第二百六十八話 なぜなぜなぜ どうしてなの?
「はぁぁぁぁ~。ふぅぅぅ~」
ため息をついているのは、リノスの妻の一人であるソレイユだ。愛嬌のある顔立ちと、とりわけ、その豊満な胸は、リノスの妻たちの中でも際立った存在だ。そんな彼女は、今、自分の胸に手を当てながら、一糸まとわぬ裸の状態で、その体を鏡の前にさらけ出していた。しかし、鏡に映る彼女は、なぜか浮かない表情だった。
……我ながら整った顔立ちだと思う。ちょっとタレ目なところが気になるが、冷静に分析すると、これがいい愛嬌になっている。リコ様のようにキッと目が吊り上がっているわけでなく、メイ様のように知性を湛えた目でもなく、シディーのようにクリっとした、いかにも可愛らしいですよという目でもない。そして、マトカルのようにジトッとしたような目でもない。そう考えると、リノス様のお側にいる女は全てタイプが違う。見事なものだと思うと同時に、キャラが被っている人がいないので、助かったと思う気持ちもないではない。
実のところ、ソレイユは焦っていた。このリノス家のお妃の中で、自分だけが子供を産んでいないのだ。厳密に言えば、マトカルも同じだが、彼女は流産になったとはいえ、一度、リノス様の子供を宿している。と、いうことは、次も子供ができる可能性は高いのだ。
このままであれば……ソレイユは考える。もし、このまま子供ができなくても、それを理由に自分を追い出すようなリノス様ではない。そして、リコ様を始め、他の皆も自分を追い出すことはないだろう。しかし、母親であり、サイリュースの族長である、ヴィヴァルはどう思うだろうか。
リノスの妃に迎えられるにあたって、ソレイユは一族から大いなる期待をかけられて里を送り出されていた。それは言うまでもなく、優秀な子供を産むことであり、ゆくゆくはその子を族長とすることであった。
サキュパスの血を引くサイリュースは、元々から妊娠しにくい体質ではあった。そのため、多くのサイリュースは複数の男たちと交わりながら子孫を残そうとする。現に、メインティア王の側室であるノレーンの主治医を務めたキュイレールも、王の側近たちと交わり、この度めでたく子を宿している。
しかし、ソレイユにはその選択肢は全くと言っていいほどなかった。自分が他の男と交わることは、リノスとその家族への裏切りになる。と、いうより、リノス以外の男と交わること自体が、彼女にとって考えたくもない事柄であった。そういった意味では、彼女は、サイリュースの中では珍しい一途な性格であると言えた。
ソレイユはその豊満な体を、色々と角度を変えながら鏡に向かって映し出す。我ながら、いい体をしている。さすがに、リコ様のような、シミ一つない美しい肌ではない。メイ様のように、ちょっと大きめで、形のいい胸ではない。大きさでは負けはしないが、形の良さ……という点では、メイ様に軍配が上がる。しかし、シディーのように、膨らみ始めたような胸に比べれば、圧勝しているだろう。ましてや、マトカルのように体中に傷があるわけではない。ちょっと、左胸の下と、おへそ、そして、右の内ももと背中の数か所にホクロがあるが、それでも、ぶっちぎりの勝利だろう。ということは、自分の体はリノス家では可もなく不可でもない位置ではないか。体が中途半端だから子供ができない? いや、もっと別の原因がありそうだ……。
彼女がこんなことを真面目に考え始めたのは、つい最近のことだ。と、いうのも、メイの娘であるアリリアがソレイユに懐いていて、彼女はその可愛らしさにメロメロになっているのだ。とりわけアリリアは、ソレイユの歌がお気に入りだった。特に精霊を慰める歌を歌ってやると、アリリアはまだ回らぬ舌で一緒に歌おうとさえするのだ。
「ら~らららら~らららら~~~ららら~ららるるるるら~るるるる~ら~」
「た~た~」
最近では一部の曲を覚え、その最後の部分を一緒に歌うのだ。ソレイユはその振る舞いに心からカワイイと思いつつ、これが自分の娘であればさぞ……といったようなことを考えるようになった。おそらくアリリアは、自分のようには歌えないだろう。サイリュースには独特の音感がある。その微妙な音感は、彼女には把握することは出来ない。やはり、サイリュースでなければ歌えないのだ。
そう考えた時、ソレイユはやはり自分の娘が欲しいと思う。自分が母から習い覚えた、精霊と交わるための多くの歌を伝えたかった。その中には、一子相伝の秘曲もあるのだ。かわいい自分の娘にそれを伝えたい。ソレイユは子供たちを抱くたびにその思いを強くしていった。
どうしたら、子供を授かるだろうか? 彼女は思い余って、母・ヴィヴァルに手紙を出した。そして返ってきた内容は、口に出すのも憚られる程の過激な性技が書かれたものであった。
「……いや、そうじゃなくて」
ソレイユはその内容に絶句し、手紙を燃やそうと思いつつも、それを机の引き出しの奥深くにしまい込むのだった。
彼女は裸のまま思い悩む。一体どうすれば……。自分の何が悪いのかを考える。だが、答えは出ない。そのとき、彼女の頭に閃くものがあった。ソレイユはいそいそと下着をつけ、服を身につけて、飛び出すようにして部屋を出て行った。
「う~ん、どうなんだろう……」
眉間に刻めないシワを刻みながら、シディーは答える。彼女は、先日生まれたばかりのピアトリスの寝顔を眺めながら、毛布をかけてやるなど、甲斐甲斐しく世話を焼いている。
