第二百六十九話 なんでそうなるの?
ピアトリスが生まれてから5日後、鹿神様と入れ替わるようにして、ドーキが屋敷に転移してきた。彼は息子のイデアが誕生して以来、10日に一度くらいのペースで、俺たちにお菓子を届けてくれるようになっていた。と、いうのも、彼の作るお菓子を食べると、リコの体調がすこぶるよくなるのだ。そのことでお礼を言うと、彼は喜んでお菓子を持って来てくれるようになった。
今回は、ピアトリスが生まれたこともあり、その祝いを兼ねて、いつもよりも多めのお餅を持って来てくれた。彼の作るお菓子はマジで美味い。何というか……とても上品な味わいなのだ。
俺たちも、貰うばかりでは気が引けるので、いつも帰るときはお土産を持たせるようにしている。遠慮深い彼は、最初はなかなかそれを受け取ってくれず、MPをチャージしてくれるだけで十分だと言うのだが、結局、押し問答の末に、俺のお土産をヒントに美味いものを持って来いと言って、ようやく受け取ってもらったのだ。
今回も、俺の作ったあんことエラサハル、いわゆるかつお節と、乾燥させた昆布をお土産に用意している。なぜ、かつお節と昆布なのか。それにはちょっとした事情がある。
彼は絶品のお菓子を作る一方で、元々経営していた料理屋で出している料理については、大きな悩みを抱えていた。それは、料理がイマイチ美味しくないという、食べ物屋にしてはなかなか厳しい問題に直面していたのだった。ただそれは、全てがドーキの責任ではなく、使える調味料が少ないという理由によるもので、そんな中でもかなり味の研究をし、現状からしてみればむしろ善戦していると言えた。だが、我が家の食事と比較してしまうと、お話にならないレベルで、実際、初めて彼の作った料理を口にしたとき、俺たちは全員無言になった。
色々話を聞いてみると、ミーダイ国では基本的に、調味料と言えば塩のみであり、あとはシイタケのようなキノコを煮詰めてダシを取るくらいなのだと言う。どうりで、何ともコクのない食事が出来上がるはずだ。
そこで、俺が作ったかつお節と、乾燥した昆布でダシを取ることを教えてあげた。彼は大いに感動し、それ以来いつも、お菓子を持ってくるのと同時に、カツオと昆布ダシを用いた料理も持ってくるようになった。
味はかなり美味しくなっている。これならば店に出せるレベルだとは思うし、リコを始めとするウチの家族にも評判はいい。だが、ローニだけは、頑なに彼の作る料理に手を付けないでいた。初めて食べた時の味があまりにも微妙過ぎて、それ以降、彼の料理を信頼しなくなっていたのだ。
一度でも食べてくれると、おそらく気に入るはずだし、ドーキのことを見直してくれると思うのだ。俺としては、何とかローニとドーキとの間を取り持ってやりたいが、なかなか女子の心は複雑だ。今のところ、全く進展する様子がない。
そんな俺たちを前にして、ドーキはいつになく申し訳なさそうな表情を浮かべながら、口を開く。
「リノス様、僕はしばらくの間、こちらにお邪魔できそうにはありません」
「どうした?」
「その……ミーダイ国の塩が尽きそうなのです。一応、僕は転移が出来ますので、塩を仕入れに行こうと思っているのです。恐れ入りますが、大量の塩が採れる国をご存知でしたら、教えていただけませんか?」
聞けば、これまで塩の取引をしていた隣国から突然、交易を停止されてしまったのだという。当然、塩がなければ生活ができない。山国で唯一の塩の取引先がなくなってしまったため、ミーダイ国は大きなダメージを受けているのだそうだ。
山の中にある国とは聞いていたが、ミーダイ国とは一体どんな国なのか。ゴンに聞いて調べてみると、何のことはない。ニケ王のいるサンダンジ国とメインティア王のいるフラディメ国のちょうど中間にある国だった。とはいえ、断崖絶壁な山の中の窪地に作られた国であり、交通の便は極端に悪い。地形の話を聞く限りでは、もしかすると元々は、火山の噴火口だったのかもしれない。
