第二百四十四話 兄さん、メッチャええ人ですやん
ある日の夕暮れ、奇抜だが、とても洗練された粋な衣装に身を包んだ一団が、アガルタの都を練り歩き、そこに住む人々を驚かせた。彼らは「連中、連中」と、奇妙なリズムを刻みながら、ゆっくりと遊郭街へと流れていった。
その連中の噂はすぐに広まり、都の人々は彼らの姿を一目見ようと、都の街は大混乱となった。しかし何故か、彼らの行く道々にはアガルタの軍勢が警護しており、そのために、目立った事件や事故は一つも起らなかった。
彼らは吸い込まれるようにして、遊郭・ミラヤに入っていく。帝都の本店とは違って、この店の外観は洗練されており、一見すると遊郭のようには見えない。これは、敢えてリノスたちがそれらしくない建物に建設したのだ。
ラマロン軍を退けた直後から、荒廃した都の復興にあたったリノスたちは、色街の復興にも注力した。ジュカ王国時代のような暗く、いかにも犯罪組織が運営しているような雰囲気ではなく、洗練された、華やかな街並みに作り替えていったのだ。それが功を奏してか、この街は、男女の色ごとだけでなく、文化的なサロンとしての役割も担うようになっている。
この「ミラヤ・アガルタ」の建物をはじめ、色街全体のデザインを考えたのはリコであり、そのイメージよりも遥かに洗練された街並みを作ったのは、誰あろう、この連中に加わっているゲンさんたち大工だった。
「まあ、いらっしゃまし。どうぞ、おあがりになってくださいませ」
いつも以上に愛想のいい女将に導かれて、彼らは二階の広い部屋に通される。そして、絶妙なタイミングで酒と肴が運ばれてくる。ゴンから今日の主賓の紹介と、短い挨拶のあと、自然にドンチャン騒ぎが始まっていく。次々に運ばれてくる酒と山海の珍味、そして美女たち……。彼らは心ゆくまで、めくるめく夜のおもてなしを、堪能したのだった。
次の日の夕刻、リノスが帝都の屋敷に帰ってくると、ゴンが帰宅していた。
「おおゴン、帰ったか」
「ただいまでありますー」
「特に何も報告はなかったので、問題ないと思っていたが、どうだった?」
「もう、大満足でありますー。ゲンさんをはじめ、吾輩を含めて皆、大喜びでありましたー。さすがはミラヤでありますなー。万事に行き届いたおもてなしでありましたー」
リノスは苦笑いを浮かべる。この日のために、リノスが直々にミラヤ・アガルタの女将に書簡を送り、ミラヤのスタッフへの差し入れまで届させたのだ。これでサービスが悪かったら、リノスの面目は丸つぶれである。
「メインティア王は?」
「特に何もおっしゃられなかったでありますなー。あ、明日以降に、一度、ご主人と話がしたいとのことでありましたー」
「そうか。じゃあ、明日にでも時間を見つけて行くとするかな」
リノスがゴンと話をしていると、続々と家族たちが帰ってくる。そして、リノス家には、いつもの夕食までの騒がしい時間が訪れるのだった。
次の日、リノスは迎賓館の一室で、メインティア王と面会した。
「アガルタ王様! 昨日は我々の無理なお願いをお聞き届けくださり、本当にありがとうございました」
ペコペコと頭を下げているのは、パターソンである。彼は腰を痛めないかと思うほどに何度も何度もリノスに向かってお辞儀をする。
「ああ、満足だったのであれば、よかったな。パターソン、お前たちも行った……ようだな。その顔を見る限りでは、大層モテたようだな?」
メインティア王の従者たちは、互いの顔を見合わせながら、照れ笑いを浮かべている。
「我々は、その、仕事でありますから、ええと……」
「いや、隠さなくてもいい。ま、お前たちはまだ独身だろう? たまにはそういうことも必要だろう」
リノスの言葉に、パターソンは顔を赤らめながら視線を外した。
そんな従者の様子を、メインティア王はいつものように微笑みを湛えた顔で見つめていた。そして、リノスに向き直ると、姿勢を正して口を開いた。
「まずは、今回のこと、心から礼を言わせてもらう。ミラヤもよかったが、この年になって、本当に心から信頼できる友、いや、師と仰ぐ方と出会うことが出来た。これも偏に、アガルタ王のお陰だ」
予想外の言葉にリノスは思わずキョトンとなる。
「師と仰ぐ方? 誰です?」
「ラファイエンス殿だ」
「将軍!?」
聞けば、あの連中に、ラファイエンスも参加していたらしい。彼は王たちと同じ衣装を身に付けて連中に参加しつつ、一行の警護を行っていたのだが、どうやらちゃっかり皆と共にミラヤに上がり込み、おもてなしを受けていたようだ。
「あのお方の女性観には感服したね。女をいかに自分に惚れさせるか、その行程をいかに楽しむか、という話は刺激的だった。私などは、興味のある女はすぐにベッドに寝かせてしまう。……まだまだだと思ったね。いや、本当にアガルタに逗留してよかったよ」
「……一体何を教わって来たんだ?」
呆気にとられるリノスに、王は全く気にする様子もなく、さらに言葉を続ける。
「で、せっかくアガルタに来ているんだ。どうせなら、ここで徹底的に学ぼうと思ってね」
「まさか、これからずっとミラヤに通い詰めるとでも言うんじゃないでしょうね?」
「いや、そういうことじゃないんだ。人に会わせて欲しいと思ってね。アガルタ王に仕えている、ルアラという女性がいるね? 彼女に一度、会わせて欲しいんだ」
「ルアラ、ですか? まさか、彼女を気に入ったということじゃないでしょうね?」