「私の場合は……特にこれといってなかったわね。本当に、自然。自然に任せたのよ」
「何か……ほら、ない? 何か工夫したとか」
「ないなぁ。強いて言えば、全てをリノス様にお任せしていたから……かな?」
シディーは顔を赤らめながら、そんな返答を返す。ソレイユはため息をつきつつも、ピアトリスの寝顔を覗き込む。……かわいい。この子もかわいい。やっぱりデレデレになりながら、シディーに何かやることはないかと尋ねて、何もないという返答を受けて、彼女は少し落ち込みながらシディーの部屋を後にした。
続いて向かったのは、マトカルの部屋だった。しかし、彼女の返答もシディーと同じだった。結局ソレイユは、何の成果も得られずに、トボトボと自分の部屋に戻るのだった。
「あれ? どうかしたのですか?」
声をかけてきたのはリコだった。勘のいいリコは、ソレイユの雰囲気を見ただけで、何か深刻な悩みを抱えているのではと察した。そして、スヤスヤと眠るイデアを抱きながら、傍らにいたエリルに、先にマトカルの部屋に行くように伝え、彼女はソレイユの部屋に一緒に入ったのだった。
「どうかしたの? 私でよければ、聞きますわよ?」
「はい……実は……」
ソレイユはリコに自分の抱えている悩みを詳らかに話した。リコは、うん、うん、と頷きながら彼女の話を親身になって聞いている。そして、ソレイユが話し終わるや、ゆっくりと、大きく頷きながら口を開く。
「ソレイユの気持ち、わかりますわ。私も、なかなかリノスとの間に子供が授かりませんでしたから……。ソレイユの焦りや苦しみは、よくわかりますわ」
「どうしたらいいでしょうか、リコ様……。リコ様は、どうやってエリルやイデアを授かったのですか?」
「そうですわね……。私は、リノスに任せていましたから……。」
「任せる……ですか? シディーもマトも、みんなリノス様にお任せしていたと言っていました」
「基本的に……そうですわね。大体リノスの言う通りにしていましたから……」
「リノス様の言う通り……。それは、その……自分から積極的にということではなく……でしょうか?」
「せ、積極的……では、ない、と、思い、ますわ、よ?」
「そうですか……」
リコは顔を赤らめながら返答を返している。そんな様子を見ながら、ソレイユは考える。これまでの自分のリノス様への接し方は間違っていたのでは、と。
これまでは、寝室に入ると積極的にリノス様の体を求めていた。むしろ、そうすることがソレイユにとっては普通であり、サイリュースとしての振る舞いであると母、ヴィヴァルから教えられてきた。しかし、リコ様を始め、他の女たちは違う。リノスの言う通りにしてきたと言う。今までの自分とは、真逆の姿勢だったのだ。
「……なるほど。リノス様に、お任せする。ありがとうございます。リコ様、何か、掴めた気がします」
「そ、そう? 参考になったようで、うれしいですわ」
リコとそんな会話を交わしながら、ソレイユは無意識に拳を握り締めるのだった。
それから2日。いよいよリノスと一緒に寝る日がやって来た。彼女はいつもと同じなまめかしいパジャマを着用し、体に香水を振って、万端の準備を整える。ただ、今日の自分はいつもと一味違う。さあ、今日は、リノス様はどんな顔をなさるだろう? いつもと違う趣に興奮してしまうかもしれない……。そんなことを考えながら彼女は寝室の扉を静かに開ける。
リノスは既にベッドに入っていた。上半身を起こして、何やら本のようなものを読んでいる。
「リノス様……」
「ああ、ごめん、ソレイユ」
「何ですか?」
「ああ。フラディメ国のリボーン大上王から贈られてきたんだ。メイから習ったこと実践した結果を論文にしたんだと。俺が読んでもわからないだろうに、メイは先に俺に目を通してくれと言うんだ。参ったよ」
「ああ、そうですか。それは大変ですわね」
そんなことを言いながらソレイユはベッドの中に入る。
「……ソレイユ?」
リノスは思わず声を漏らす。いつものソレイユの振る舞いではないからだ。普段であれば、すぐに自分のパジャマを脱ぎ捨ててリノスからマウントを取りにくるのだが、今日はやけにしおらしい。自分の隣で、目を閉じてじっとしている。
「……ソレイユ?」
反応はない。リノスはしばらく彼女の顔をじっと見つめていたが、やがて、何かに納得したように、モソモソとベッドに入り、明かりを消したのだった。
……さあ、いつでもおいで下さい、リノス様。どこから、どんな感じで来るのかしら。
そんなことを考えながら、ワクワクと胸をときめかせながらソレイユは待っている。待っている。待っている……。
「あれ?」
うっすらと目を開けて隣のリノスを見ると、そこには予想外の光景が目に飛び込んできた。
「すぅーすぅーすぅー」
何と、リノスはあろうことか熟睡していたのだ。え? 何故? ……てゆうか、早くない? 混乱するソレイユ。結局彼女はその状態のまま、朝まで一睡もすることが出来なかった。
そして朝、リノスが目覚めると、そこには彼の顔をじっとのぞき込むソレイユの姿があった。
「ソレイユ? ……おは」
「リノス様……私……やっぱり……我慢できませぇぇぇーん!!」
「うおっ! 何だ? 何だぁぁぁ!?」
……結局、そこにはいつものリノスとソレイユの姿があった。
しかし、このソレイユの努力は、後に実を結ぶことになり、そのために彼女は多大な労力を使うことになるのだが……。それは、また、別のお話。