周囲を断崖絶壁に囲まれているために、ミーダイ国からサンダンジ国とフラディメ国に行くのは、多大な労力を要する。唯一、交易ができる国は隣国のタナ王国なのだが、この国が突然ミーダイ国に交易中止を通告してきた。しかもこの国は、熱烈にクリミアーナ教を信仰している国なのだという。
「10年前の大戦も、クリミアーナ教が原因だったみたいです。元々、ミーダイ国は土地柄もあって、あまり外国とは交流していなかったんです。そこに、クリミアーナ教の人たちが徐々に移り住んできて、自分たちの信仰を広めようとして……それを止めさせようとした人々との間で戦闘になって、それで国の大半が焼き払われてしまったんだそうです」
「クリミアーナは本当にロクなことをしないな」
俺は懐かしそうな顔をして遠くを見つめる。そんな様子を見ながらドーキは言葉を続ける。
「……僕がミーダイ国に住んだのは、戦いが終わって3年ほど経ってからですが、それでも、国は焼け野原でした。人々は力を合わせて復興させようとしていましたが、それでも全然間に合わなくて……。タナ王国には岩と岩の間にできた細い道を通るしかなくて、馬車は通れません。仕方がないので、人々は食糧や資材を背中に背負ったり、馬の背中に乗せたりして運んでいたのです。でも、ついこの間、突然タナ王国がミーダイ国とは取引をしないと言われてしまいまして……」
「何かそれ、裏で何か動いているような気がするな。クリミアーナ……だろうな。何の意図があるんだろうな?」
「僕にはそうしたことはよくわからないのですけれど……。まずは塩がなければ料理ができませんので、それが一番急を要するのです。今のままではミーダイ国は2か月も持ちません」
「なるほど、確かにそりゃそうだ。まあ、塩ならこの屋敷に沢山ある。それを持っていくといい」
「え? 本当ですか?」
俺はキッチンを通り、地下の貯蔵庫に向かう。そこから、塩の入った壺を取り出してダイニングに戻る。この間、クルムファルから仕入れたばかりなので、まだ貯蔵庫には大量の塩があるのだ。
「4つもあれば、結構持つんじゃないかな? まだあるから足りなければ言ってくれ」
ドーキは一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに顔を曇らせた。
「あの……お支払するお代金を持ち合わせていないので……」
「いいよ、持っていきな。代金は出世払いでいいよ」
「シュッセバライ?」
「無理のない範囲で返してくれればいいってことだ。あと、塩なら沢山取り寄せられる。必要な量を言ってくれ」
「あ……ありがとうございます。このご恩は……。この量でしたら、僕の店は、半年くらいは大丈夫かと思いますが、ミーダイ国全体となると……塩壺はあと20くらい必要だと思います」
「20? そんなもので足りるのか?」
「あまり大量に持って行っても塩が溶けてしまいますので、向こう3か月くらい必要な量で言うと、そんなものかなと思います。一度に持っていくのは無理ですので、月に何度か、頑張ってこちらに塩を取りに来させていただきます」
「それで間に合うか? チワンに頼んだらどうだ?」
「え? チワンさん?」
「お前はMPが少ない。そう何回も転移できないだろう? 何人かのポーセハイに手伝ってもらった方がよくなくないか?」
「は……はい」
ドーキは申し訳なさそうに俯いている。本来は俺の転移結界を使えばいくらも運び込めるのだが、さすがにこれは秘匿しておきたい能力なので、敢えてチワンを使うことにした。俺はドーキに気にすることはないと言って、彼をダイニングのテーブルに座らせる。そして、チワンに連絡を取る。
しばらくして、彼はローニと3人のポーセハイと共に転移してきた。
「お久しぶりです、リノス様。お姫様誕生のお祝いにも来ることが出来ずに、申し訳ありませんでした」
「いや、いい。研究が忙しいのはメイから聞いている。あんまり無理はしないでくれよ?」
「はい。ありがとうございます」
そう言いながらチワンは、俺の隣に座っているドーキに視線を向ける。
