第二百六十七話 サッカーの神様
キャバレットの魂がフラディメ国で祀られるようになってから、およそ100年の月日が経った。今、彼はフラディメ国の首都、オービッゼの森の中で、静かに時を過ごしている。
元々は、リボーン大上王の隠居館を改装した美術館に祀られていた彼であったが、今から約50年前に、館の老朽化を理由に、この森の中に新たに美術館は建てられ、魂をここに移されたのだ。
森の中とは言え、この建物に人が絶えることはない。入場料が無料であることはもちろんだが、そこに蒐集されている品物が、歴史的価値が高く、学者やマニアが目を輝かせて通ってくるのだ。
「……」
キャバレットは、剣に封じ込められて100年経った今でも、その命を繋いでいた。彼は相変わらずただ、無言で日々を過ごし続けていた。
兄、リボーンに対しての思いは、未だ複雑なものがある。だが、甥のメインティアは毎月のように自分の許に赴き、その魂を慰めようと努力していた。何より、自分の傍らに飾られた絵が、何とも自分の心を癒すのだ。妻のミーティアは、あの時のままの美しさを湛えており、息子のグレゴーンは、その聡明さが見事に表れている。この絵を見ていると、早く自分も家族の許に行きたいという感情も湧き上がってくる。しかし、今の自分は精霊に取り込まれた中途半端な状態だ。これからあと、どのくらい生きるのか見当もつかない。
「ふぅ~」
キャバレットは、訪れる人々を見て、ため息をつく。皆、取りあえず頭を下げてくれる。自分のことはこの国に住まうものであれば誰でも知っているし、必ず一度はここに訪れて、慰撫してくれようとするのだ。それはこの国の王とて例外ではない。毎年必ず王自らがここを訪れて、どうかお静まり下さい、これからも我が国をお見守り下さいと頭を下げるのだ。その上、年に一度、自分の目の前で蹴鞠が披露され、美しい音楽が奏でられるなど、国を挙げて自分を慰めてくれるのだ。
ここ数年は、それがセレモニー化してきている感もないではないが、元々義に厚い性格のキャバレットは、今のところ何かコトを起こすつもりはなかった。封印された当初は強力な結界を張られ、身動きを取るのも一苦労であったが、いつしかその結界も解けていた。今の彼は、この短剣から出ようと思えば出ることは出来た。しかし、この国の人々の、面はゆくなるほどの、痒い所に手が届くような慰撫に、彼は敢えて封印を破って外に出ようとする気持ちを萎えさせていたのだった。
そんなある日の昼下がり、一人の少年がキャバレットの前に現れた。子供が一人でここに来るのは珍しい。キャバレットはぼんやりと、その少年を眺めていた。彼は気恥ずかしそうにあたりを見回しながら、パンパンと柏手を二つ打ち、小さな声でキャバレットに話しかけた。
「神様、神様……。サッカーが上手くなるようにして下さい。お願いします」
そう言って彼は、脱兎の如くその場を走り去った。キャバレットには何のことであるのか、さっぱりわからず、彼は呆気にとられながら、その少年を見送った。
そして次の日、またしても少年がやってきた。そして、昨日と同じ言葉をつぶやいた。
「……さっかー?」
少年は「さっかー」というものが上手くなりたいという。それが一体何であるのか、彼には皆目見当もつかなかった。
キャバレットの戸惑いが解消されぬまま、少年は毎日この場所に通い、彼に願いをかけた。あるとき、余りのしつこさに根負けする形で、キャバレットは封印を破り、少年の前に姿を現すことにした。
「神様、神様……。サッカーが上手くなるようにして下さい。お願いします」
「……おい、これ、坊主」
「あれ? おじさん、何?」
「誰でもよいわ。この間からずっとさっかーを上手くしてくれと言っておるが、うるさくてかなわん。さっかーとは何じゃ?」
「おじさん、サッカー知らないの? ボルを蹴る競技だよ」
「ボル? ボルとは何だ?」
「ボルも知らないのかよ。あの……こう……皮でできた丸いものだよ」
「ああ、毬のことか?」
「違うよ~。毬っていうのは女の子の遊びじゃないか。ボルだよ。ボルを蹴って遊ぶんだよ」
「蹴る? 蹴鞠のことか?」