「いやいや違う。違うよ。私が用があるのは、ルアラ殿ではなく、彼女の父上だ。彼女はポセイドン王の娘だというじゃないか。彼女を通じて、ポセイドン王に目通りできないかと思ってね」
「ポセイドン王?」
「うん。ポセイドン王は1000人を超える側室を持ち、500人を超える子供を作ったというじゃないか。おそらくあのお方が、色事の世界では最高峰だろう。どうせ目指すのなら、最も高き頂を目指したいんだ」
リノスは口をあんぐり開けて王を見る。彼は目をキラキラさせながらリノスを見ている。言っていることは欲望丸出しなのだが、逆に、ただ純粋に色事を愛しているためか、彼の目からは邪念のようなものが一切感じられない。
「……まあ、ルアラはともかく、ポセイドン王には私も一度、お目にかかりたいと思っていたところです。もし、話が進むようであれば、貴方にも声を掛けましょう。しかし、ポセイドン王はかなり忙しい方のようですよ? 実の娘が会いたいと言っても、今からでは2年後と言われています。あまり、期待しないで下さいね」
「ああ、わかっているよ。楽しみに待つとしよう」
「それまでは、頑張って絵を売って、ミラヤで我慢していただくほかありませんね」
「う~ん、正直、ミラヤの女は私の好みではないんだ。いや、この間はエチケットとして、きちんとエスコートしたよ? しかし、あの店に通おうとは思わないね。いや、とても素晴らしいもてなしだったし、満足はしている。ただ……女が美しすぎる。これが、惜しいね」
「女が美しすぎるぅ?」
思わず声を上げるリノスに、パターソンが慌てて間に入る。
「いえ、アガルタ王様、誤解なさらないでください。我が王の申すことは皮肉でも何でもないのです。本当にミラヤの方々はお美しい方ばかりでした。ただ、その……。我が王は、どちらかといえば……。庶民的な女性が好みでして……」
「庶民的だぁ?」
「その……。容姿端麗な女よりも、例えば……。足が太かったり、尻が大きかったり……。目が細かったり、鼻が……上を向いていたりと、ちょっと、特徴のある女が好みなのです」
「つまりそれって……。B専ってこと?」
「B専?」
「いや、例えばだな……。この迎賓館の職員である、サイリュースたち。……そう、背中に羽の生えている女たち。あいつらは、王の好みではないってことか?」
メインティア王はしばらく考えていたが、やがて何かを思い出したのか、首を振りながら口を開く。
「ああ~。あの方たちね。ダメだ。美しすぎるね。私はどうも。できれば閨は遠慮したいね」
「とすると……。例えば、この迎賓館の宿泊棟の支配人のミンシなんかはどうです?」
「ミンシ……? ああ、あのドワーフの小柄な女性か。……いいね。是非閨を共にしたいが、彼女はああ見えて、かなりの年齢なのだろう? 惜しいね」
「と、いうことは、ミラヤでは、花魁ではなく、どちらかと言えば、酒や肴を運んできた女に王の好みがいたということですか?」
「さすがはアガルタ王だ。鋭いね。そうなんだ。肴を運んできた女に、ちょっとふくよかで、いいのが居てね。できればその女と閨を共にしたかったのだが……。さすがにそれは言い出せなくってね。私にも、そのくらいの分別はあるからね」
その言葉を聞いたリノスは、何故かうんうんと頷いている。そして、満面の笑みを浮かべながら、思わずつぶやいた。
「兄さん、メッチャええ人ですやん」
同じ頃、フラディメ国のアリスン城では、リボーン大上王が世にも恐ろしい顔つきで、居並ぶ女たちを睨みつけていた。
大上王の前に控えているのは、このアリスン城でメインティア王の側室たちに仕える下女たちだった。彼女たちは大上王の鋭い眼光に恐れおののき、物音一つ立てることができない。広いアリスン城の大広間に数百人が集められているが、それだけの人間がいるとは思えない程の静寂が、この空間を包んでいた。
「もう一度言う。誰か、我が愚息、メインティア王が居るアガルタに行く者はいないか?」
ドスの効いた、迫力のある声が大広間に響き渡る。女たちは誰一人として声をあげる者がいない。無理もない。大上王の性格のキツさは天下に知れ渡っている。彼女たちは、下手なことを言い出せば、大上王に殺されると思っていたのだった。
しばらく重苦しい沈黙が流れていたが、やがて、末席から声がした。
「あの~。私が行きましょうか?」
大上王は声のした方向を睨みつける。そこには、目じりが垂れ下がった、ノホホンとした顔つきの女が控えていた。
「お前は……。名は何という?」
「はい、ノレーンと申します」
「年はいくつだ?」
「18歳になります」
大上王は鋭い眼光のまま大きく頷き、表向きは喜んだような素振りを見せ、ひきつった笑顔を見せながら、ノレーンに声をかける。
「そうか。ご苦労だが、アガルタに行ってくれ」
そう言って彼はさっさとその場を切り上げた。ご苦労、とは言ったものの、彼の内心は穏やかではなかった。結局、大上王がノレーンに笑顔を見せたのはこの日一日だけであり、その後、彼は何年にも渡って、彼女のことを無視し続けることになる。
実際、ノレーンは少し変わった女だった。メインティア王の女たちは、彼の求めに応じて体を任せているだけだったが、彼女は自ら望んで王に抱かれに行くと言うのだ。天下のリボーン大上王を前にして、豪然と「私が行く」と言い放つのは、並大抵ではない。18歳のこの女には、恐れ知らずの強烈な遺伝子が宿っていた。そして、この遺伝子こそが、その後のフラディメ国の運命を左右することになるのだが……。それはまた、別のお話。