「ドーキ、塩が止められていると聞いた。大変だな。俺たちでよければ手伝うぞ。ちょうどお前の住まいも確認したいと思っていたんだ」
「すみません。本当に……ありがとうございます」
「まずはチワン、ウチの食糧庫の塩壺を全部ミーダイ国に持っていこう。あと10個くらいあるんだ」
「わかりました」
そう言って、俺はチワンを食糧庫に案内する。ローニも行くかと思いきや、彼女はぴょこんとお辞儀をして離れに向かった。どうやら、シディーと子供の様子を見に行ったようだ。俺たちはその後姿を見送り、そして、チワンが連れてきた若いポーセハイと共に、塩壺をえっちらおっちらと運び出していく。
「では、転移させよう。まずはドーキ、お前は俺と共にミーダイ国に転移してくれ」
「わかりました」
そう言って二人は転移していく。そしてしばらくしてチワンが戻ってきた。彼は部下と共に塩壺を転移させようとする。
「あ、チワン、待ってくれ。俺も一緒に連れて行ってくれ。おそらくこれからもっと沢山の塩が必要になるだろう。その時のために、ミーダイ国に転移結界を張っておこうと思うんだ」
「ああ、そうですね。そうしていただけると助かります」
「ただ、これはあくまで秘密だからな」
「わかりました」
そんな話をしながら、俺も彼らの転移に紛れ込み、ミーダイ国に転移したのだった。
……到着したのは店の玄関だった。予想以上に狭く、俺たち5人と塩壺で、既にいっぱいいっぱいだ。
「あれ? ドーキは?」
チワンが苦笑いを浮かべて隣の部屋を指さしている。見るとそこには、MP切れを起こしてぶっ倒れているドーキの姿があった。
「……ううう、すみません」
ガックリとうなだれるドーキ。俺は気にするなと声をかけ、チワンらと共に塩壺を店の奥に運んでいく。
「……全部入りきらないですね」
「そうか、じゃあ仕方がないな。まあ、ちょうどいいや。外で保存しよう。どうせなら結界を張って、塩が溶けないように効果を付与しようか。ちょっと大き目の結界を張ろう」
そう言って俺は、目の前の勝手口と思われるドアをゆっくりと開けた。
ドン!
「うおっ!」
突然、右半身に衝撃を受けた。すぐ目の前には壁が見えている。どうやら小さい、人ひとりが通れるくらいの狭い裏路地に通じる扉だったようだ。そして、ふと右側を見ると、牛のような顔をした、でかい男が尻もちをついていた。小脇に大きな布袋を抱えているが、よく見ると、その袋はゴソゴソと動いている。
「……ケテ。……タス……テ。タスケ……テ」
かすかに聞こえる声。俺がその声に気を取られている隙に、牛男は無言で背中に差している剣を音もなく抜いていた。それに気が付いた時にはもう、剣は俺の体に突き刺さる寸前だった。
ドスッ!
……男の剣は、ちょうど開いた扉に突き刺さった。俺は剣が刺さる瞬間に身を引いていたのだ。と同時に、牛男の顎をめがけて蹴りを放っていた。
「ぐはっ……」
悶絶する牛男。どうやらタダ者ではなさそうだし、完全にあかん奴のニオイがする。そのとき、地面に転がっている袋が再びゴソゴソと動いたかと思うと、その中からぴょこっと何かが飛び出した。
「……子供!?」
出てきたのはまだ幼い、おかっぱ頭の少女だった。彼女は俺と目があった瞬間に、大きく息を吸い込んだ。
「たぁぁぁぁぁぁすぅぅぅぅぅけぇぇぇぇぇぇてぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~!!」
だぁぁぁぁ~~うるせぇ~~!! 余りの大声に、俺は思わず耳をふさぐ。
「見つけぁ!」
路地の奥から女の声がしたかと思うと、たちまち俺の前に3人の女が現れた。
「ひー様! お怪我は!」
「おお! ハーギ! 助けてたべ!」
女たちはすぐさま抜剣してその切っ先を俺に向けながら、素早く少女を自分たちの背後に匿う。そして、そのうちの一人が、落ち着いた声で口を開く。
「お主らが巷を騒がす、かどわかしか? もう逃げられぬぞ! 神妙に縛につけ!」
……濡れ衣だ。