「違うよ~。蹴鞠じゃないよ~。ボルをゴルに入れるんだよ。フォーメーションを組んでさ」
「ふぉーめーしょん?」
「おじさんに話してもわからないよ。この神様は蹴鞠が得意だったんだ。ボルを蹴るのが上手い神様なんだ。明日僕は試合なんだ。明日の試合には何としても勝たなきゃいけないんだ。だから一生懸命この神様にお祈りしてるんだ。だから、邪魔しないでおくれよ」
「神? ここの主は、蹴鞠は得意だが、その……ボル? さっかーなどというものは知らんぞ?」
「やだなーおじさん。ここの神様はよく聞いてくれるんだぜ? 僕がサッカーを上手にしてくれって頼んだら、本当に上手になったんだ。試合だって負けないんだぜ? 今のところ、この神様にお願いした試合は、全部勝っているんだ。すごくご利益のある神様なんだぜ?」
「……いや、そんなことはないと思うぞ?」
「いいからもう、邪魔しないでよ! あっち行ってよオジサン!」
キャバレットは少年にけんもほろろに扱われ、追い出されてしまった。さっかーとは何であるのか? 彼は外に出てそれを見に行こうと試みたが、未だ封印の力は有効のようで、彼はある一定の距離以上はどうしても移動することができなかった。
この少年の言うサッカーは、キャバレットが封印されて数年後に、当時のアガルタ王であったリノスが考案したものだった。メインティア王が蹴鞠を世界に広めたいという相談を受けた際、彼が一肌脱いだのだ。リノスは、蹴鞠という形式的なものではなく、サッカーという、1チーム11人で戦うスポーツとして普及活動を行ったのだった。最初こそ、競技人口は伸び悩んだが、30年ほど前に一大ブームが巻き起こり、それ以降サッカーは世界のスポーツとして認識されるようになった。そんなことは全く知らないキャバレットは、ただただ、戸惑いながら、封印されていた短剣に戻る他なかったのだった。
それからさらに10年後。キャバレットの周囲は、劇的に変化していた。
彼の短剣の周囲には、夥しい数のボルやユニフォーム、スパイクなどが飾られており、そこには厳重な結界が張られていた。よく見ると、展示品のほぼ全てに、何か文字のような、記号のようなものが書かれており、辛うじて読めるものには「感謝」や「奉納」などの文字が多く見られる。そして、その前には多くの大人と子供たちの姿があった。
「すげぇ! ドーファッサリナのサイン入りユニフォームだ!」
「こっちは伝説のゴルを決めた時のボルがあるぜ!」
「うおっ! フラディメがワールドカップで初優勝した時のボルがあるぞ! すげぇ! 当時のメンバー全員のサインが入ってる!」
「何でこんな森の中の美術館に、こんなレアなアイテムが飾られているんだ?」
「何だ、お前知らんのか? ここはサッカーの神様が祀られているんだよ」
「サッカーの神様?」
「ああ、名プレイヤーのザリアファンが子供の頃、毎日この神様にサッカーが上手くなるように祈ったそうだ。そのご利益があって、彼は世界の得点王になったんだ。今も得点の記録を更新し続けているのも、この神様の御利益のお蔭だと、彼の本に書いてあるぞ」
「スゲェな。俺もあやかろう!」
「今じゃ、世界中のサッカー選手がここで祈りを捧げているくらいだ。お前のような三流選手にはご利益はないだろうがな」
「いやいや、ちょっとくらいご利益あるかもしれねぇし!」
キャバレットの許には、目をキラキラさせた少年少女が日々、列をなして祈りを捧げるようになっていた。それだけでなく、世界に名を馳せた名プレイヤーが、折に触れてここを訪れるために、この場所は世界の有名選手に会える場所として、サッカーファンの名所となっていたのだ。
「神様、神様……サッカーを上手にしてください……」
「……いや、だから。さっかーとは、一体何なのじゃ」
日々戸惑いながら、彼は少年少女たちの祈りを浴びる。彼らの純真な、キラキラとした目を見ていると、どうしても彼は、自分は神ではなく、ましてやスキルを上げる能力などは持っていないなどとは言えないのだった。
キャバレットの戸惑いをよそに、今日もこの場所には、ご利益を求めて少年少女たちが集まるのだった。




