼女らは、ドーキの店で眠っています」
「眠っている? ハテ? どういうことじゃな?」
「いや、昨日ひと悶着あったばかりですので、ドーキのことが心配になりまして、今朝もう一度様子を見に行ったのです。そのついでということもありませんが、彼の同胞と共に、私の屋敷にある塩も運び込んだ次第です。……ええ。ポーセハイは転移できますから。で、今朝、彼の店に行くと、サツキという女性と、そのお姫様と鉢合わせをしましてね。で、店の中で話を伺ったのですが、まあ、サツキ……という女性とちょっと口論めいたものになりまして……。で、私が彼女の空間魔法で閉じ込められたのですが、何とか脱出することはできましたが、それをするに際して、彼女に眠ってもらったという次第です」
「な……何と? サツキの空間魔法から脱出した……と?」
「ええ、たまたま、なのですが。ええと、そのサツキですが、実は、あのお姫様を隣国のタナ王国に連れて行くつもりだったようで……」
「何と?」
帝には予想もしなかった答えだったのだろう。キョトンとした顔をしている。俺が鑑定スキルで見たサツキの過去は、幼いころから懸命に努力していたが、ある時を境に突然男に操られ、その関係が今も続いているということだ。コイツを操る男こそ、わがまま姫の誘拐を計画した本人であり、実行犯でもあったのだ。
「タナ王国は、どうやらサツキとお姫様に何かをやらせようと企んでいるようですね」
帝は再び大きなため息をついた。そして、ゆっくりと手を三回打つ。
「……これに」
現れたのは、一人の女性だった。しずしずと歩いているが、この部屋に来るまでの速さが常人離れしている。俺の気配探知には、この部屋の外に突然反応があったように感じたのだ。一体コイツらは何者だろうか?
「ドーキの店に行き、オージンとサツキを連れて参れ」
「承知」
「帝様」
不意にドーキが口を開く。女は立ち上がろうとしていたが、帝をチラリと見て、やがてすぐに居住まいを正してその場に端座した。
「僕が連れて来ます」
「ほう、そなたがかえ? 転移……か? そなたは大丈夫なのかえ?」
「はい、問題ありません。ただ……僕の同胞も一緒に転移してくると思います。よろしいでしょうか?」
「うむ、構わぬ」
「では」
そう言ってドーキはその場から消えた。そして、ものの1分も経たないうちに、チワンたちと共にこの場に戻ってきた。相変わらず女たちはスヤスヤと眠りについている。ドーキはかなり具合が悪そうで、肩を小刻みに上下させている。俺は黙って彼にMPをチャージしておいた。
そして、同時に俺は、結界で眠っている女たちを起こした。
「ふぁぁぁぁ……よく寝たのじゃ」
姫が大あくびをしながら体を起こす。続いてサツキとハーギがゆっくりと目を覚ます。
「あれ……ここは……?」
「みっ、帝様!? ひー様! ひー様!」
「うあん? うえっ!」
女たちが固まっている。帝は相変わらず微笑を湛えた顔で彼女らを見つめている。彼はゆっくりと俺たちに視線を移し、そして優しい口調で話しかけてきた。
「人払いじゃ。済まぬが、席を外してくれまいか?」
「し、しかし帝様……」
「よい、ドーキ。マロのことならば心配はいらぬ。リノス殿とやら……。この度は誠に迷惑をかけた。この侘びと礼は、必ずさせてもらうによって、しばし時間をくれまいか。この度のこと、すまぬ」
そう言って彼は俺に深々と頭を下げた。
「いえ、気にしないでください。頭をお上げください」
ゆっくりと頭を上げた彼は、相変わらず微笑んでいた。
「御退出を……」
帝の側に控えている女に促される形で、俺たちは部屋を後にした。そのとき、女たちの顔を見たが、全員が顔面蒼白で、ハーギに至っては震えながら平伏したままだった。俺たちはドーキの案内で館を出て、そのまま彼の店に向かった。
「……震えていましたね」
館を出てしばらくすると、チワンが呆れたように口を開く。
「ああ。ドーキ、帝様と言うのは、あんなに朗らかな顔をしていたが、やはり怖い人なのか?」
「いいえ。とてもお優しい方ですが……。ただ、帝様の前に出ますと、どうしても嘘がつけないのです」
「嘘がつけない?」
「はい。その雰囲気と言いますか、邪念を感じ取られますので、嘘をつくとすぐにバレます。そして、あの感じで優しく諭されますと……大抵の人間は白状してしまいます」
「何かそんなスキルを持っている……ということかな?」
「僕にはよくわかりませんが……」
「何ともよくわからない人だな。ただ、今の話を聞く限りでは、あの女どもは帝の前で色々なことを吐かされているのかな?」
「はい。洗いざらい全部喋っていると思います」
「凄まじいスキルだな」
「どうなのでしょう。スキルのことについては、僕も深くは聞きませんし、帝様もお話になりませんから……。ただ、あんな感じで我々と気さくにお話になりますし、お礼の類は絶対になさる御方で、とても誠実な方なのです」
「うーん、まあ、確かに、何となく助けてやりたいなと思う気持ちもわからなくはないが……。ただ、あの風貌は珍しいな。頭に立派なツノが生えていたな。人族……か?」
「いえ、オーガと人族の混血だと聞いています」
「オーガとか……」
そんな会話としていると、ドーキの店に着いてしまった。そこには、朝、俺たちと一緒に塩を運んだベンテが待っていた。
「あ、旦那、お帰りなさいやし」
「ああ、ベンテさん。戻られましたか。塩は大丈夫でしたか?」
「へい。残りの五ケ町全てに持っていってめぇりやした。どちらも皆、大喜びでさぁ。で、近いうちに、旦那衆の寄り合いをやりてぇと南町の旦那が仰っておいででした。あと、塩を下さったお方にもぜひお礼がしてぇと」
「ああ、そうですか。それはそれは本当にご苦労様でした。これは……今日のお礼です。皆さんでお酒でも召し上がってください」
ドーキは懐から小粒の銀を取り出して彼に与えている。ベンテは恐縮しながらその金を受け取り、丁寧に礼を言ってその場から去っていった。その後、俺たちはこれからのことを話し合ったが、ドーキは帝様にすべてを任せておけばいいと言って、平然とした顔をしていた。クワンパック家から姫たちのことを追及されないのかと思ったが、その心配はないという。彼はこのまま夜の営業に入ると言って、料理屋に向かっていった。さすがにこのままでは心配なので、俺たちはポーセハイのゼンハイにここに残ってもらうことにした。彼も問題ありませんと言ってくれ、ドーキは恐縮しきりだった。
何かあればすぐに念話を送るように伝えて、俺たちは一旦帰途に就いた。もう少し、色々とモメることを予想していたのだが、何ともあっけなく一日が終わってしまった。しかしそれは、嵐の前の静けさであり、ドーキから緊急の念話が送られてきたのは、その次の日のことだった。




